かがり火に溶けて
早朝の肌寒い空気を深く飲み込み、滲んだ涙を何度も拭った。そうしてだんだんと冷静さが戻っていって、ぼんやりと煤けた窓の向こう側を見つめる。
曇天の朝は薄青色で、アリススプリングスを覆う白い砂は相変わらず荒涼としていた。時刻は午前五時半。
長い夜を過ごして最後の夢を見た後でさえも、レーニャがくれたトレーニングメニューの開始時刻ぴったしに起きたらしい。
「…………」
くしゃくしゃと髪を掻いて隣に視線を向けると、当のレーニャは初めて寝坊していた。無防備な姿で熟睡していて、スゥ、スゥと小さな寝息だけが微かに耳を撫でている。
ディストは音を立てずにベッドから降りた。淡々とシャワーブースまで向かってノズルをひねる。
お湯は出なかった。外気で冷え切った水を頭から被って、じっと鏡に映る赤い瞳と見つめ合う。
……意識せずとも銀の火が灯った。以前よりも燦然と輝き周囲を照らしていく。今なら【正義】と交戦したとき以上に疾く飛ぶことができるだろう。
あの夢はただの思い込みではなかった。本当の意味で別れを告げる挨拶で、アメリアと会うことはもう叶わないだろう。
鏡に映る継がれた瞳と灯火をじっと見つめる。
ディストはゆっくりと、大きく息を吐くことしかできなかった。涙が滲んだところで全て流され落ちていく。
「…………自分一人でなに勝手に納得してんだよ」
自身の紅い瞳を睨みながら、ノズルを戻した。端から目は醒めていたし、自分でも嫌になるぐらい冷静だった。これ以上、冷水を被っても意味はない。
慌てようにも慌て方を忘れ、泣きたいのにとっくに涙は出し切っている。
決然とした自分に見つめられるばかりで、打ちのめされるみたいに顔を背ける。
そして未だ眠りこけるレーニャを一瞥して、なんだかどうしようもなく肩の力が抜けてしまった。
――――料理は、お前が作ったほうが美味いな。
昨日、彼女が言ってくれた言葉を不意に思い出す。
――食べられるものを安全に加工しているんだ。健康に害しては困るので焦がしたりはしていません。時間をかけて、完全に火を通しているだけです
初めて会ったときは今よりもずっと他人行儀な上に食事へのこだわりなんて欠片もなかったのに。
ディストは穏やかに深呼吸をした。大切なものを思い出すように、銀の灯火がゆっくりと光輝を増していく。
「……よし」
なんだか鬱屈な気分が少し晴れて、朝食の準備に取り掛かることにした。
慣れた手つきで缶を開け、WCFI社の代用食卵、アーモンドミルク、重曹をかき混ぜて焼いていく。
生地の焼ける香ばしい匂いが広がっていくとベッドの方から、背伸びをするようなうめき声が響いた。
「んん……。いい匂いがする」
靴を履きもせずにひたひたと足音が近づき、フライパンを覗き込んでくる。まだ寝ぼけているのかディストの肩に手を着いて寄り掛かる。
「……お前、目が冴えてもキレるなよ? ……ホットケーキは甘いのだけのがいいか? 目玉焼きとベーコンぐらいは用意できるが」
「……りょうほうがいい。マスタードは……シロップを足せ」
そう言い残すと、レーニャは大きな欠伸をかきながらシャワーブースへとぼとぼと移動していった。水音が響いていく。
それから数分すると勢いよく足音が迫り戻ってきた。
濡れた髪を乾かしも纏めもしないまま。制服は着整っておらず羽織っただけで肌着同然。ワイシャツのボタンは1つも止まっていない。
だがそんなことも気にできないくらい違うことが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして慌てて駆け寄ってくる。
レーニャは歯を軋ませて睨んだ。
「ッ……!! さっきのはわすれろ! それとトレーニングは今日はなしだ! 昨夜たぶんそう言ったはずだ……ッ!! いいな、了解ですと言え……!!」
「あ、ああ……了解です。その格好はべつにいいのか……?」
「お前以外見てる奴はいないならべつにいいだろう。何が悪いんだ……!」
レーニャの何気ない言葉が思考を鈍らせる。露わになっている白い肌を見つめてしまっても、彼女は平然とした様子だった。
「ところで……ホットケーキは甘いのだけのがいいか? 目玉焼きとベーコンぐらいは用意できるが」
「さっき言っただろう! もう作り終わってるくせに何を言っている……!」
「わすれろっていうから――痛ッ!」
からかったらしばかれた。急かされるみたいにホットケーキを盛り付ける。二人で席に着いた。
食べられればなんでもいいと主張していたレーニャがもさもさと頬張って頰を緩めていく。目が合うと、誤魔化すように視線が泳いだ。
「ふん、やっぱり……お前には居てもらわないと困る。この運びが終わって、もし問題があるようならワタシからもぜったいに交渉してやる」
「そりゃどうも」
素っ気ない対応を取るもニヤけてしまって、不可解そうにレーニャは眉をひそめた。それでも何かを急ぐように、あっという間に食べ終えると鋭い視線が電子時計とディストを交互に一瞥していく。
「その……集合の時間までまだ余裕はあるが」
レーニャはなんてことのないような態度でぼやいた。目が合うと、見せたこともないような蠱惑的な嘲笑が向かう。
閉められていない制服のボタン。隠れもしない白い肌。
それだけでブチリと、理性が途切れる音がした気がした。
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