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銀と終末のトランスポーター  作者: 終乃スェーシャ(N号)
プロローグ:よくあること
2/51

これ以上は

 アメリアはライダースーツのジッパーを深くまで上げていく。胸元できつく詰まり、ンン……と、小さな呻きが漏れる。


「……ありがとう。姉さんだって忙しいのに」


 ディストは好意を素直に受け取った。後部に跨りアメリアにしがみつく。急いでくれていたのか、強風に当てられた身体は少しだけ冷たかった。


「感謝してるならアメリアって呼んで欲しいなぁ。確かに家族みたいなものだけど、ほら、血の繋がりはないじゃん?」


 サスペンションの効かない車体が酷く振動しながら加速していく。


「嗚呼、でも血なんて些細なことだろ? この仕事をしてると血の強化のために抜き入れもするからさ。だから俺にとっては姉さんは姉さんだよ」


 そのうち、バイクは工場地帯から離れた。開発放棄された都市区画をまっすぐと進んで、車輪が崩れた高架橋ハイウェイに乗り上げる。


「うーん……。嬉しいけど少し違う…………」


 アメリアは苦笑いを浮かべた。突き刺すように冷えた空気を飲み込んで、数秒の沈黙。小さなため息は荒む夜と加速の風で流れて消えていった。


「そうだ……。ディスト」


 アメリアは緊張するようにハンドルを握る手に力が籠めた。ドキリと。筋肉が強ばるのが伝って、ディストは僅かに表情を曇らせた。


 誤魔化すように後方を見ると、自分がいた場所はすでに真っ暗闇のなかだった。ただ漠然と、都市の構造物の影だけが見えた。


「ディストにさ。近々でかい仕事を用意できそうなんだよね。そしたらあんな工房で違法な手術もしなくてよくなる。それどころか、企業の庇護に入れるかもしれないんだ。今日はそれも言いたくて来た」


「姉さん……。無理はしないでほしい。姉さんだけなんだよ……こうして一緒に喋ったりできる家族は。俺はべつに今の暮らしでもいいんだ。余計なものを持たなくたって。姉さんさえいてくれれば」


 ディストは嫌なことを思い出すように街灯のない暗闇を眺めた。そんな薄暗い影を口笛が塗り潰す。アメリアはギアをあげた。軋むクラッチ。加速の風が一瞬で横切っていく。


「ああ、そういうこと言われるのすっごい嬉しいなぁ。今すぐ停車してキスしちゃいたい。だめ?」


「ダメだろ。危ないし」


 蕩けるような声に淡々と突きつける言葉。次にあきれて笑ったのはアメリアだった。


「……ディストはさ。私の夢なんだよ。……便利屋しか出来ない私と違って。才能がある。じゃなきゃ色んな企業の義手だとか刺青技術を問題なく移植することなんてできるわけないし」


 上擦った声。希望と願望が混ざっていて、少しだけ嗚咽が掠れている。それでも轟くエンジン音にかき消されることはなかった。やがて下道に降りた。


「……ああ、そうかも。だから今の仕事ができる。それじゃあダメか?」


「ダメ……! 絶対ダメ! あの仕事は長くはできない! 企業は技術の保持には必死なの! いつか目をつけられるし、そうじゃなくても手術だって命がけでしょ!? 今日だって危なかった! いつ死んだってよくあることで終わっちゃうの、嫌だよ私!? ずっと、ずっとバイクであの暗闇のなか待ち続けるなんて」


 減速。重なり合ったアパルトメントの前に停車していく。薬とドブの臭いが広がった。もう家に着いたらしい。二人は亀裂だらけの舗装路に足をつける。


 同時、アメリアはディストの肩を掴んだ。逃さないように、がっしりと。振りほどくことはできない。


「…………っ」


 訴えるような眼差し。息を呑んだ音さえも聞こえた。ディストは気まずいように頬を引き攣らせる。道端の浮浪者に姉さんのこんな表情を見られたくはなかった。


「だからって毎日迎えに来なくても――」


「嫌だよ……。待つ場所がこの掃き溜めに変わるだけじゃん。ディスト、私だって多くが欲しいわけじゃないけど。……あんな仕事をしてたらいつか殺される。だから、――仕事は絶対取ってくる」


 アメリアはそう言い切った。激しく揺れる金の髪は獅子のように荒々しい。残された一つの瞳がジッと。真摯な眼差しを赤く蛍光させている。


 渡されたジャケットのぬくもりは消えているはずなのに。未だ熱を帯びているような錯覚がした。ディストは、根負けするように小さく首を横に振った。


「…………悪かったよ。姉さん。だから、家に戻ろう。ここは寒いし」


「……うん。ごめん。困らせたみたい」


「いや、俺が悪かった。……迎えに来てくれるのは嬉しいんだ。本当に。ただ、俺だって無理はしてほしくはないんだよ……」


 ディストの言葉に、アメリアはパッと花が咲いたような笑みを浮かべた。


 姉弟というには苛烈な抱擁。触れるぬくもりはどちらにとっても暖かい。そんなはずはないのだが。


 軋む扉を開けた。暗く、二人では広い部屋。明かりに使う電気でヒーターのスイッチを入れる。市場で得たBレーションを加熱しながら、ディストはジャケットを返した。


「まだお湯は残ってるし、シャワー浴びてきたら? 俺はその間に……父さんと母さんに食事、あげてくるから」


「…………ごめん。お願い」


 アメリアの言葉を背にディストは地下倉庫へと降りていく。ギィ、ギィと。軋む足音、暗闇にライトを差した。


「父さん、母さん。……飯だよ。大したものはないけどさ。久々に温かいやつ」


「あ、アア。カ……ギ、ギゅ、ミ」


 うめき声。視界に映る二匹の怪物。無意味に伸びた触肢。皮膚を突き出た骨と甲殻。無数の口腔は癒着して、歪に並ぶ牙。


 …………病院に行ったって処理を受けるだけだろう。とっくの昔に終末の日は過ぎていて、こんなことはきっと、ありふれたことでしかない。


 両親は床を這いながら用意したレーションを貪り始めた。二人がいなければ食費にもっと余裕が出るだとか、地下室のない安い部屋に移れるだとか。


 色々考えが巡るほどディストは自分自身に嫌気がさして、堪えきれなくなった。逃げるように背を向ける。


「姉さん、もう寝た?」


 小さな声で尋ねる。返事の代わりに響く小さな寝息。


 リビングに戻るとアメリアはもうソファで寝潰れていた。金の髪が力なく垂れていて、温めたBレーションは中途半端に摘んだだけ。


 ディストは穏やかに笑って、自己嫌悪なんてすぐに忘れてしまった。ぎゅっと抱きかかえ、ベッドに下ろす。


「……俺はこれ以上は望まないよ」


 夜が降りていく。残った食事を胃に詰め込んで、僅かな幸福感に脱力しながら目を閉じた。

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