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ぼやきと戯れ言

ディストピアというとすぐ原理主義者が怒るんですけど

作者: 黒森 冬炎

追記あり

用語初出関連2022/9/12



久々にマッドマックスを見たので、SF用語の論争をひとつ思い出した。しばしば話題になってるディストピア適用範囲論争ですが、Twitterでもちょうど多少話題になってた。


マッドマックスだけで言えば、サンダードームだけがディストピアで、それ以外は単なるポストアポカリプスだという説もありますよね。サンダードームですらディストピアじゃないと言う、科学管理社会以外に適用するのを認めない原理主義者もいれば、マッドマックスは全部ディストピアでいいとする定義メンドクサイ派もいます。


SFファン、ほんとメンドクサイよねー。

(ここでブーメラン!と自虐すると、武器としてのブーメランは通常戻ってきませんと言い出す人がいる)




ディストピアはそもそもユートピアの対義語で、主に未来の管理社会が描かれるSFに対して使われてきました。


○ユートピア utopia とは?

1516年、トマス・モアが出版した書籍の題名であり、同作者の造語。どこにもない理想郷を描き、社会批判を行った。


○ディストピア dystopia とは?


オックスフォード英語辞典の定義に準ずれば「考えうる限りのダメ状態になっている想像上の場所、状態」



1868年に、ジョン・スチュワート・ミルが既にこの意味でスピーチに使っていたと言うのだから驚きです。1700年代には、少し現在とは違う意味ながらも、この単語は使われていたとのこと。


印刷物で使用されたのは1952年が最初だ、と言及されている記事を見かけました。わりと信用できる単語定義系のサイトなのですが、裏付けはとってません。これが本当なら、活字になったのは、ミルのスピーチのだいぶあとなんですね。


(追記2020/9/12)

1952年刊行の書籍で、編著者が「自分が発明した単語だ」と主張したとのこと。※書誌情報抜けていたので更に追記


The quest for utopia : an anthology of imaginary societies

contributors: Negley, Glenn, Patrick, J. Max (John Max)

New York : H. Schuman, c1952.


邦訳見つけられず。原典も未読。

シカゴ大学図書館蔵書目録には内容細録がありました。(world catその他の横断検索システムや書籍販売サイトにはなし)

どうやら4つの解説と28の作品が収められたアンソロジーのようです。

この本は、かなり有名な基本資料みたいです。社会学、政治経済、文学、と広いジャンルで書評や引用に利用されております。英語版は現在でも入手可能なようです。


しかし、2010年に発表された語源学の研究では、1747年が印刷物として確認されたはじめての使用例とされたみたいです。


以下引用


https://academic.oup.com/nq/article-abstract/57/1/86/1182435


The anonymously published Utopia: or Apollo’s Golden Days of 1747, attributed to Lewis Henry Younge, clearly makes use of the word dystopia, though erroneously spelled, and contrasts it directly to utopia.


引用ここまで


(追記おわり)



まあ、そのあとごちゃごちゃ色々あって、SF文学サブジャンルとしての「ディストピアもの」が登場するに至ります。



文学史的には、ジャック・ロンドン『鉄の踵』(1908)がディストピアものSFの嚆矢とされているようですよ。筆者は高校の先生がオタクだったので、一部読まされてディストピアを英語で説明させられたような、遠い記憶がございます。酷ぇ先生だよねー。


灰色な青春の残滓はさておき。


ケンブリッジ大学のサイトにずばりな記事


Science Fiction and Dystopia


があります。

絶版書籍の抄録ですけど、これをさらに乱暴な要約をすると、Huxley–Orwell model をディストピア小説というのが、文学史的な定義のようです。


具体的には、

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932)

邦訳複数あり

ジョージ・オーウェル『1984』(1949)

邦訳複数あり


の出現により認識されたSF世界を舞台とした創作物。


で、現代SFクラスタの用語定義原理主義者は、機械管理社会以外をディストピアというと怒るのね。



言葉の元の意味的には、そもそも管理社会かどうかも、機械化社会であるかどうかも、関係ない。

ストーリー的には、管理による偽りの楽園社会に苦しめられる。この2点から考えると、人権が存在しないような絶望感がある管理社会でありさえすれば、文明崩壊後社会であっても適用される筈。


原理主義者は「それはポストアポカリプスである」と言う。

その昔、ポストアポカリプスは核の冬以降という限定的な意味で使われていた。


実際には、両方が併存している作品については、「ディストピア」と呼ばれることが多い。マッドマックスとか。

マッドマックスはどっちでもいける。

しばしばディストピアはポストアポカリプスでもあるわけだし。ドームの外は核の冬というのが定番。


アポカリプスは黙示録のことなので、文字通りなら、新約聖書のヨハネによる黙示録で描かれる世界の後。しかし、黙示録後にはこの世は終了しているため、地上民は既に天国と地獄に選別済みで新たな人間は生まれない。


終末世界と言われるこうしたSF世界は、いわば「黙示録で語られる最後の審判の直前に現れる終末の災厄」の「後」である。つまり災厄に晒されてる真っ最中。


ポストアポカリプスかつディストピアである場合には、取り残された人々が苦しみ、一部の管理者(選民)が理想郷的な生活( ユートピア) を謳歌していたりする。



ディストピアは、そもそもがユートピアへのアンチテーゼとしてのSF社会だ。善人の救済後住まう「天国(楽園)」が本当にユートピアなの?理想というけど、ほんとはとんでもない管理社会なんじゃないの?人間性が否定されてませんか?選民は、善人なの?善人て何?

という、いわば人間復興運動なわけで。



例えば、『ナウシカ』はポストアポカリプスなのか?ディストピアなのか?ナウシカ社会は絶対王政ぽいですが、庶民がそれなりに明るく幸せな生活をしております。だけど中央政府による選民思想や管理体制はある模様。

ポストアポカリプスかつディストピアでいいんじゃね?


『未来世紀ブラジル』とか、『デリカテッセン』とかは、ディストピアだけど、ポストアポカリプスと言う人もいる。設定上はどっちもいける。マッドマックスと同じパターンね。



では、ディストピアだけどポストアポカリプスじゃないやつってあるのかな。『ターミネーター』?『トータルリコール』?『ブレードランナー』?『PSYCHO-PASS』?


サイバーパンク系は、別に核の冬とか最終戦争関係ない、科学が異様に発達したことによる管理社会が主な舞台だから、ポストアポカリプスではないね。

(追記。サイバーパンクものでも、環境汚染世界で生活域を科学管理しているものがわりと多い。多くは、広義ならポストアポカリプスと言えるのかもしれない。中には「外の世界」が一切登場しない作品もある)



ポストアポカリプスだけどディストピアじゃないやつは?


『ヨコハマ買い出し紀行』とか?あれは自然環境のゆるやかな変化によるものだから、厳密にはポストアポカリプスじゃないけど。

『人類は衰退しました』?あれ、作中に妖精さんが蔓延る以前の明確な戦争とか破壊活動ありましたっけ?

(追記。たしか戦争はあったよね?妖精さんに支配されてるから、ディストピアでもあるかも)


メイドインアビスはどうだろう。第一話の説明で、アビス探窟に関しては政府に管理されているし、スラムも存在してる。あれもどっちもいけるやつかなあ。


そもそも、終末世界の定義として、荒廃した社会や自然環境の原因は、80年代までと違って、必ずしも戦争じゃないしね。そうすると、ポストアポカリプスものに入れていい範囲はぐんと広がるな。



広い意味での終末世界について、ディストピアじゃないよ、というのは一概には言えない現状だと思います。ポストアポカリプスは広義なら、ディストピアも広義でよくね?なんで片方だけ狭義なんだろ。ポストアポカリプスの定義原理主義者につっつかれないのは謎。


私個人の場合だと、主に「管理されてる気配」の描写があるとディストピアと言っちゃうな。

そして原理主義者にいぢめられる。


実際、厳密にカテゴライズできる作品なんて、そんなにはないですからねぇ。もっと大きいくくりでも、SF/ファンタジー/ホラー区分け論争なんか、終わりなき闘いですしね。



ま、いいんじゃないの。面白ければ。

現代現実恋愛とか日常ものをディストピアとか言われたら、流石に物申したくなりますけどね。


でも、例えば、『はたらく魔王さま』は、まおくん的にはディストピアなのか?魔界的にはポストアポカリプスなんだろうか?とかね、馬鹿な議論して楽しめば良いと思うんですよ。

超理論から真実が明らかになることだってありますよね。

多くは寝たら忘れる程度のタワゴトですが。



そうそう、最後に余談。

『デリカテッセン』、ジャン・レノ出てんのよ。

わりと一瞬だけど、めちゃくちゃ濃い重要キャラ。

グロ耐性ある方は、必見。この映画はもっと観られて欲しい!面白いよ。


おしまい。



追記

感想返信をしていて、こちらにも書いておこうと思いまして。「ドームの外は核の冬」をもう少し詳しく。


古典的ディストピアものは、偽りの楽園からの逃亡と失敗という構造も特徴的です。逃亡したものの、外は核の冬だったり何にもない空間や荒廃、砂漠化した土地だったり。


もともと、ポストアポカリプスものはディストピアものの亜種でもありますからね。

外の世界に住人がいて、そっちが主人公なのが原理主義者がいうところのポストアポカリプスでしょうか。

だけどこのケースも、憧れの楽園を目指す、昔ながらの理想郷探訪ものでありつつ、到着すると偽りの楽園というパターンが多くの作品に現れましたから。

厳密に区別できる作品は、やっぱり少ないんじゃないかな。


お読みいただきありがとうございます

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― 新着の感想 ―
[良い点] ジャンルの定義は曖昧なもので、厳密な区分はなく、金字塔的な作品が指標として存在しているものだと思っています。 なので、その金字塔からの距離をどこまで許容できるか、あるいはその金字塔を認める…
[一言] ディストピア映画と聞いて思い浮かぶのは、ルーカスのTHX1138でしょうかね。あとはガンカタで有名なリベリオン。
[一言] すわ、返信ありがとうございます。更に調べものまでしていただいて、何だか本当に申し訳ありませんです。あ、ディストピア警察という書き込みはマジ冗談なのですみません。ハクスリーは勿論読んでます大丈…
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