定点、悪役令嬢
「リーン・エターナ公爵令嬢、私はお前との婚約を破棄する!」
フアーブラ王国、第一王子ジャック・フアーブラ様が、私にそうおっしゃったのはいつのことだっただろう。
もはや定かではない。
ただ、その時の記憶はどうしてか、いつまでも私の胸に残っていた。
輝かしいフアーブラ王国、王立学園の大ホール。
多くの魔法灯が高くホールの中を照らしていて、飴色に輝く床に反射し、出席した令嬢方のドレスや、貴公子たちのスーツを照らしていた。
食事も美味しそうなものばかりで、今にして思えば何も気にせずに自らの手でとって、好きなように食べればよかった、と思う。
しかしもうそう思ったところで遅いのだ。
あの時、王子の後ろには、一人の令嬢が隠れるように立っていた。
私のことを悲しそうな目で見つめる、小鳥のような少女、エミリー。
彼女に対して、私はあまり良くないことを繰り返していた。
あの場所で、私はただその行動に対する断罪をされただけで……エミリーには、何一つ悪いところはない。
強いて言うなら、王子殿下は少しばかり場所や、物事というのを深く考えた方が良かった、と思うけれど、それもまた今更な話だろう。
そう、私はあの日、断罪された。
エミリーに対する嫌がらせはもちろんのこと、普段の言動や、令嬢としての品格を乏しめることを繰り返していたと、多くの罪を論われて。
どれも間違いではなく、正しい指摘だった。
どこかでほっとしていたところもあった。
悪いのは私だけだから。
父上にも、母上にも、私は貴族として正しくあるようにと小さな頃から育てられてきたはずなのに。
どうしてこれほどまでに濁った人間になってしまったのかは分からない。
ただ……これで全てが終わるのだと。
そう思うと心の底からほっとし、力が抜け、粛々と処罰を受け入れる心持ちになったのだ。
けれど。
あの時の私にとって予想外だったのは、その処罰が決して一瞬で終わるようなものではなかったことだ。
殿下は、私に対して愛はくれなかったが、その代わりに乱暴な仕草で永遠を手渡してきた。
牢獄で誰かが処刑日を伝えてくれることを心待ちにしていた私に、直接、そのことを告げたのは殿下に他ならなかった。
「……リーン。お前の罪は誰よりも深い。そのため、建国以来初めて適用される、永遠刑がお前には下された」
それは何だ、そう尋ねる間もなく、刑は執行された。
フアーブラでも指折りの魔術師五人が、城内の礼拝所で待っていたのを覚えている。
私は彼らが五芒星の形に並ぶ中心に存在する台の上に、祈るように立っていろと言われ、そうした。
直後、魔術師たちが強大な魔力を振るい、なんらかの術式を形成し始めた。
そして……。
かきり、と全てが止まった。
体を動かせず、声も出せず、息もできず、瞬きも無理で……。
けれど不思議なことに、意識だけはそこにあった。
固定された視線の先に王子殿下が立っていて、彼は言った。
「もはや意識もないだろう。お前はここで、永遠に刑を受け続ける。この国を貶めた悪女として、人々を教化し続ける……民は思うだろう。お前のようにはなるまいと。それによって、お前の罪は雪がれるだろう」
そして、彼は背を向けて去っていった。
待ってほしい。
意識が、ないだと?
意識はある。
私には見えているし聞こえているし考えることもできている。
ただ、体が全く動かせないだけで……。
しかしそれを伝えることは、全くできなかった。
この日から、私の地獄は始まったのだ。
永遠にここで、ただ一点だけを見つめる。
それだけが私に許される自由となった。
******
初めは絶望的だと思っていた。
私に許されたのは、ここで考えること、見ること、聞くこと、それだけなのだから。
まさに永遠の牢獄だ。
なぜ王子殿下は私にこのようなことを強いるのか。
恨みたくなった時もあった。
けれど、一年も過ぎると心は平穏になっていった。
一種の悟り、のようなものに至ったのかもしれない。
じたばたしても仕方がないのだ、と。
じたばたすることすらも出来ないので笑えてくるが。
それに、意外とここは暇ではなかった。
ここは礼拝堂であり、したがって人の出入りが結構ある。
礼拝堂の中心には私があるわけだが、私のちょうど背後に当たる部分には神を表すシンボルである十字架が安置してあり、それに祈りを捧げるために、神官や修道士、それに高位貴族や王族までもがやって来るのだ。
私は決して彼らと話をすることは出来ないが、人が来たと言うだけで、何かワクワクするような、そんな気持ちを抱くようになっていった。
しっかりと自らの足で動いていた頃は、決してこのような気持ちにはならなかった。
他人は煩わしく、邪魔にならないものだけが私にとって重要で、だからいらないものは道端の小石のように蹴り飛ばせばいいのだと、そう思って憚らなかった。
けれど今は……。
誰が来たとしても、一日に彩りが出る。
彼らの顔色を見て、彼らの人生を想像するのだ。それが私の楽しみになった。
私にはこの礼拝堂の外の出来事は何一つ分からない。
だから私にわかるのは、ここにいる彼らについてだけ。
そして彼らは、ここに来るときに、様々な感情をその表情の中に滲ませるのだ。
また、ここにたった一人でやってくる者たちは、懺悔をすることも少なくなかった。
この礼拝堂は城内にある関係で、修道士などの神官たちを除いては、高位貴族が主な使用者であるわけだが、そのために彼らがここに入っている間は貸切状態になる。
他人に決して懺悔の内容を聞かれないために。
昔の私は懺悔することなどまずなかったので、こうしてここに永遠に置かれる前は、来たことなど一度しかなかった。
その時に受けた説明によれば、ここで懺悔したければ、申し込めば貸切にできると言う話は聞いた覚えがあった。
実際に使う者などいるのだろうか、とずっと思っていたが、ここにいるとかなりの数の貴族たちがまさに貸切にして使っていることが分かった。
ここでの懺悔は誰にも聞かれることはない。
魔術によって、内部と外部は空間的に断絶していて、声が外に漏れることもないのだ。
だから安心してか、貴族たちは自らの罪を吐露する。
私が聞いた中で興味深かったのは、男性の貴族はそのほとんどが不倫や浮気について懺悔すると言うことだろうか。
フアーブラ王国においては、複数の妻帯も可能であるし、妾を囲うこともできるから、平民ならともかく貴族がそれについて何かを思う必要など通常、ないと言うのが私の認識だった。
しかし男性たちの中には、ただ一人の妻だけを愛することに執着し、家の存続のために妾などを囲うことを申し訳なく思っている者もかなりの数いることを知った。
彼らは妻に対してひどいことをしていると、自分が愛するのは妻一人だけなのだとしきりに神に懺悔する。
なるほど、深く強い愛情だ、と思うものの、同時にそれは彼らの妻以外の女性に対してひどい話なのではないだろうか。
愛を平等に注げとは、無理な話だから思わないけれども、家を共に作り上げる者に対する敬意くらいは持つべきであろうと。
ただ、やはり私はそんなことを彼らに伝える事はできない。
だから彼らのそんな話を聞いて、不満を覚えるだけ。
そんな日々の中で、たまに殿下のことやエミリーのことを考えることもあった。
殿下と私は婚約者だったわけだが、そこにエミリーという人間が現れたのは王立学園でのことだ。
エミリーは元々平民だったが、ある日、さる男爵の子であることが明らかになり、貴族となったという少し変わった経歴の持ち主だった。
もしも彼女が子爵以上の家の血をついでいたら、平民のまま留め置かれただろう。
ただ、その男爵家には彼女以外の血筋が残っていなかった。
男爵自身も高齢で、このままではお取りつぶしになる以外にない。
そんな矢先に見つかったのがエミリーで……。
この男爵家は非常に歴史が古く、国内でも知らぬ者はいない名家だった。
それだけにこの特殊なエミリーの扱いも許され、結果としてそのようなことになったのだ。
そして、エミリーは貴族としての高等教育を受けるために王立学園にやってきて……。
その後は、まるで絵本のような話だ。
貴公子との恋に落ちて、結ばれた。
それだけのこと。
問題はその貴公子が王子殿下であり、彼にはすでに私という婚約者がいて、だからこそ私が邪魔になってしまったということだろう。
エミリーはそのことを当初、認識していなかった。
王子殿下も特にエミリーには話さなかったようだ。
しかし最終的には周りがエミリーに伝え、その時に彼女が青い顔で私に謝りに来たのを覚えている。
あの時感じた怒りは、生まれてきて以来一度も抱いたことのない烈火のようなもので……多分、私はあの時に狂ってしまったのだろう。
エミリーに対する嫌がらせを始めてしまった。
それまでは耐えていたのだけれど、何かを大きく傷つけられた、そう感じたのかもしれなかった。
そして、日々は過ぎ去り、最後にはあの断罪によって、私の令嬢としての幕は閉じることになったわけだ。
とてもくだらない話だな、と思う。
それと同時に、今改めて考えるに、私はただの当て馬というか、二人の邪魔をしていただけなのだろうとも。
多分、側から見ると必ずしも私が悪いわけではなく、王子殿下が悪いのだ、と言ってくれる者も大勢いたと思う。
だから私がすべきだったのは、周囲に働きかけて、王子殿下の責任を追及するやり方だった。
それなのに私は我を忘れて、そう言ったことを怠った。
愚かだった。
そこまで愚かだったからには……私はそれなりに殿下を愛していたらしい、とこうなってから理解した。
今ではもはやそんな気持ちは枯れ果てたが、人の気持ちというのは面白いものだと、自分の人生もまた、永遠の退屈の前にはかなりいい暇つぶしになるのだと、少し面白かった。
******
「……リーン様。本当に、本当に申し訳ございませんでした……」
そんな声が聞こえた。
私の足元には、エミリーが跪いて、涙を流している。
もちろん、私は全く動くことなど出来ず、彼女の姿が見え、彼女の声が聞こえるだけだ。
エミリーは私が、こうしていまだに考えることが出来ていることなど知らない。
だからこれは彼女の独り言なのだ。
「言い訳に聞こえますでしょうが、私は殿下がこのようなことをされるとは想像もしておりませんでした……議会に無理に永遠刑を通したことを聞いた時には、どうにかやめていただけるようにお頼みもしました。ですがあの方は……。今日までここに来られなかったこと、それについても……。お前が行くような場所ではないと、そう言って……私が一番に来なければならなかったのに。私は、私は……」
彼女の口から出てくるのは、全て私に対する謝罪だった。
そのような必要など、ないのに。
私は確かに彼女に対する嫌がらせを繰り返していたのだ。
その結果として与えられた永遠なのだから。
そもそもエミリーは私に対して悪いことなど何もしていない。
強いていうなら、私の婚約者を奪ったこと、になるだろうが、そもそもエミリーは殿下の心を奪う前にそのことを知らなかった。
知ったのはその後、しかも彼女自身が殿下を愛するようになってから、だろう。
貴族社会の常で、そう言った話はあまり大っぴらにはされず、密やかに噂話として流れる。
ただ、エミリーは貴族社会、特に貴婦人や貴族令嬢が形作るそういったものにあまり近づけなかったために、知りようがなかった。
だから彼女が謝る必要などない。
けれど、エミリーはひとしきり私に対して謝ると、その後、決意をしたように立ち上がり、言ったのだ。
「……今からでも、殿下に対して刑の執行をやめるようにお願いして参ります。必ず、貴女様をこのような酷い所業から、お救いします……どうか、お待ちくださいませ」
別にいいのに。
そう言いたかったが、やはり声は出なかった。
******
「……リーン。お前は……そのような姿になってすらも、邪魔をするのか」
恨めしげな声でそう言ったのは、ジャック王子殿下に他ならなかった。
どうやら、エミリーは本当に彼に対して私の赦免を願い出たらしく、その顔は不機嫌さに彩られていた。
「思えば、お前が俺の婚約者となったその時から、俺の人生は歪んでいたのだろうな……。父上はあの時、俺に言ったのだ。お前のような不出来な人間がこの国を治めるには、リーンのような出来た女性が必要なのだと。なるほど、俺はお前の添え物らしいとその日理解した。そうでなければ俺は王にはなれぬ。王になれなければ、適当な爵位でも与えられることになって、最後にはそれすらも誰かに奪われのたれ死ぬ。そんな強迫観念からな。しばらくはうまくいっていた。お前も知っているだろう? 俺は中々いい婚約者だったはずだ……だが、エミリーに出会ってしまった。俺が心から欲しいと何かに対して思ったのは、その時が初めてで……だから、な。俺は色々やったんだよ」
そこから語られたのは、王子殿下がいかにして私を貶め、婚約者としての地位から排除するかの策略だった。
側から聞くとひどい話だ。
私はそもそも、エミリーに結構なことをしていた覚えがあるから、こうされることになんら不思議な思いはなかったが、そもそも一人の少女、それも自分より爵位の低い女性に対する多少の嫌がらせ程度で、これほどの刑罰が下されることは普通はない。
私はそれを、殿下のエミリーに対する深い愛の故に、と解釈していたが……ある意味それは間違いではなかったが、本当は私にやってもいなかった罪がたくさん着せられたから、というわけだったようだ。
なんだか妙なすっきりとした納得の感があった。
恨みや憎しみは……意外なほど湧いてこなかった。
今更そんなものを抱いても仕方がない。
そう思っているからだろう。
何せ、あの時からもう、三十年は経っている。
すでにジャック王子殿下は、ジャック国王陛下だ。
数日前に来たエミリーも、四十代の後半で、かつての面影も感じさせながらも、貴婦人として、また王妃としての気品と迫力を持ち合わせていた。
彼らには子供もいて、おそらく、二人には内緒で、ここに遊びに来ることもあった。
無邪気で、両親を愛していて、賢そうな子供たちだった。
男の子が二人、女の子が一人だ。
もしかしたら私にも、そんな子供たちが持てる未来が、かつてには存在したのかもしれない。
そんなことを思ったりもした。
だがそれは現実的な感情ではなく、ただ古くて甘い絵本を見て思うような、淡い感情に過ぎなかった。
今の私は、もう昔のことなど、何も気にしていない。
気にできるような感情は、すり減って時間のどこかに置き去りにされてしまった。
それなのに……なぜ今更、二人はここにやってきたのだろうか。
ジャックも。
私のことなど捨て置いていればいいのに。
けれど彼は続けるのだ。
「……俺を恨んでいるのだろう? 悪かったな……今なら俺は頷けるよ。父上の俺に対する評価は妥当だったのだとさ。リーン、見ろ。今の俺を。笑えないか?」
ジャックの両手は血まみれだった。
いや、身体中がそうだった。
誰の血なのかはわからない。
けれど、彼自身のものではないことは、彼が特段傷を負っていないことからもわかった。
「もうおしまいだ……エミリーも、もういない。お前の赦免を願っていたが……そもそもそんなことは不可能だ。永遠刑は、五大魔導が揃っていたあの時にだけ出来たことだ。解呪するにはあの五人が必要だが、彼らはどこかへと消えてしまった。それを伝えると、エミリーは気が狂ったようになって……俺はつい、やってしまったのだ」
何をか。
言うまでもなかった。
この男は……もう致命的なまでに違えてしまったのだ。
ただ、その原因は、その始まりは、私と無理に婚約させられたことにあった。
そう言うことなのだろう、と思った。
ーーバァン!
と、礼拝堂の扉が乱暴に開かれた。
そこからガシャガシャと鎧を纏った騎士たちが入ってくる。
騎士たちは中の安全を確認し、そして道を作るように礼拝堂の身廊の両側に剣を構えて立っていく。
そして、そこを一人の男性が進み出した。
その男性にはどこか見覚えがあった。
王立学院で私に断罪を告げた人に似ている。
そして、以前ここで遊んでいた子供の面影もある。
彼は、ジャックの元へと歩いてきて、剣を彼に突きつけていった。
「……父上、終わりです。母上を殺害された理由については、牢獄で聞きましょう」
「……俺は国王だ。俺が法だ」
「権力の掌握についてはすでに済んでいます。貴方に味方するものは、もはやこの国のどこにもいないでしょう……連れていけ」
そう言われた騎士たちは、国王に対するものとは思えない乱暴な仕草でジャックを引っ掴み、そしてどこかへと引っ張っていく。
ジャックの瞳は死んだように黒く染まっていて、口元には諦めたような嘲りのような表情だけが浮かんでいた。
ばたり、と礼拝堂の扉が閉まり、そこに私と、男性だけが残される。
男性は私に対して跪き、そして言った。
「……今までの貴女に対する所業を、父に代わって謝罪いたします。今後、貴女さまは、この国の守護聖女として列せられるでしょう。可能であれば、その御身を縛る呪いの鎖も解きたく思いますが、父の言葉は本当で……五大魔導たちの行方は分かりません。どうか、この国の今後を見守っていただければと思います。それと、母は……貴女に毎日謝っておりました。ここに来ることも父に禁じられていましたが、それでもこちらの方角を向き、いつも……そして貴女さまの学園時代の輝きについて語っていました。どうもあまり仲は良くはなかったようですが、貴女さまに対してした自分の所業を思えば、当然のことで、むしろその割に控えめでいらした、と。王妃という地位に立つべきは、自分でなく貴女こそがふさわしかったとも。そんな話を子供の頃に聞き、私は貴女さまのことが気になって、密かに何度もここに忍び込んでいたのです。私の初恋は、おそらく貴女でした。可能ならば私の妻に……と思いますが、今の私の力ではその呪いを解くことが出来ません。いつか、その日がきたら……そう願っております。では失礼いたします……」
******
フアーブラ王国国王、ジャックの処刑と、その息子の即位から十年ほどが経った日、彼の婚約が報じられた。
その相手は、傾国の悪女とも、王国の守護聖女とも呼ばれる女性で、その日、大いに国が湧きたったという。
少しでも面白い、面白かった、と思われたら是非、
下の☆☆☆☆☆を全て★★★★★にしていただければ感無量です!
ブクマ・感想・評価、全てお待ちしておりますのでよろしくお願いします。