人生という山においては、上ることよりも下ることに楽しみを見いださなければならない。
山というものは、頂上を目指して上って行くものだ。登るときが一番体力があり元気がある。だからすぐに疲れることもない。しかし頂上に近づけば近づくほど、疲れが出てきて苦しくなってくる。ただ高いところから様々な景色が眺められるようになり楽しくなってくるのもまた事実である。
苦しくても途中であきらめてはいけない。
苦しみは頂上に達したときの喜びを倍加するための昇華装置である。
苦しめば苦しむほど、頂上に達したときの喜びと達成感もそれに比例して大きくなっていく。
あなたは力を振り絞りなんとか頂上に達した。今までの努力が報われる瞬間である。
頂上にたどりついて喜び、楽しみ、その達成感を十分に味わった後には下山が待っている。そしてこの下山ほど苦しいものはない。頂上まで上った後だけに疲れも出てきている。ひたすら耐え続けることが求められる。
だからこそ山では、何にもましてこの下山が大切になってくる。これは人生という山にも言えることである。人生で絶頂を経験する。その瞬間は登山で頂上に達した時と同じように、ドーパミンが頭からバンバン放出されて、喜びと幸せに満ちていることだろう。
しかし下山のときは必ずやってくる。それを楽しめるかどうか。惜しむことなく、頂上の景色に別れを告げ、下山の景色を楽しみながら下ることができるか。その人の真価はそこで明らかになる。絶頂を経験した後に、頂上の景色に未練を残し、文句を言い、不幸を呪いながら山を下っていく人は非常に多い。過去を振り返ったときにも、絶頂の頃だけを懐かしく感じ、下山の過程だけはひどく恨んでいる人が多い。
しかし気概のある人は、頂上までの登山よりも、この下山をより楽しむ。「よしこれから下っていくぞ!」と頂上にたどりついたときよりも笑顔で元気よく下っていく。下山の過程でしか味わうことのできない景色や自然を思う存分貴重に楽しんでいく。人生において頂上に達した後は必ず落ちるしかない。その落ちる過程を楽しむことができる人間が地球上にどれくらいいるだろうか。
麓に戻ってきたときには、なんということだろう! 頂上に達したときよりも喜びに満ち溢れているではないか! 自分が無事に下山できたことを何よりの喜びとしている!
下山してもその人は歩みを止めない。次の新しい人生という山に狙いを定めている。下れば次は上っていくだけである。その人は次の山の頂上に達しても決して傲ることはない。なぜなら知っているからだ。人生という山においては、頂上の景色に劣らないたくさんの魅力が、下山の景色にもあることを。下山をより楽しむために頂上に上りつめる。
そんな人間にあなたはなれるだろうか?