バラ色の人生ではなく、イバラの人生を歩みなさい。
なぜバラ色の人生ではなく、イバラの人生なのか。
バラ色の人生と聞いたとき、頭の中に思い浮かべるのは、とても幸せで、完全に満たされている光景である。その人生には何の苦労もなく、欲しいものを瞬間的に手に入れることができ、何一つ不足しているものはない。薔薇の花の部分だけが抽出されて強調されている人生。茎についているはずのトゲはいつのまにか捨象されて消えてしまっている……。
バラ色の人生は幸せに満ちているだろう。しかしその人生にもいつか終わりが来る。苦労もなしに得たバラ色の人生だとその分終わりも早い。その先に待っているのはイバラの人生だろう。
しかし、このイバラの人生こそ、まさに私たちの歩むべき道である。生きていく中で多くの傷を負う。傷一つ負わずに甘い人生を送るなど、よほど裕福な家庭にでも生まれない限り不可能である。傷つきながらも目標にむかってただひたすら突き進んでいく。
そして数々の艱難辛苦を乗り越えた先に薔薇の花が待っている。苦しんだ分だけそこにたどりついたときの喜びもまた大きい。イバラの道を通ってきたからこそ、薔薇の花の本当の美しさを噛みしめることができる。
人生には常に新鮮な刺激が必要である。バラ色の人生にそれはない。イバラの人生にあるトゲだけがそれを与えてくれる。
もしあなたが「満身創痍で苦しくてもう耐えられない!」と思ったときにはぜひこのアフォリズムを思い出して欲しい。傷を負いながら最後に手にする一輪の薔薇に人生の全てが詰まっている。その薔薇を手にしたときあなたの負ってきたすべての傷も癒され、報われるに違いない。
イバラの人生を歩み、一輪の薔薇を手にし、ほんのひとときのバラ色の非日常を味わった後は、すぐにまた新しいイバラの道へと踏み出していこう。毎日がバラ色の日常ではそれが当たり前になってしまい、新鮮な刺激はなくなってしまうのだから。