第7話:循アガる
虹にせがまれた天道先生は冷蔵庫の中に残っていた適当な材料を使って料理を始めた。普段は虹が自分で作っているため、今日は完全に甘えているという事なのだろう。幼馴染と言ってもいい関係性でありながら、年も離れている虹にとっては姉と言っても変わりないのだろう。
天道先生が調理を続けている間、その背中に引っ付いているあさひちゃんはずっとこちらを見つめていた。幼い姿でありながら、その目つきから放たれる威圧感はかなりのものであり、少しでも迂闊な真似をすてば殺されるのではないかと思えてしまう程であった。もし彼女がエーテル体になっていなければ、既に何かされていたかもしれない。
「治ちゃ~ん。今日のご飯はなんじゃろな~?」
「さぁ~て何でしょ~?」
「あの、ちょっと虹……?」
「うん? どしたの~?」
「いやっ……ちょっとお話あるから向こう行かない……?」
「え~~立つのめんどくさい」
「いいからっ!」
渋々と言った様子で立ち上がった虹は、私に言われた通り食卓から出て居間の方へと移動した。
「どうしたのさ循ちゃん~」
「出来ればあの二人に聞かれたくなくてさ……」
「ぐへへ……姉ちゃん、ハッパ持ってんだろ? 頭に乗せてドロンしてーからよ……くれよぉ」
「怪しい取引みたいなのやめてよ! そうじゃなくって……」
私はあさひちゃんの持つ異常な雰囲気について虹へと話した。
彼女が元々どういった性格なのかは不明だったが、それでも彼女がこちらに向けている負の感情は異常であり、生前はその感情を自分へと還元出来るとんでもない才能の持ち主だった筈である。負の感情は正の感情よりも強い力を持ちやすく、発生もさせやすい。そんな彼女があの天道先生にメインテイナーの役割を継承したのは妙に引っ掛かるのだ。
「ん~どういう事?」
「私が虹を選んだのは、素質があったからなんだ。君にはこの力を正しく使える才能があったから継承させたの」
「や~ん照れちゃうなぁ」
「……それでね、私はあさひちゃんがどんな風に戦う子なのかは知らないし、亡くなった時にどんな相手と戦ってたのかも分からない。だけど、天道さんを継承者として選んだって事は似た部分があるからなんだよ」
「……二人とも可愛いからね~」
「見た目じゃなくて! 何と言うか……言いにくいんだけどね? 天道さんって、感情的になりやすい人だったりしない?」
「そんな事ないと思うけどな~。治ちゃんは昔からいっぱいいい子いい子してくれる人だったよ?」
虹の言う様に、私にも現段階では天道先生は悪い人には見えなかった。しかし、『あさひちゃんが継承させた』という点がどうしても心に引っ掛かってしまった。もし才能の無い、素質の無い人にメインテイナーとしての役割を継承させても大した戦力にならず、下手をすればあっという間に命を落としてしまい私や結、あさひちゃんの様な存在になってしまう。自分の命をどう思うかはそれぞれだが、少なくとも私はそんな形で人に死んで欲しくないのだ。
そんな私のモヤモヤを遮るかの様に天道先生の声が聞こえ、夕飯が出来た事を知らされた。虹は跳ねる様に食卓へと向かい、私もそれに引っ張られる様に戻る事となった。
「イェーイ! カレーだー!」
「こーちゃんイェーイ!」
「イェーイ!」
「スパイスから拘ってみたよ……っ!」
「流石治ちゃん……! プロだぜっ……!」
「……私虹がスパイス買ってないの知ってるからね?」
椅子へと座った二人は向かい合う様にして食事を始めた。あさひちゃんからの視線に耐えられるだろうかと不安になっていたが、幸いな事に天道先生の背中越しからカレーを覗き込んでいた。こちらに対する敵意よりもカレーへの興味の方が上という事なのだろう。一口運ばれる度にそのスプーンの動きを目で追っていた。
食事を終えた天道先生は二人分の食器類をシンクへと持っていき片づけを始めた。虹も一応手伝おうとしていたが、自分一人でやると止められていた。私としてもあさひちゃんの視線が再びこちらに戻っていたため、彼女の選択にはホッと胸を撫で下ろした。そんな私に虹が耳打ちをする。
「ねっ?」
「何?」
「優しい人でしょ?」
「うん……だと思いたいけど……」
その後片づけを終えた天道先生はすぐに帰り支度を初めた。まだ明日も学校があり、彼女にも都合があるため仕方のない事だった。虹もその事は理解しているらしく、特に駄々をこねる事なく天道先生とあさひちゃんを見送った。
見送った後に自室へと戻った虹は畳の上にゴロンと寝転がった。
「~♪」
「虹、あの人と別れたのって5歳の時なんだよね?」
「ん~そうだよ~?」
「……ねぇ、虹。ちょっとパソコンで調べてもらいたい事があるんだけど」
「え~? しょうがないな~」
以前仕事用のマイクやら何やらを繋げていたパソコンを持ってきた虹は、電源を入れると凄い速さで検索エンジンを開いた。
「す、凄い速さだね……」
「べべべべ別に何でもないよ!? デスクトップの『生物百科事典』は絶対開かないで! 本当に何でもないから! 別に何か変なものとか何も入ってないから!! 本当にただの百科事典だからっ!!!」
「露骨!! 別に君が何を見ててもどうこう言わないよ! ていうか見れないよ! 私こんなだもん!!」
「そ、そうだったね~……じゃあ何を調べたらいいの?」
「えっと……」
虹に調べてもらう事にしたのは12年前、つまり彼女がまだ5歳だった頃から現在に至るまでに世界で起きた事件に関するものだった。メインテイナーや高次元存在は一般人には見る事が出来ないため、派手に戦ったとしてもバレる事は無いが、その痕跡までも完全に消し去るというのは不可能に近かった。私の様に改変能力を持っていれば多少の偽装は可能だが、そういう力が無ければ必ずどこかに痕跡が残っている筈である。
かなり根気のいる作業であり世界中で起きた全ての事件や事故をまとめると相当な数になったが、その中で特に違和感があったのが、ある大学で発生した事故だった。
「虹、それ」
「何々~? 『空濾木大学陥没事件』?」
それは数年前に起きた事故だった。空濾木大学の入学式の日、突然校内のある場所で地面が陥没し、結果として大穴が開いたというものである。幸いにも怪我人は居らず、何と僅か一日で修復されたらしいのだが、その写真に違和感があった。
「この穴、変じゃない? 何か……くり抜かれたみたいな……」
「ボーリング調査でもやってたのかな?」
「範囲がデカすぎるでしょ!? 機材運ぶだけで一苦労だよ!」
キャンバス内に出来たその大穴はまるで円柱状の何かで無理矢理貫かれたかの様に綺麗な円形だった。もしこれが地盤沈下などの自然的な現象によってもたらされたものであるならば、普通はここまで綺麗な形にはならない筈である。何らかの意図を感じさせる事故だった。
「虹、天道さんの年齢は?」
「えっもしかして循ちゃんって教師好き……?」
「性癖の話じゃないよ!」
「冗談冗談。えっとあたしが今17だから~……今は22くらいかな?」
「丁度5歳差なんだね。もしこの事故が起きた大学が天道さんの話に出てた所と一緒なら……」
「そこでサンちゃんと出会ったって事だね」
「あさひちゃんね?」
もしもここであさひちゃんが死亡する様な戦いがあったのであれば、そこで二人は出会った事になる。しかしそうだとすれば、彼女は天道先生のどこに素質を感じたのだろうか。あさひちゃんがどんな力を持ったメインテイナーだったのか分からないため言い切る事は出来ないが、私個人の観点から見れば天道先生にはメインテイナーとしての素質はあまり無い様に思える。確かに虹と一緒に居る時は妙にテンションが高いが、教師として振舞っている時は全然そんな感じは無かったのだ。冷静で物腰の柔らかい優しい先生といった感じであり、あれが素であるならば向いていない様に見えてしまう。
もちろん、天道先生が私達に見せている全ての姿が嘘であり、本質はあさひちゃんと同じ様な負の感情を抱えやすい人物の可能性もある。それならそれでメインテイナーとしてしっかり戦えるという事であるため良いのだが、もし彼女が単純にあさひちゃんに憐れみを覚えて継承を受け入れたのであれば、待っているのは彼女の死という残酷な展開かもしれない。素質も無い人に継承させるというのはそういう事なのである。
「明日聞いてみる~?」
「……そうだね。あさひちゃんにも聞かなきゃいけない事があるし……」
「えっ……循ちゃんリアルでおねロリはちょっと……」
「私の事変態みたいに言うのやめてよ!! 虹の中で私ってそういう印象あるの!?」
「少なくとも寝てる年頃の女の子の中に入ってくるレズだとは思ってるよ」
「れれれ、レズゥ!? ちち、違うって! あ、あれは君しかいい人が居なかったからで!」
「ふーん。他にいい人が居ればそっち行ってたんだ?」
「ま、まあ素質の無い子に無理させる訳にはいかないしね……」
「ふーーーーーん」
「え、あ、あれっ? い、いやっ違うんだよ別に虹の事が嫌いとかそういうのじゃなくって……!」
「循ちゃん慌てすぎ」
「えっ……!?」
虹はニヤニヤと笑いながらパソコンの電源を落とし始めた。
「そんなにあたしの事好きなんだね~」
「ち、違っ……いやっ違わないけど、でも違くて!」
「冗談冗談。循ちゃんはノンケノンケ。はいはい。この話はやめやめ。終わり終わり」
パソコンを仕舞った虹は浴室へと向かい湯船に湯を張り始めた。
「…………ねぇ循ちゃん」
「な、何?」
「もしさ~あたしと循ちゃんが小さい頃会ってたらさ~……循ちゃんはあたしと友達になってくれたかな?」
「……どうだろう。少なくとも私は、君の事一人の人間としていい人だと思ってるよ」
「ほーん。そっかそっか」
洗面所から出ずに鏡の方を向きながら、鏡越しにこちらと目を合わせてきた。と言っても私は鏡には映らないため、私が居る位置に目線を向けているというのが正しいが。
「あたしはね。小さい頃でも循ちゃんと友達になれたと思うよ」
「そっか」
「うん。循ちゃんっていい人だしね」
「……そんな事ないと思うけど」
「あたしは結ちゃんと索ちゃんを倒そうと思えば間違いなく出来た。あのおっきいカニさんみたいにね。でも循ちゃんはそんな指示は出さなかった。結ちゃんを説得しようとしてた。だからいい人。きっと、いい人」
いつもと違う虹の雰囲気に私はただ戸惑うばかりだった。先程まで見せていたふざけた様子はどこにも無く、いつもの笑顔も無く、ただ真っ直ぐな瞳だけが私が居る位置を見つめていた。
「でも私はあの時、結達も巻き込んで殺した……あれしか思い浮かばなくて、自分だけならまだしも、皆まで……」
「ううん。循ちゃんはいい人だよ。とってもいい人」
虹は一呼吸を置くと小さく呟いた。
「……大好きだよ」
その言葉に驚き困惑していると、虹はクルリとこちらに振り返り、いつもの笑顔を見せた。
「やーい! 赤くなってやんの~!」
「はっ……えっ!?」
「いやぁ~流石にこの反応は言い逃れ出来ませんなぁ~。どう思います教授? うーむ、そうですなぁ……やはりこれはつまりそういう事でしょうなぁ……」
「えっ……えっ……」
「言ってやろー言ってやろー♪ あーした結ちゃんに言ってやろー♪」
「ち、違うって!? て、ていうか結だってそ、そっち系だから敵増やすだけですけど!」
「『結だって』?」
「あっ……」
「正体現しちゃったねぇ!!!」
「やっ……違……あ、あの……いやっ……」
「っかぁーーー!! モテる女はつれーわー!! っぱオーラが違うのかなぁーー!! っかぁー!!」
完全に調子に乗った虹は目の前でいつもの様に服を脱ぐと洗濯機に放り込み、浴室へと入っていった。いつもであればあまり離れられないため一緒に中に入っていたのだが、先程の事もあって気まずくなっていた私は離れられる限界ギリギリの距離を利用して浴室の外で待つ事にした。
扉が少しだけ開き虹の片目が覗く。
「な、何……?」
「入んないの?」
「入らない」
「何で~? いつもは入ってるじゃん」
「自分の胸に聞いてみれば!?」
「…………うん! 今日も元気に脈打ってるな!!」
「そういう意味じゃないよ!」
「ウソウソ。さっきはごめんね。あたしもちょっと寂しいからさ~入って来てよ~」
「……もう」
どうせ自分が入るまで意地でもしつこく構ってくるだろうと感じたため仕方なく中へと入る。
「や~ん。循ちゃんのエッチ~~」
「もう出るッ!!!!」