第4話:笑ったメインテイナー
結、索との遭遇から数日経ち、虹は家で休日を過ごしていた。あれから再び襲われるなどという事は無く、何度か校内で索の姿を目撃したりはしたがおどおどした様子で会釈をする程度であり、結は彼女の中に隠れているのか姿を現す事はなかった。
虹は宿題をさっさと済ませてしまうと食卓にあるテレビを点けて録りためていたという番組を消化し始めた。後ろからそれを見ていたが、やはり彼女が言っていた様にお笑い関連の番組がほとんどであり、その中で時代劇だけが異色な雰囲気を放っていた。
CMの間を見計らって問い掛ける。
「ねぇ」
「うん~?」
「虹ってこういうのも見るんだね」
「うん~好きだからね~」
「何で?」
「何でって?」
「いやっ……だって他はお笑い系ばっかりなのに、これだけちょっと異質というか……」
「あ~~そゆことね~。ほら、入浴シーンがエッチじゃない?」
「えっ君ってそういう……」
「どうだろうね~? まぁほんとはね~……」
彼女が時代劇を好きな理由、それは以前まで彼女と暮らしていたという祖母の影響だったらしい。幼い頃に両親を亡くした彼女を引き取って育ててくれたのが祖母だったそうだ。小さい頃からずっと一緒に過ごし、同じものを見ていた事によっていつの間にか好きになっていたとの事だ。
「じゃあ君の両親が亡くなってるっていうのは……」
「ほんとだよ? もしかして嘘だって思ってた~?」
「いやっ、その……結を騙すために言ったのかと思ってて……ごめん」
「いいよいいよ謝らなくて。そんな顔してても幸せは歩いて来ない~だから歩いて行くんだよねぇ。おっ始まった」
そう言うと虹はいつもの様にニコニコと笑顔を見せながら再びテレビへと視線を戻した。
早くに両親を亡くした彼女がこうして普通に過ごせているのも彼女の祖母のおかげなのだろう。ふざけまくる彼女を良い人として分類していいのか少し迷いはするが、少なくとも誰かに意図的に危害を加える様な事はしない人間だとは思える。あの時、結からあそこまでの殺意や敵意を向けられていたにも関わらず、虹は一切怯まなかった。それどころか、彼女の怒りを抑える様に立ち振舞っている様に見えた。私の希望的観測と言ってしまえばそれまでではあるが、悪い人間ではないのは確かだった。
録画をある程度消化した虹は少し伸びをするとテレビを消して居間へと向かった。居間の隅には蓋の開けられた段ボールが置かれており、そこから何やら機材を取り出し始めた。あまり詳しい訳ではないが、ミキサーやマイクなどの音響道具の様に見えた。
「ねぇ、何してるの?」
「ん~? お仕事~」
「仕事?」
「うんうん。ほら、もうお祖母ちゃんも居なくなっちゃったでしょ? だから自分でお仕事やらなきゃだしさ」
「いやっ、それはそうかもだけど仕事って……何するの?」
虹はケーブルの繋がれていないマイクを口元へと近付けると、目を細めて片腕を奇妙な動きで動かし始める。
「お祖母ちゃん他~界っ、家庭は崩壊っ、残るはあたし、孫世代っ! 困窮、自給、バイトは時給っ! 必要なのは己の時間っ、時代は在宅ワークさぁっ! YEAH~!」
「……」
「……という訳だね」
「どういう訳!? いまいち情報入って来なかったよ!」
「も~~。要するに、どっかでバイトしたら無駄に時間取られるでしょ? だからあたしは在宅で出来る仕事をしてるって訳」
「在宅でって……そのマイクとかで?」
「そう~そう~SO! YO見てろよあたしの神ぎじゅ~つ! YO上げろよ歓声大観衆~! HO~!」
「私一人なんだけど……」
ノリノリになった虹はテキパキと機材を繋げていくと、最後にケーブルをノートパソコンへと繋いだ。するとファイルから何かの台本の様なテキストを開き、それを読み上げ始めた。先程までのアゲアゲなテンションが嘘の様な落ち着いた雰囲気で話しており、目の前で見ていなければ他の人間が喋っているかの様な錯覚を覚える程の変化だった。
それを終えると今度は別のテキストを開き、それも読み始めた。これまた先程とはまるで別の人物が喋っているかの様な声色であり、声だけ聞くと大人の女性が喋っている様にも聞こえた。
それを一時間程行った彼女は完成した音声をネット上のどこぞのサイトへと納めると、立ち上がり台所へと向かった。
「あれが君の仕事?」
「SO! SO!」
「もうそれはいいから……」
「そう? まあ循ちゃんが言った様にあれが仕事だよ~。音声を納める。そういう仕事~」
「……そっか。驚いちゃった。君にああいう特技があるなんて」
「いやいや特技の内に入んないよ~。あたしの特技は何と言っても変身だからね~」
「いやそれは私が継承させたからだよ!!?」
台所へと入った虹は蛇口からコップに水を注ぐとそれを飲み干した。どうやら喉を潤すためにここに来たらしい。そういった事をやった経験の無い私には詳しくは分からないが、ああいった仕事が喉に強く負担を掛けるというのは何となく感じられた。
水を飲み終えた虹が居間へと戻ろうとするとチャイムが鳴らされた。虹が何の警戒も無く扉を開けてみると、そこに立っていたのは索だった。
「およ? 索ちゃんじゃん。どしたの~?」
「あっ、え、えと……あ、あの時はどうもご迷惑をお掛けしました。えっと本日はお日柄も良く……」
「索、余計な事は言わなくていい」
「……結」
「数日振りね?」
「……何しに来たの?」
「アンタには用は無いのよ。そっちの虹に用がある」
「……?」
「アンタよアンタ! 何他に誰か居るみたいな反応してんのよ! 居ないでしょうが虹なんて名前はアンタしかっ!」
「えぇっ!!? 虹ってあたしだけなんですかぁ!?」
「何の驚きよ! 少なくともここにはアンタしか居ないでしょうが!」
「冗談冗談~。ささっ入って入って」
結をこの家に入れるというのは少し不安だった。私は彼女の事はほとんど知らないのだ。以前去り際に課題を受けるどうのこうの言っていたが、不意打ちを仕掛けてこない可能性がゼロとは言い切れなかったのだ。そこまで信頼を置けない相手を家に平気で上げても大丈夫なのか気が気でなかった。
二人を居間へと通した虹はすぐに機材を片付けると、台所へと向かいお湯を沸かし始めた。
「ちょっと……ねぇ虹」
「どうしたの~?」
「いやっ、索はともかく結は信頼しても大丈夫か分からないよ。君だって前に会ってあの子がどういう人間か見たでしょ?」
「うんうん。見たね」
「あの子単体で何か出来るとは思えないけど、油断はしない方がいいんじゃないの? 家に上げるなんて……」
「循ちゃんは心配性だなぁ~。大丈夫だって~結ちゃんはそんな悪い子じゃないよ~」
沸かした湯でお茶を淹れた虹は急須とコップを盆に乗せて居間へと向かった。
索はあまり人の家に上がるという経験が無いのか落ち着きなくそわそわとしていたが、結から軽く背中を小突かれてビクッと姿勢を正した。
「や~おまたせ~。まさか二人が来るなんて思ってなかったよ~」
「あ、あのすみませんお邪魔だったよね……っ!」
「そんな事ないよ?」
「で、でもでも……さっき何か機械とかが……」
「あ~あれね。あたし実はロボット開発者なんだ」
「そ、そうだったんだっ……!」
「んなワケないでしょ!? 何アンタ信じてんのよ!? マイクあるの見たんだからね!」
「う、歌うロボットなのかも……」
「だとしてもマイク持たせる意味ある!? 内臓すりゃいいでしょ内に!」
二人のやり取りを見ていると、あの時は結が索を支配している様な感覚を覚えたが、実際には結の方が索に振り回されている様に感じた。索は臆病な性格ではあるが、変なところで図太い面がある様に思える。思い返してみれば、あの時も虹が用意したうどんを食べるという事に謎の固執を見せていた。どこか他の人とは違う感性を持っている子なのかもしれない。ある意味通常の感性に近い結からすれば実は操るのが難しい相手なのかもしれない。
「まあまあいいじゃない。それで~今日はどうしたの~?」
「アンタが出した課題の成果を見せに来たのよ」
「え?」
「アンタ言ってたでしょ、アタシには『笑い』が足りないって。アンタの実力を買って受けてあげたでしょ」
「……え、あれ信じたの? こわ……」
「ちょっとあれ嘘だったの!? アタシの独り相撲じゃないのよじゃあ!」
「あははは、冗談冗談。ちゃ~んと覚えてるし嘘じゃないよ~」
「……っんとアンタは……」
「さあさあそれで~どうなんだいっ? あたしの考え合ってたかいっ? 君の~思いはどうなんだいっ? SAYっ!」
「何のキャラよそれ……」
虹はマイクパフォーマンスをするかの様に右手を前に差し出し、結に返事を求めた。結は索の後ろで目を瞑り眉間に皺を寄せていたが、やがて小さく溜息をつき口を開いた。
「……そうね。まぁ、その……悪くはなかったわよ」
「一体何が~変わったの~? 一体何を~感じたの~?」
「…………ちょっとだけ、だけど……あの人の事、忘れられた……」
「それ即ちつまり~?」
「……あ~もうウザいわねぇ! そんだけよ!」
「YOYOYO聞いてたか~い? 結ちゃん変わったみたいだぜ~? 索ちゃんから見りゃどうなんだ~い? 君の思いを言ってみよう~SAYっHO!」
「え、えっと! ……く、縊木さんとっても素敵にYO~……! なっててとってもナイスだYO~……いぇー……っ!」
「GOOD! お前ら見たかこれが進歩っ! 信じる思いはそれ友情っ! 変われりゃ人生大往生っ! YEAHェ~……!」
「……言うほどさっきの返し上手かった……?」
ノリノリでリズムを刻み始めた虹は机の上に盆を置くとそのまま部屋の端へと机を移動させた。
「さぁ立ち上がれお前ら~! 成果を俺に~見せてみな~? GOッ!」
「えっえっ……!?」
「ちょっと循……何とかしなさいよ……アンタの後継者でしょ……」
「あ、うん。虹、ちょっと一回落ち着こう?」
「うるせぇっ!!! そんなんじゃラップでテッペン取れねぇぞ!!」
「誰もそんな事言ってないよ! 何で急にラップハマっちゃったの!?」
虹はリズムを崩さないまま索へと近付くと無理矢理立ち上がらせ、またマイクを向ける様な動きをする。
「君の~本名なんなんだ~い? あたしに事実を告げてごらんっ? SAY!」
「え、えっと……緋縅索ですっ……!」
「OK~! ダチの実力見せてみな~? 君の力で見せてみな~?」
「お、OK……!」
「ちょ、ちょっと索……?」
困惑している結の方を向き、索が下手な芝居を始める。
「い、いや~実は私ですね~、コンビニ店員やりたいと思ってるんですよ~っ……!」
「は? いやちょっと……」
「じゃあ私お客さんやるんで、く、縊木さんは店員さんやってください……っ!」
「何かコント始まってる!!?」
「カモンッ……カモンッ……!」
虹から手招きされた結はますます困惑し、こちらに助けを求める様な視線を送る。
「ちょっと循! マジで何とかしなさいって!」
「わ、私に振らないで!? え、えっと虹! も、もういいんじゃないかな? 結も変われたって本人が言ってるんだしさ!」
「いや~気に入らんわ~。俺そういう手ェ抜こうっちゅう態度嫌いやわ~」
「誰!? ほら結も困ってるから!」
「何かな~昔と比べてテレビ舐めとる奴増えとる気ィするわぁ~。嫌いやわぁ~」
「だから誰の真似なの!? もういいじゃん本人が変われたって言ってるんだから!」
「ティロリロリロ~ン。わ~ここがコンビニかぁ~」
「始まっちゃってるーー!?」
虹を止めるのは無駄だと考えた私は索の方を止めるために声を掛ける。
「索! 結が困ってるでしょ!」
「す、凄いな~こんなに品揃えがいいんだぁ~、へぇ~」
「何で頑なに続けるの!? いいよ無理しなくて!」
「あっ店員さぁ~ん。こ、こんにちはぁ~……っ!」
「何なのよぉ……何なのよぉ……」
「ほらもう結は降参状態だから! 終わり終わり!」
「…………」
「…………」
「…………?」
「あ、えっと……次、縊木さんが喋ってくれないと……」
「やんないわよぉ!」
「何が君にそこまでさせるの!? いいじゃん出来そうにないなら無理しなくて!」
コントロール出来ると思えていた索が虹の流れに乗せられたからか、結は完全に弱ってしまっていた。生前彼女がここまで弱弱しい姿を見せた事は覚えている限りでは一度も無く、それだけこの二人のノリが異常だという事なのだろう。実際私も異常だと思う。
「あ~やめやめ。こんなんじゃウチ入れられんわぁ。キミらより頑張っとる子ォらいっぱい居るんよ~」
「虹もやめてってそのキャラ!」
「……しょ~がないなぁ。ごめんごめん、ちょっといきなりはきつ過ぎたかな」
「結はこういうの慣れてないだろうし、やめてあげて……」
「うん。流石にやり過ぎたよ。ごめんね結ちゃん~」
「何なのよもう……嫌いよアンタなんか……」
「ご、ごめんね縊木さん……」
「アンタ後で覚えときなさいよ……!!」
「……!!?」
虹によって机の位置が戻され、結が落ち着くまで待つと索へとお茶が淹れられた。
「はい、どうぞ~」
「あ、ありがとう……っ!」
「結、大丈夫?」
「……みっともない姿見せたわね」
「いやっ、うん……ごめん」
「アンタが謝ってもしょうがないでしょ。……まぁ、いいわよもう」
索がお茶を啜る姿を一瞥すると結は虹へと口を開く。
「ねぇ」
「うん?」
「……アンタの言う通りだった」
「何が?」
「アタシ……あの人の事ばっかりで、他に楽しい事なんて無いと思ってた。あの人が居れば、他には何もいらないって思ってた」
「……」
「でも、アンタの言う通りだったわ……。アタシは、目を瞑ってただけ。他の物を見ようとしなかっただけだった」
彼女の性格から考えるに家族とも仲が良くなかったのかもしれない。家族でも何でもない筈の先人を異常とも思える程に信頼していたという事は、他に信じられる人間が居なかったという事でもある。既に死亡しているせいで、彼女の過去に何があったか探るのは彼女に聞く以外には無いのだろう。この世界で縊木結の事を認識出来ているのは、当時のメインテイナー達と現在のメインテイナー達くらいなのだから。
「それでどう? 世界ってさ、結構面白いでしょ?」
「……どうかしらね」
「え~?」
「アンタの考えは認めてあげるけど、世界どうこうは分かんないわよ」
「そう? 面白い事だらけだと思うんだけどな~」
「アンタより面白い奴居ないわよ」
その時初めて、私は結の笑顔を見た。笑顔と言っても口角が少し上がっただけだったが、それでもいつも怒っていた彼女がやっていると思えば、それは大きな変化と言えた。
索がお茶を飲み終えると結は家に帰ると言い始めた。索はもう少しここに居たそうにしていたが、どうやらまだ宿題が残っているらしく、それを結から指摘されると何も言い返せずに従った。
「え、えっと……ま、また来ても、いいかな……?」
「うん~いいよいいよ~。あたしはいつでも歓迎だよ~」
「あ、ありがとう……っ! あ、あのあのっ! 出来れば、お友達に……なれたらなって……!」
「何言ってんの~。もうとっくにお友達じゃん?」
「!」
「ほら索いい加減帰るわよ。アンタ頭悪いんでしょうが」
「に、苦手なだけだよ……!」
「何しょうもない見栄張ってんのよ! アンタが勉強出来ない奴だって知ってんだからね!? 授業中ずーっと教師から当てられやしないかってビクビクしてんでしょうが!」
「な、何で分かるの……!?」
虹が耳打ちしてくる。
「やだ聞いた奥さ~ん……? あの子、ストーカーしてるんですってよぉ? やぁ~ねぇ~……」
「ちょっと聞こえてるわよ!? 人の事なんだと思ってんのよ!」
「え~? …………芸人?」
「この子のサポーターですぅ~! アンタの隣のと同じですぅ~!」
「えぇっ!!? 師匠っ! 芸人じゃなかったんスかぁ!?」
「アンタまだそのキャラ引き摺ってたの!?」
これ以上付き合っているとキリがないと考えたのか、結は小さく溜息を吐くと一言「じゃあね」と告げ、家から帰っていった。
虹は二人の姿が見えなくなるまで見送ると居間へと戻り、再び機材を取り出し始めた。
「良かったね」
「うん?」
「結。あの子のあんな顔、見た事無かったからさ」
「あれが結ちゃんの本質だと思うな~。気を張りすぎちゃってるんだよ~結ちゃんは」
「ふふっ……そうかもね」
「そうそう~」
新たなテキストファイルが開かれる。
「ねぇ虹」
「何~?」
「君は……つらい事とか無いの?」
「ん~~まぁあるけどね~。ただ、人生楽ありゃ苦もあるさ、ってね」
「……そうだね。ずっとつらい事が続くなんて無いよね」
「うん。涙の後には虹が出るもんだよ~」
いつも誰かを笑わせようとしている彼女らしい考え方だった。祖母と一緒に暮らしていたという言葉から考えるに、恐らく彼女から教えてもらった思想なのだろう。虹の根本の部分にはその考えが根付いているのだ。そんな彼女からすれば、怒りの感情に支配されていた結は放っておけない存在だったのかもしれない。
「……素敵だね」
「循の方が素敵だよ?」
急にいつもと違うかっこいい声を出されたせいで少し硬直してしまう。
「へ……へ……?」
「……循ちゃんって結構こういうの反応しちゃうんだね~」
「き、急にそんな声出されたら誰だってビックリするよ……!」
「ふ~ん。循ちゃんって実はそっち系?」
「ちちちち、違うよ! なっ何言ってんの!? そんっ……そんな訳ないでしょ! だ、大体っ! 虹だってエッチなシーン見たさに時代劇見てるんだよね!? じゃ、じゃあ虹の方がやっぱりそっち系でしょ!」
虹は目を閉じ、眉をクイッと上げる。
「『女殺し』はあたしの方が上だぜ……」
「否定はしないの!!?」