第20話:頂を尋ねて
季節は八月になり、虹の通う学校は夏休みに入っていた。虹は一週間も家に引き篭もると宿題を全て終わらせ、他の全ての期間を遊びに費やせる様にしていた。こういった作業を行っている時の虹の集中力は目を見張るものがあり、普段からは想像もつかない程真面目だった。
そうして全ての宿題を終えた虹は索や雛菊、天道先生へとメールを送り、遊びに行こうと誘い始めた。しかし当然全員が虹の様にすぐ宿題を終わらせられる訳ではなく、天道先生にも実習生としてやらなければならない事があるためすぐに行く事は出来ないと返信されていた。そんな中で唯一誘いに乗って来たのは索だった。どうやら今日やるべき宿題を終えたため、時間が出来たとの事だった。
「来た来た来た来たね~~~~~~」
虹は凄い速さで携帯をタップするとメールを送り、服を着替え始めた。詳しいところまでは私には分からないが、虹にはお気に入りの服があるらしく、いつもよりテンションが高い時は特定の服を着る傾向がある様に見える。服のどこかに虹をあしらったデザインがある服が特にお気に入りらしく、実際今も裾の部分にそういったデザインが施されている上着を着ている。
虹は冷凍庫に入っていた凍らせた小型のペットボトルを何本かリュックへと納めると、玄関へと駆けて行った。
「よし行くよ循ちゃ~ん!」
「いやっ、遊びに行くのは分かったけどどこに行くの?」
「決まってんじゃん! 夏と言やぁ……山っしょ!!」
「山ぁ!? この暑い時に山なの!? 索は体弱いみたいだし別のとこにしなよ!?」
「大丈夫大丈夫~! お水もキンッキンに冷やしてるからさ!」
「体温とか水分云々の問題じゃなくて! 純粋に索は体弱いんだって!」
「甘えは許しまへんでーーーっ!!」
私が止めるのも聞かず、虹はペットボトルの入ったリュックを背負って家を飛び出した。外は真昼の真夏日という事もあって太陽がギラギラと輝いており、エーテル体の私には何の問題も無かったが普通の人間からすればかなりきつそうな気候だった。
虹は目的地だという日灯山へと向かうためにバスへと乗り込んだ。その日灯山という山は、大昔に信仰の対象になっていたという。そこまで標高が高い訳でもなく、普通に日帰りで登れる程のその頂きから見える景色は絶景なのだそうだ。標高が低いのに眺めがいいとはどういう事だろうかと疑問には思ったが、私が知らないだけでそういった場所もあるのかもしれないと一人納得した。
やがてバスは日灯山前にあるバス停へと停車し、虹は跳ねる様にして外へと飛び出した。元々信仰の対象だった山という事もあってか山道入り口はしっかりと整備されており、地図やら何やらを売っている売店などが建てられていた。
「とうちゃーく!」
「結構人が来る所みたいだね」
「そそ。山登り好きの間で結構有名みたいなんだよね~」
「見た感じそこまで高くもないし……これなら索でも大丈夫かな……?」
それからしばらくすると、次の便のバスに乗って索がやって来た。山に登るという事もあってか長袖長ズボンという見ているこっちが暑くなってきそうな服装をしており、背中に背負っているリュックは小柄な索が持つにはややアンバランスな大きさをしていた。
「お、遅れてごめんなさい日奉さんっ……!」
「や~いいよいいよ~。索ちゃんガチガチだね。ガチ中のガチだね」
「テ、テレビで言ってたの見たんだっ……! や、山はナメちゃいけないんだって……!」
「ごめんね索……そんな大荷物まで持たせて……」
「い、いえいえっ! だ、大丈夫です現夢さんっ……! これくらいはっ……!」
「その通り」
索の背中から結が姿を現す。
「一応アタシが鍛えてやってるからね」
「え~? ロープで打ったりとか~?」
「んな事するワケないでしょがっ! 普通にトレーニング見てやってんの」
「ありゃそうなんだ? あたしの中では結ちゃんって鞭とか似合うイメージだからさぁ~ロープも使うし~……」
「アンタの中のアタシ何なの!? どこぞの女王様か!?」
「く、縊木さんにそういう趣味は無いと思うよっ……! どっちかって言うとエ――」
「索ゥッ!! 吊るされるか自分で吊るか好きな方選びなさい!!」
「ヒェェ~~!? なななな何でぇっ……!?」
「……ねぇ私が言うのもなんだけど、登らないの……?」
「こいつぁいけねェ忘れてたゼ! よし皆! あたしに付いて来い!!」
虹の後に付いていく様にして怯えながら索が山道へと足を踏み入れる。私は憤っている結を何とか宥めながら二人の登山を後ろから見守る事にした。最近は色々な事があったため、たまにはこういうレクリエーションの様な活動も必要だろう。特に索と虹がこうして二人で居るというのは最近はほとんど無かった。索の性格的に、他のメンバーが居ない方が気楽に話せるだろう。
「結、落ち着いた?」
「はぁ……悪かったわね」
「あはは……索ってちょっと天然なところあるよね……」
「一緒に暮らしててもしょっちゅう感じるわ。アイツホントああいうところあるのよ。悪い奴じゃないんだけどねぇ……」
「だね。索は何というか……コミュニケーションがちょっと下手なのかも」
「そういう点じゃアイツもそうよね」
「虹の事?」
「そ。人の癇に障る事ばっか言うでしょ」
「いやっまあ……あれが虹流のやり方なんじゃないかな、うん」
虹がジャンプする様にして上からこちらに降りてくる。
「呼んだっ!?」
「うおっ!? 呼んでないわよ……」
「え~でも名前聞こえたんだけどな~」
「呼んでない呼んでない……ほらさっさと登りなさいよめんどくさいわね……」
「循ちゃんは呼んでない?」
「私も呼んでないかな……」
「う~~~ん? もしかして山の精霊さん的な?」
「いいから登れっての!!」
「ほら虹、索が待ってるよ」
「おっととそうだったそうだった~」
不安そうな顔でこちらを見下ろしている索の所へと虹が戻っていく。
「ったく地獄耳よねホント……」
「だね……」
虹と索は少しずつではあるが順調に上へと登り続けており、途中で何度か給水休憩を挟んでいた。驚くべき事に、索は給水は頻繁に行うものの足を痛めたりといった事は今のところ一度も無かった。結が言っていた様に彼女なりにトレーニングを積んでいるらしく、見た目や雰囲気から来る印象以上に逞しくなってきているらしい。
「凄いね索……」
「アタシが見てやってんだから当たり前でしょ」
「結、やっぱり索の事気に入ってるんだね」
「……まあ、アイツは不器用な奴だし、気が弱いからね。アタシみたいなのが居てやんないとどうなるか分かったもんじゃないし」
「そうだね……索はきっと一人だとダメな子かもね……」
「……昔のアタシと同じでね。あの人が来てくれてアタシが変われたみたいに、アタシが、アイツが変われるきっかけになれたなら、まあいいんじゃないかしらね」
以前も言っていたが、確かに結も不器用な子である。気が短い方ですぐに頭に血が上るため、傍で支えてくれる人が居るのと居ないのとでは大きく違うだろう。結と索は一見真逆のタイプに見えるが、不器用という点ではこれほどまでによく似ている。
「……そっちはどうなのよ?」
「え?」
「アイツよアイツ。イカレてんのは分かってるけど、アンタから見てどうなの? 印象変わったりした?」
「うーん……相変わらず先が読めない子ではあるんだけど、最近ちょっと思ったのは……実は寂しがり屋な子なのかなって」
「寂しがりぃ~? アイツがぁ~?」
「うん。今日もそうだけど、あの子って誰かと遊べそうってなるとすぐにメールしたりするんだよね。いつもは大抵私が付き合う事になるんだけど、こうやってたまに他の子と遊びたがるっていうか」
「確かにしょっちゅう索にメールが来てるわね……」
「どこまでが本当か分からないけど、あの子もう親族が居ないみたいなんだ」
「そういや言ってたわね、親がもう死んでるって……」
「お祖母ちゃんもね。だからその寂しさを紛らわせるために、ああやって必要以上に絡んだりしようとするんじゃないかなって」
もちろんこんなものは私の勝手な憶測に過ぎない。別にエスパーでもない私に虹が何を考えているかなんて分かる筈もない。だがしばらく一緒に暮らしていると、生前彼女を見た時とは違う印象を受ける。昔見た時にはいつも面白い事は何かを考えている少しおかしい子という印象を抱いた。しかし今の私は、彼女もまた一人の普通の人間に過ぎないのだと感じてしまう。当然、私の力を受け継ぐだけの才能も素質もあるのは間違いない上に、いい子だという印象は変わっていないが。
「……考え過ぎでしょ」
「かもね。あの子が考えてる事はきっとあの子にしか分からないだろうから」
そんな事を話しながら後ろを付いて行っていると、突然虹がこちらに向かって凍らせたペットボトルを転がしてきた。山道は当然坂道であるためコロコロとこちらに向かって来ており、別にぶつかる訳でもないのに思わず反射的に避けてしまう。ペットボトルはそのまま転がっていき、補助用に設置されている手摺の柱にぶつかり動きを止めた。
「ちょっと何すんのよ!?」
「大丈夫か君達っ!」
虹はタタタッと駆け下りて来ると私と結を守る様にしてキョロキョロと周囲を見渡し始める。そんな彼女の突然の行動に索は激しく困惑した様子でこちらに降りてきた。
「どどど、どうしたのっ……!?」
「虹、さっきのは一体……」
「危ないところだった……! 何者かが我々を狙っている……!」
「えっ!? う、嘘……気付かなかった……どこに居たの……?」
「索、構えなさい……」
「う、うんっ……!」
「皆、気をつけるんだ……! あたしから離れない様に……。突如落下してきたペットボトル! まるで我々の行く手を阻むかの様な動きであった! こうして日奉虹探検隊は、日灯山奥地に暮らすという未開民族の存在を、改めて確信したのである!」
「結局おふざけじゃないのよっ!!」




