第11話:二人の太陽さま
黄金の姿見が起こした空間歪曲現象は天道先生の働きにより見事に止められた。倒れてしまった時はどうしようかと思ったが、どうやら彼女がトドメに使ったあの技は『落陽』という名前らしく、自身が戦う時に使っている感情エネルギーを最大出力で放出して精密にコントロールする事によって初めて繰り出せるものだという。それ故に使用後は激しく消耗してしまい、あのように眠ってしまうらしい。
事件の後にやってきた休日、私と虹は天道先生とあさひちゃんが出会ったのであろう場所である空濾木大学へと出向いてみる事にした。本来、メインテイナーや彼女らが関わった事によって起きた現象は通常の人間には認識出来ない筈なのだ。それにも関わらず、あの大学で発生した地面の陥没現象はニュースにもなっていた。という事はつまり、一時的にあの場所でメインテイナーとしての力が弱まった、あるいは消えたという事になる。もしかすると死亡したあさひちゃんが天道先生へと力を引き継ぐ間に少しの間があったのかもしれない。
「何で外国だとお風呂場の事もバスって言うんだろ~ね~?」
「いやっ知らないよ……ていうか君、静かにした方がいいよ……」
大学へと向かうバスの中でも虹は当たり前の様に私に話しかけてきた。何も知らない周囲の人から見れば、一人で話している危ない人に見えるというのに虹は何も気にしていない様子だった。
「ほら、外でも眺めてなよ……」
「は~い。じゃあ窓の外を走る忍者遊びしよっと」
そう言うと虹はつまらなそうに窓の外へと目をやり、ぼーっとし始めた。彼女としては常に誰かと話していたいのだろう。索や結も誘うべきだっただろうかとも考えたが、これは純粋に私の疑問であるため彼女らにいちいち声を掛ける事はしなかった。天道先生に素質が無いのではないかという疑念は杞憂に終わったが、それでもなお、あの大学で何が起こったのかが気になっていた。何となくだが、あの大学に出来たという大穴は『落陽』によって出来たものではないかと感じていた。姿見を倒すために彼女があの技を使った時、まるで抉られたかの様な円柱状の穴が校舎を貫いていた。その形はあの大穴に似ていたのだ。
「空濾木大学前~空濾木大学前~」
「はいはーい降りまーす」
いくつかのバス停を乗り継いでいき、私達は目的地へと到着した。教育実習生である天道先生が現在在籍しているのが恐らくここであり、この場所で何らかの高次元存在を呼び出してしまう様な大量の感情エネルギーが発生し、あの大穴が出来る程の戦闘が行われたのだろう。
空濾木大学は見学をするのに申請は必要無いらしく、虹はまるで我が家の様にずけずけと敷地内へと入っていった。様々な学部が存在している中、天道先生が所属しているであろう教育学部の棟へと向かおうとする。
「あっちが教育学部みたいだね…………虹? 虹!? どこ行くのちょっと!?」
「え、いや~お腹空いたし」
「今っ!? 後にしなよ!」
「でも腹が減っては戦は出来ぬって言うし」
「戦もクソも無いよ! ちょっと見に行くだけなんだから! 後で食べていいから!」
「は~い」
違う方向へと行こうとしていた虹を引き留め、何とか目的の棟へとやって来た。周囲を色々見てはみたが当然何もおかしな所は無く、普通の大学の様に見えた。あの時一体何があって高次元存在を呼んでしまう事態になったのかは分からないが、少なくとも普通に見れば原因になる様なものは見当たらなかった。
「見た感じ変な所は無いみたいだね……」
「一個だけあったよ」
「ほ、ほんと!? どこに!?」
「大学なのに高校生が居る」
「……」
「……」
「……穴が開いた場所見に行こう」
「あれ、見えてない? あたしってもしかして幽霊?」
「はい、あっちだよ」
「恨めしや……恨めしや……」
「くどい!!」
意地でもツッコませようとしてくる虹をスルーして現場へ向かう様に指示を出す。ネットで見つけたニュース記事によると、大学の食堂前にある中庭でその穴は発生したらしい。中庭と言ってもそこそこの広さがあり、生徒達の憩いの場として使える様に木々やベンチが配置されているそうだ。今ではもう元通りになっているが、当時はこの中庭の中央に巨大な穴が出現した。恐らくここであの『落陽』を使わなければならない程の強敵と戦ったという事だろう。
「ここで感情エネルギーが増幅する何かがあった……? いやっ、単純に戦ってる最中にここに移動しただけなのかな……」
「美味しそうな草が生えてるもんね~」
「それでテンション上がったらもう草食動物だよ! 何かこう……イベント事があったとかさ……」
「それか向こうから仕掛けて来たかだね~」
「向こうから?」
「うん。ほら、こないだの時みたいにさ。あの時だって別にイベントなんて何も無かったじゃん?」
言われてみればそうである。虹が初めて倒した蟹型のものは雨によって沈んだ気分によるマイナスの感情エネルギーを求めてやって来た。瓢箪鳥は祭りによる楽しみの感情エネルギーを求めてやって来た。だがあの姿見はそうではなかった。あの時、幽見第一高校では大きな感情エネルギーが発生する事柄は元々無かった。それにも関わらずあれは空間の歪曲や接続を発生させてパニックや恐怖を引き起こした。
「考えてみれば今まであんな事無かった……まさか高次元存在も学習し始めてる……?」
「笑いっていうのは自分で作るものなんだよねぇ」
「だとしたらここも同じ事が……?」
「さぁね~。そんな事考えたって分かんないし、証明も出来なくない?」
「そうだね……今の私達じゃどうしようもないか」
「そそ。さっ! じゃあご飯にしようぜ~! ご飯ご飯!」
虹は相当楽しみにしていたのか跳ねる様にして食堂へと駆けて行った。彼女に引っ張られる様にして中へと入ってみると、休日という事もあってか人の数はかなり少なかった。休日にも学校に来ているのは恐らくゼミがある四年生か、一部の教員なのだろう。
適当な食券を買った虹はカウンターで料理を受け取り、壁際にある横長のテーブル席で食事を摂り始めた。その間、特にやる事の無かった私は何となく近くに置かれていた観葉植物へと目をやった。詳しくない私には何という名前の植物なのかは分からなかったが、日当たりのいい場所に置かれているからか青々と茂っていた。
その時、ふと私の目に奇妙な物が映る。
「あれっ?」
「どしたの循ちゃん~勝手に食べたら怒られるよ?」
「草食動物じゃないよ! そうじゃなくてこれ……」
観葉植物が植えられている植木鉢と壁の隙間に小さな紙が数枚挟まっているのが見えていた。エーテル体となっている私では触れないため虹に取ってもらうと、それは埃に塗れた数枚の紙片だった。メモ用紙か何かを千切って作った様な見た目であり、そこにはペンや鉛筆で文字が書かれていた。
『お話したい』
『お名前は?』
片方は汚い子供っぽい文字、もう片方は綺麗な文字で書かれており、何者かによる筆談の痕跡らしかった。
「おっ、これ治ちゃんの文字じゃん」
「えっ君、筆跡で誰が書いたか分かるの?」
「そんな訳ないじゃ~ん。治ちゃんのだから分かっただけ。だってほら、あたし達、ズッ友だョ……!?」
「普通は友達同士でもそこまでは無いと思うんだけど……。ま、まあいいや。じゃあもしかしてこっちは……」
私の予想は当たっていた。これはあさひちゃんと天道先生の間で交わされた筆談の記録だった。何故あさひちゃんが筆談という方法を取ったのかは分からなかったが、どうやら彼女は私達の様にここの大学を訪れ、天道先生に接触して継承のお願いをしたらしい。文字を書けている事からまだこの段階では死亡していないものと思われる。
『もしかして東雲さんが言ってた妹ちゃん?』
『この前うちに来てたよね? ねぇねのお友だち』
どうも天道先生はあさひちゃんの姉と交友関係にあったらしい。何らかのタイミングで家に遊びに行った際に、あさひちゃんは彼女の事を目撃していたのだ。その時にその素質を見抜いていたのかもしれない。
最後の一枚を見てみるとそこだけ走り書きをしたかの様に文字が大きく乱れていた。字体から見るに走り書きをしたのはあさひちゃんの方であり、その後に書かれている文字は邪魔でもされたかの様に文字の途中から線が伸びて途絶えていた。まるで横から誰かに押されたか引っ張られたかの様な線の動きだった。
「見て虹。もしかしたらこれが書かれたの、あの穴が出来た時なのかも」
「え~そうかな?」
「多分そうだよ。多分だけど……あさひちゃんは自分に何かあった時のために天道先生に事情を話そうとしてたんだ。でもその最中に高次元存在がやって来て、急いで戦いに行ったんだよ。走り書きなのはきっとそういう事だし、こっちの文章が変な途切れ方してるのもあさひちゃんに逃げる様に引っ張られたとか……」
「でもそれって憶測じゃない? 他の誰かが書いたのかもじゃん」
「天道さんが書いたんじゃなかったの!?」
「そっちの文字はね? でももう片方があさひちゃんっていうのは循ちゃんの憶測だよ。字がすっごい汚いお友達が書いたのかもよ?」
「大学生でこの文字だったらヤバすぎるよ!? 外でも姉の事を『ねぇね』って呼ぶのも大学生ならヤバイよ!」
「それ、あなたの感想ですよね?」
「絶対あの子だって!」
あまりにも文字が子供っぽすぎるのだ。それこそ大人が書く文字ではない。それに急に走り書きになったり文章が途中で途切れたりするのは何かがあった証拠である。これが鉢植えと壁の間に挟まっていたのもこれが吹っ飛ばされてしまう程の衝撃がここに加わったからだろう。わざわざ人為的に隠す理由が無い上に、あさひちゃんがメインテイナーとしてのプロ意識を持っていたのならバレない様に処分する筈である。
「意固地だな~。それ治ちゃんに聞くの~?」
「……やめとくよ。あさひちゃんもこれ以上聞かれるのは嫌がるだろうし、取りあえずあの人にはちゃんと素質があって、あさひちゃんもそれを理解して選んだっていうのが分かったからさ」
「じゃあそれ処分しとく?」
「ううん、持って帰ろう。別に何か役に立つだとかって訳じゃないけど、もし何かあった時のためにね」
「お手紙だから食べる感じ?」
「白ヤギさんでも黒ヤギさんでも無いよ!? もし何かあった時のためだよ!」
「何かって?」
「……あんまり考えたくはないけど、もし高次元存在が学習をしてるなら、これから先危険な事が増えていくと思うんだ。そうなると天道さんもいつやられるか分からない。あの人が亡くなったら、あさひちゃんは完全にこの世から消滅する事になる。もうあの子を覚えてたり認識出来たりする人は私達メインテイナーくらいしか居ないけど、でもあんなに小さいのに一人で頑張ってたあの子がそのまま無かった事にされるのは、何かちょっと……嫌だなって」
「……やっぱ循ちゃんってロリコン?」
「違うよ! 何でそんな私を変な人にしたがるかな!?」
「冗談冗談~」
虹はニコニコと笑いながら紙片に付いている埃を掃うと鞄の中へと仕舞い、残っていた料理を平らげた。食事を終えた虹は他に目的が無いため手早く食器を片付けに行き、そそくさと大学の正門へと向かった。彼女にとっては天道先生が通っている大学というだけでは大した興味も湧かないのだろう。天道先生と幼馴染とも言える関係性であり、虹にとっては近所に居たお姉さんなのだ。その思い出があるのは彼女が暮らしているあの街と家だけであり、この大学にはそれが無い。きっと再会したのが高校ではなくここであれば、あの時の様なはしゃぎ方はしなかったのかもしれない。
バス停で次の便を待つ間、ふと気になって尋ねる。
「虹はさ、将来の夢とかあるの?」
「ん~? あーどうだろね。どうしたの急に」
「いやっ何かやりたい事とかあるのかなって思ってさ。大学とかさ」
「あたしは大学はいいかな~」
「……お金?」
「ん~まあそれもあるけど~、あの街から出て暮らしたくないっていうかね~。わざわざ他所に行く理由も無いというか~」
「そうなんだ……」
「うん~。やりたい事とかそういうのってあたしには難しくて分かんないや」
本当なのだろうか。彼女が今生活費を稼ぐためにやっているあの音声収録を見ていると嘘をついているのではないかと考えてしまう。完全に別人に聞こえるレベルでの変声を得意としているのを見ると、ずっとそういう練習をしていた様に思ってしまう。それこそ腐らせるのがもったいない才能だと素人の私でも分かる程に。
「……循ちゃんのせいじゃないよ」
「え?」
「あたし別にさ、メインテイナーになって後悔とかはしてないからね~。それだけは勘違いしないで欲しいかなって」
「あ、ああうん。そう言ってくれて嬉しいよ」
「あたしは本当にやりたい事が無いんだよ。ていうか、何かやってもあんまり意味無いっていうかね~」
「どういう意味?」
「見せる人が居ないからさ~」
「見せる人?」
「……海王星人にも冥王星人にも会いに行けないからな~」
「見せたい相手の規模がデカすぎない!?」
「いひひっ……あたしは日奉だよ~? 日だよ日! 太陽だよ! あたしに比べれば小さいでしょ!」
何故だろうか。いつもの彼女と比べて何か違和感を感じる。何かを隠しているのは確かだが、それが何なのかが分からない。サポーターとしていつも傍に居るというのに未だに虹が何を考えているのかが完全には見えてこないのがもどかしい。いつか彼女の全てが見える日が来るのだろうか。
「ん~母なる太陽であるあたしからすればどの惑星に住んでる人も皆等しく子供なんだな~。ビッグマザーって呼んでもいいよ?」
「いやっ呼ばないよ……。ていうか、冥王星も入るんだね」
「うん? 何かおかしかった?」
「私の記憶が正しければだけど、冥王星って2006年には太陽系から外されたんじゃなかったっけ」
「循ちゃんそれは惑星差別だよ! あたし的には冥王星もケレスもハウメアもマケマケもエリスもぜ~んぶ子供なのサっ!」
「そ、そっか。虹って惑星とかも詳しいんだね」
「そんな特別詳しくはないけどね~。HD131399Abとか知ってるだけで普通だよ普通」
「いやっそれを詳しいって言うんだよ!? 何その聞いた事無い名前!?」
「マジで白夜ってる星だよ~ケンタウルス座の方角にあって大気には水素、ヘリウム、水、メタンが混ざってて――」
「専門レベルの話し始めた!? い、いいよ説明しなくて! ちょっと聞いてみただけだから!」
「そんな心構えでいいのかッーー!? そんなんじゃメインテイナーのテッペン取れねぇぞッ!!」
「要らないんだよメインテイナーにそういう知識はっ!!」
「え~マジマジのマジ~? マケマケのマケ~?」
「……やっぱり虹、惑星とか宇宙系好きでしょ?」
「は? 別に好きじゃないんだが? あ、あんたのために調べたんじゃないんだからね! 勘違いしないでよねっ!」
「何で急に雑なツンデレしだしたの!?」




