第1話:私は循、君は虹
私は彷徨っていた。今の私を見る事が出来る人間など同類くらいしか居ないだろうが、もし同類以外の人間が見れば、今の私は幽霊か何か見えるのだろう。夜空を浮遊する人間などそう見られても仕方がない。
何故こうなったかと説明するとなると話が長くなる。簡単にまとめてしまえば、世界のためだ。この私達が住む脆弱な世界を守るためにはああするしかなかった。その結果、私を含めた数人がこうなってしまった。そして新たな危機に対処するために、今こうして後継者の下へと急いでいるのである。
その家は他の民家から離れた場所に建っており、恐らく古くに建てられたであろう日本母屋である。ここに住んでいる少女であれば、十分私の代わりを務めてくれる。その確信があった。
「お邪魔しまーす……」
壁をすり抜けながら別に誰に聞こえている訳でもないがつい癖で言ってしまう。玄関も廊下も完全に電気が消されており、対象も含めた全員が既に床に就いているらしかった。今こそチャンスだと思い彼女の気配を探知しながら障子をすり抜けると、畳の上に布団を敷いて眠っている少女の所へと辿り着き、その体へと飛び込む様にして一体化する。
真っ暗な空間に、対象である少女が立っている。綺麗な黒髪を背中まで伸ばしており、その表情はニコニコと笑っていた。
「いらっしゃいませ~」
「……あれ? 驚かないの?」
「何が?」
「いやっ……だってほら、急に夢に知らない人出てきたらびっくりとかしない?」
「ん~別に?」
少女は真っ暗な空間の中に突然テレビとゲーム機を出現させたかと思うと見た事のない作品で遊び始める。それを見てやはり彼女であれば適任だろうと確信する。
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「何~? お菓子なら好きなだけ食べていいよ~」
自分の手にはいつの間にか駄菓子が握られていた。
「いやっそうじゃなくて……単刀直入に言うと、君に『維持者』としての役割を引き継いで欲しいの!」
「明太子ナウ?」
「いや明太子ナウじゃなくて……『メインテイナー』。分かりやすく言えば魔法少女ってやつだよ。君も小さい頃テレビとかで見た事あるんじゃないかな?」
「ん~~学校の子が話してたのは聞いた事あるよ。うちじゃ見てなかったから分かんないけど、アレでしょ? 時代劇で言う『かげろうお銀』みたいなものでしょ?」
「かげろうおぎん……? それはちょっとよく分からないけど、要はこの世界を悪者から守るの」
「悪者って悪代官とか~?」
「何時代!? いやいやっ……えっとじゃあ、説明するね?」
頭を働かせてなるべく噛み砕いて説明しようと目を閉じ頭の中で情報を整理しながら話を始める。
「私達メインテイナーは人が持つ感情のエネルギーを糧にして戦うの。そのエネルギーをエーテルエネルギーに変換して……ってそれは後でいいか。それでね、実は人の感情エネルギーを糧にしてるのは私達だけじゃないんだ。別次元……平行世界って言えばいいのかな。そういう所から高次元存在がそのエネルギーを狙ってやって来てるんだ。中には無理矢理人間の感情エネルギーを増幅させようとする悪い奴も居る。そういうのを放っておくと――」
ふと目を開けるとテレビとゲーム機が消失しており、さっきまで遊んでいた彼女は布団を出現させて横になっていた。
「話聞いてたっ!!?」
「も~お話が長いよ~」
「いやっ君冗談だと思ってるのかもしれないけど、本当だからね!?」
「そりゃそんな服着てる人なら冗談じゃないんだろうね~冗談みたいな恰好だけど」
今の私はエーテル体となって何とか形を保っている状態とはいえ、死亡した時の恰好であるフリフリの戦闘装束であるため冗談の様に見えるのだろう。
「分かったよ~あたしがやればいいんだよね?」
「えっ、うん……い、意外とちゃんと聞いてくれてた感じ?」
「うんうん。わざわざあたしを選んでくれたんだよね~?」
「そうだね。前から後任は君がいいかなって思ってた。ほら、君って学校とかでよく友達を笑わせてたりするでしょ? 君自身もよく笑う子みたいだし、適任かなって思って」
「嬉しいね~すっごい評価してくれるね~。やる気出ちゃうな」
「本当!? 引き受けてくれてありがとう! えっと、それで力の使い方なんだけどね?」
「また明日ね~」
「はっ、えっ!?」
私の後継者になってくれた彼女が寝そべった姿勢のまま笑顔でこちらに手を振ると、突然全てが真っ暗になり何一つ視認出来ない状態になってしまった。体を動かそうにもここが完全に彼女の無意識下であるからか指一つ動かせず、そのまま朝を待つしかなかった。
「……ん、あれっ朝……?」
いつの間にか意識が落ちており、次に意識が戻ったのは彼女の咀嚼音が聞こえた時だった。私は浮遊霊の様に彼女の背後に浮かんでいたが、これは別に驚く事ではなかった。私の前任者も私の背後にこうやって浮かんでサポートをしており、私が死亡した際に成仏する様に姿を消した。メインテイナーがいつ頃から存在しているのかは分からないが、それが一つの決まりの様なものなのだろう。
「ん~おふぁお~。ぐっふひへっふへは?」
「口の中の物飲み込んでからにしてくれる……?」
「っ……ぐっすり眠れた?」
「眠るっていうかそうせざるを得なかったというか……。ねぇ、昨日の事だけど本当に良かったの?」
「いいのいいの~別にまほーしょーじょだっけ? そういうのやって何か減る訳じゃないんでしょ?」
「それはまあそうだけど……」
「じゃあいいのいいの~。あたしは日奉虹って言うんだ」
「虹ね。私は現夢循。日奉って初めて聞く苗字だけど……」
「うん。何かね~お婆ちゃんも言ってたよ~。結構珍しい苗字だって」
「お婆ちゃんが居るの?」
「一緒に住んでたんだ~。もう死んじゃったけどね。今はあたしだけ~」
「えっ……ごめん……」
「気にしないでいいよ~」
虹はあっという間に食事を終えると洗面所へと向かい、鏡で確認しながら髪を結び始めた。何とゴムを10個も持ち出しており、頭部の様々な場所で結び始めた。まるで彼女の頭という幹から枝分かれしているかの様な髪型だった。それをしている間も虹はクスクスと笑い声を漏らしており、おかしくて堪らないといった様子だった。
「ちょっと、結びすぎじゃない?」
「え、でもさ、木とかが枝を色んな方向に伸ばすのも光合成を効率良くするためだよね?」
「うん」
「そういう事だよ」
「どういう事!?」
「ど~ゆ~ことだろね~ど~ゆ~ことだろね~」
虹ははぐらかす様に妙な歌を歌い始めた。何か裏の理由を隠しているというよりも、特にこれといった答えを用意していないためそれを誤魔化すために歌い出したといった感じだった。内心、彼女に任せて本当に良かったのだろうかと少し不安になってきたが、一度彼女の了承を得て魂と一体化した以上、最後まで信じて付き合うしかなかった。
髪を結び終えた虹は高校の学生服に着替えると、学生鞄を肩に下げ玄関を開ける。
「ありゃ、雨」
「結構降ってるね」
「…………とぇーーーーーいっ!!」
「はっ!!?」
何と虹は傘も持たずに大きくジャンプし、地面に勢いよく着地した。そのせいで泥があちこちに撥ね、彼女の靴やスカートはいきなり汚れてしまった。
「何やってんの!?」
「や~雨降ってたから」
虹は照れ臭そうに笑う。
「だから何!? 何がどういう理屈で雨降ってたから飛び込もうってなるの!?」
「循ちゃんはさ~『雨に唄えば』って知ってる?」
「え? いやっ名前くらいは聞いた事あるけど……」
「つまりはそういう事なんだよね」
「だからどういう事!?」
虹はニカッと笑うとダンスでも踊るかの様にクルクルと周りながら敷地内を移動し、道へと出ると端に寄ってタップダンスを踊りながらものの見事に水溜まりを連続で踏み抜いていった。幸い自分はエーテル体として彼女の魂に固着しているだけなので撥ねてくる水が掛かるという事は無かったが、何度も水が撥ねてくるというのは正直いい気持ちではなかった。
「ねぇ虹」
「何何?」
「ちょっと……それ止めてくれない?」
「えっ? 循ちゃんどうせ幽霊だから掛からないでしょ?」
「いやっ……そういうアレじゃなくて……。ほら、周囲の目とかもあるしさ……」
「えっ? でも循ちゃんどうせ周りからは見えてないんだよね?」
「いやいやっ……そうだけどさ、常識的に考えてさ……」
「えっ? そんなの個人の勝手だし、どうせ循ちゃんは――」
「その『どうせ』って言うのやめない!? 何かすっごい馬鹿にされてる感じする!」
「は~い」
虹は相変わらずニコニコと笑いながら適当な返事を返すと水溜まりの中にがっつりと足を浸けてそれを眺め始めた。彼女が何を考えているのかさっぱり分からないが、恐らくどれだけ深く考えたところであまり意味は無いのだろう。仮に意味があったとしても、それを私が推し量るのはほぼほぼ不可能なのかもしれない。
虹はぐちゃぐちゃになった靴を鳴らしながら学校へと向かっているが、他の生徒達は彼女が傘を差していないにも関わらず、それを助けようとはしなかった。普段からこういった行動をしているのであろう彼女に無意味な事をしようとは考えないのだろう。
「ねぇ循ちゃん」
「何……?」
「循ちゃんって、うちの高校なの?」
「私は違う所だよ。夢川高校って所。まぁ、もう関係無くなっちゃったけど……」
「どういう意味?」
「メインテイナーは死亡すると私みたいにエーテル体って呼ばれる状態になるの。こうなった時点で、私達がこの世界に存在してたっていう情報は消去されるんだ」
「でも居るよね~? これって矛盾じゃないかな~?」
「私もどういう理屈でそうなるのかは分からないけど、私の戸籍も知り合いの記憶も消される。今私の事を知ってるのは、私自身と虹だけって事だよ。表の歴史からは完全に消される。そういう決まりなの」
「雨って美味しいのかな?」
「話聞いてた!?」
虹の興味は既に別のものへと移っていた。単に彼女の興味が薄れた結果別のものへ意識が向いていたのか、それとも一つの事に集中するのが苦手なのかは分からないが、彼女にあまり難しい話をしても理解はしてくれないだろうというのは確かだった。
虹は空を見上げながら口を開けて雨を飲みながら学校へと辿り着いた。ここ『幽見第一高校』には何度か寄った事がある。もちろん虹を観察するためだ。もしも私が死亡してしまった場合に備えて、私が先代から引き継いだ特性を最も上手く使いこなせる素質がある人を探していたのだ。その時に下校中の彼女を見かけた。周囲の人々を笑顔にさせる不思議な魅力と才能があった彼女こそが適任だと感じたのだ。
「おっ?」
高校の敷地内に入った瞬間、虹が足を止める。その理由は自分にもすぐに理解出来た。急に降水量が跳ね上がったのだ。私の体に雨粒が当たる事は無かったが、実体のある虹にとっては痛みを感じるであろう降り方だった。
「今日は神様感動ものドラマでも見てるのかな?」
「ふざけた事言ってる場合!? 既に仕掛けられてる!」
敷地内を見渡してみると、金属製の何かが落ちていた。何かのロボットの足を思わせる形状であり、こちらが目視した事に気が付いたのかフワッと空中に浮かび上がった。空を見上げてみると町中の様々な場所から飛来したであろうパーツが空中で合体し始めており、やがて巨大な蟹を思わせる形状へと変化した。それの口からはブクブクと泡が吐き出されており、その泡が空中で弾ける事によって広範囲に急激な降雨を発生させていた。
「見て虹! あれが私が言ってた高次元存在! 別の世界から感情エネルギーを求めて侵略してくる存在!」
「凄いね~カニ鍋めちゃくちゃ作れるじゃん」
「今食欲!? ああもうっ……ほらこれ持って!」
私は手元から以前使用していた星の装飾が付いたステッキを出現させ、虹に手渡す。
「何これ?」
「それは変身用の道具。まあ武器としても使えるけど……とにかくあれと戦うには変身しないといけないの! じゃないと力が使えない!」
「え~~……その服着るんでしょ? あたしそういうのはちょっと……」
「何でここで冷静になるの!? その冷静さは普段発揮してよ!!」
「しょうがないなぁ……どうすればいいの~?」
「そのステッキに意識を集中させてみて。頭の中に踊りのイメージが浮かんでくる筈だよ」
虹はステッキをジーっと見つめたかと思うと、それを天高く掲げて踊り始めた。メインテイナーが戦闘装束に変身するには古来より伝わる神下ろしの舞踊を踊る必要があるらしい。これに関しては私も先代の人から教えられた事であるため、何故これで変身出来るのかは不明だったが事実これで変身出来るのだから細かく考えない様にしていた。
虹は『名は体を表す』と言わんばかりにカラフルな装束を身に着けていた。中にはどういった意味合いがあるのか不明な謎のヒラヒラした装飾も付いており、変身し終えた彼女はクルリと回るとポーズを決めた。
「この装束が目に入らぬかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「うるさ……。うん、何とか上手くいったみたいだね」
「何か踵高いな~~……動きにくくない?」
「虹の無意識下が反映されるからこっちに文句言われても……。それよりほら! 早く何とかしないと!」
「何とかって?」
「いい? 私も先代も虹も、同じ力を受け継いでるの。多分君は私達よりも上手く使いこなせると思う」
「早く教えて~雨が当たって痛い……」
「君が受け継いだのは小規模な現実改変能力。頭の中で思い浮かべてその方向にステッキを振れば、ある程度は実現するの。あくまで小規模だから出来る範囲に限界はあるけど、虹には素質があるからきっとすぐに使える様に――」
「晴れろ~~……」
鬱陶しそうな声を上げながら虹が上空へステッキを振るうと、一瞬にして空に広がっていたものが消し飛んだ。あの蟹型の高次元存在も雨雲も何もかもが消えてなくなり、雨など嘘だったかの様に綺麗な青空が広がっていた。
「………………はい?」
「お~ほんとだ。快晴お日様燦燦日和って感じだね~『サン』だけに」
「えっえっ……いやっ……今、何したの?」
「何って~循ちゃんが言った通りにやったよ?」
「嘘でしょ……」
私の見立ては大きく外れていたらしい。彼女は素質があるなんてレベルを超えている。いや、それどころかメインテイナーとして他の人間より大きく逸脱した才能を持っている。私も先代も物体を出現させたり、ちょっとした確率の改変を起こすくらいしか出来なかった。超常的な現象を引き起こすには様々な改変を連続させて、結果的に発生させるという手法を取る必要があった。彼女の様に一発で雨雲を消し飛ばすなどというのは、天地が引っ繰り返ろうとも自分には出来ない芸当だった。
「えっと~~これで終わりかな?」
「そっ、そうだね……うん。取りあえず、さっきの蟹みたいなのはもう来ないと思うよ。というかどうなったのかも分からないんだけど……」
「そっか。う~~ん、カニさんだけは残って欲しかったな~。絶対カニ鍋出来るよいっぱい」
「まだ諦めて無かったの!? 朝ご飯食べたじゃない!」
「いや~クラスの皆にお土産にね?」
「びっくりするよ朝から蟹持って来たら! 朝から太っ腹すぎるよ!」
「カニ美味しいと思うんだけどな~」
戦いが終わったという事もあって彼女の戦闘装束を解除する。変身する時は彼女本人の意思が必要となるが解除はこちらで自由に行えるのだ。これはメインテイナーが力を悪用しない様にするための措置らしいのだが、これまたいつ誰が作った措置なのか分かっていない。
「うぇ~靴ビショビショ~……」
「君が自分でやったんじゃん……」
「そうだけどさ~……急にビショビショになるのと次第にビショビショになるのとじゃ気持ち的にも違うじゃん?」
「そうかもしれないけど……」
「あっねぇねぇもう一回――」
「ダメ」
「まだ何も言ってないよ?」
「どうせ『力を使って濡れてない靴に書き換える』とか言うつもりだったんでしょ?」
「やば、エスパーだね。いやん」
「ちょっとやめてよ! どうせ君の事だからそんな事だと思ったの!」
「『どうせ』って言い方失礼じゃない?」
「少し前の君にも聞かせて上げなよその言葉……」
私利私欲のために力を使えないと分かった虹は観念したのか靴をぐっちょぐっちょと鳴らしながら玄関の方へと歩き始めた。恐らく校舎に入れば濡れているのは彼女だけだろう。高次元存在が倒された場合、それによってもたらされた現象は全て無かった事になるのだ。ただ一人、戦ったメインテイナーを除いて。
「ね~循ちゃ~ん」
「ダメだよ」
「いや靴はもういいんだけどさ~。あたし、クラスの人に見られたりしたんじゃない?」
「ああ、それは大丈夫だよ。変身してる間の君の姿は同じメインテイナーか私にしか見えてないから。だからこういう活動をしてるって事がバレる事は無いから安心して」
「そっか。良かった~。あんな恥ずかしい恰好してるとこ見られたら白い目で見られちゃうところだったよ~」
「散々登校の段階で見られてたよ白い目で! 傘も差さずに雨で大はしゃぎするヤバイ人だったよ!!」
「へへっ……てやんでえ、べらぼうめェ……!」
「何を誇らしげにしてるの!?」
まるで何を考えているのか分からない虹とこれからも一緒に行動しなければならないのは骨が折れそうだったが、彼女ほどあの力を使いこなせる人間は他に居ないのも事実だった。これからも彼女のサポートをするのは大変だろうが、彼女を選んだ私の目に狂いは無かった様だ。
「あっ」
「どうしたの?」
「循ちゃん笑ってるな~って」
「そ、そうだったかな……?」
「そっちの方が可愛いよ~」
虹は靴下で上履きを湿らせながらぐちょぐちょと教室に向かった。
「可愛いって……」
「そういうニヤケ顔はちょっとアレだけどね」
「一言多いんだよっ!」