商人が来た
小屋に帰る頃には外は薄暗くなっていた。
羊の柵を作ろうかと思ったが、明日でいいか。
「お疲れジルベール。それじゃあ腹も減ったしメシにするか」
だがジルベールは茂みを睨みつけたまま、動こうとしない。
一体どうしたのだろうか。
不思議がっていると、ジルベールは物陰に向かって吠えた。
「何者だ! 姿を見せよ!」
「にゃあっ!?」
すると物陰から悲鳴が上がった。
おわっ! びっくりした。なんだなんだ? 何かいるのか?
おっかなびっくりで草むらを覗き込むと、小さな人影がゆっくりと身体を起こす。
「あたたたた……」
そこにいたのは獣耳と尻尾を生やした少女だった。
これは……獣人だ。
獣人とはこのゲームに存在する種族の一つで、高い身体能力を持つが粗暴で思慮の浅い者が多く、戦士や武道家など、前衛職に向いている種族である。
なのだが……何故こんな所に?
「まさか、山賊か!?」
この大陸に出てくる敵の中で、確か獣人の山賊がいた気がする。
しまったな。NPCがいなかったから全く警戒してなかったが、こんな形で人と遭遇するとは思わなかった。
「山賊だと……? よかろう。主が手を下すまでもない。我がバラバラに引き裂いてくれよう」
「わーっ! ま、待ってください! 私山賊じゃありませんっ!」
少女は慌てて手を振ると、ぺたっと座り込み深々と頭を下げてきた。
「誤解を招くようなことをし、誠に申し訳ありませんでした。どうぞお許し下さいませーっ」
……やけに腰が低いな。逆に怪しいぞ。
このゲームでの山賊は謝って反省したフリをして不意打ちを仕掛けてくる油断も隙も無い存在なのだ。
この少女もそれを狙っているのかもしれない。
「……まさか油断させて騙し討ちでもしようとしてるんじゃないだろうな」
「やはり人間は油断ならぬ。八つ裂きにしてくれるわ!」
唸り声を上げるジルベール。
やたらと八つ裂きにしようとするなこいつは。距離感調整しろコミュ障。
鋭い歯をむき出しにするジルベールに凄まれ、少女は更に慌てた。
「違います違いますっ! 私はキャロという名のしがない商人でございます! ほら、ここに冒険者カードもあるから確認してください!」
キャロと名乗った少女が手のひら大のカードを差し出してきた。
俺は油断なく受け取ると、それを読み上げる。
「なになに……キャロ=レーベンバッハ。我が国の商人としてこれを認める……か」
白いプラスチックのようなカードにはそう刻まれていた。
一体どんな材質で書かれているのだろう。
印刷でもペンで書いたものでもなさそうだ。
「ほらほらっ! ここ見てください! 真ん中に刻まれているのは王都ローベルクの印章です。偽造は不可能、これで信じていただけましたでしょう?」
と言われても俺にはその真偽を見分ける手段はないわけだしな。
着ている服も商人とは思えないボロ着だし、こんなグラフィックの山賊がいたような気もしてきた。
俺が変わらず白い目を向けていると、キャロは涙目になっていた。
「ああもうどうすれば信じてくれるんですか!? 武器なんか持ってないですよ!? ほらほらっ!」
仕舞いには服をバサバサし、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
ちゃりんちゃりんと小銭の音が鳴るくらいだ。
なんかカツアゲしてるみたいになってきたな。
警戒心よりも可哀そうな気持ちが出てきたぞ。
「確かに武器の類は持ってなさそうだな。山賊ではなさそうだ。多分」
「だからそう言ってるじゃないですかー!」
仕方がないだろう。こちとら剣も魔法もない世界の一般人なんだから。
ヤバい化け物の闊歩する異世界人相手に警戒するなという方が無理である。
「うぅ……まだ何か疑われているっぽい……」
「悪いけどそう簡単に信じるわけにもいかなくてね。えーと、それでキャロちゃんだっけ? 俺に何か用?」
「! は、はい! あの、その前に一つお聞きしたいことが……あなた様はあの伝説の大賢者、なのでしょうか?」
ぶっ! と思わず吹き出す。
なんでこの子まで俺を大賢者扱いしてるんだよ。
「如何にも、我が主はかの伝説の大賢者である」
「やっぱりっ! いやぁそうだと思ったんですよ! 人と決して交わることのないと言われる神獣様を従えているし、あの凶暴なギガントを大地魔法で倒してましたもの!」
キラキラした目を向けてくるキャロ。
まさかあれを他にも見ている者がいたとは……っていうか大地魔法って大賢者とやらの魔法としては割とポピュラーなのか?
「それにしても小娘よ。主のことはともかく、我のことまで知っているとは感心だ。かなりの知識を持っているとみた」
「いえいえ、神獣様のことは我々人間の間でも有名ですよ。その強さにどんな魔物も近づかないとか、神獣が仕える者は神の御使いとか、信仰している地域もあるほどです」
「そうかそうか、ふむ、そうかそうか」
何やら満足げに頷くジルベール。
やはり神獣ってすごいんだな。
でもお前、俺のことを他の人間には喋らないって言ったよね。すぐ約束を反故にするのはいけないことだと思うぞ。
俺が脱力していると、キャロは意気揚々と言葉を続ける。
「実は私、魔王を討伐するべく結成された勇者パーティの一員なのですが、商人である私は戦闘面ではずっと皆の足手まといでした。ですがここから魔王のいる大陸に行くには船が必要。勇者様は私にこの地で船を造るよう言われたのです。ようやく商人として勇者様のお役に立てる時がきた! と張り切ってはみたものの……物資もなく、それを集める力もなく、ただ敵から隠れ逃げ惑うのみ。自らの無力さを噛み締めていたのです。……ですがその途中、貴方様の姿をお見かけしました! これも神のお導き。どうか、どうか大賢者様、私に力をお貸しくださいませっ!」
キャロはもう一度、深々と頭を垂れる。
あー、そういえばそんなのあった気がするなぁ。
このゲームでは船を造って魔王城へ突入するというイベントがある。
何もない大陸に商人を置き去りにすることでそこに街が出来ていき、それによって船が完成、晴れて勇者たちは魔王の大陸へ行けるというものだ。
それを知っているということはキャロの言葉は本当なのだろうが、全面的に信用していいかは別問題だ。
俺はキャロとは何でもない赤の他人、何か盗まれたり、暴力を振るわれる可能性もあるわけだしな。
そもそも現代人の感覚からすると、見知らぬ他人を近くに住まわせるのは抵抗がある。
可愛い女の子が無防備に……ってのもまた警戒心を煽られるものだ。
ただ、メリットもある。
一つは勇者からの支援。街の発展には当然資材が必要だ。
ゲームでは商人をここに配置した後、都度都度大量の資材や金を渡さねばならない。
もう一つは商人の持つ流通経路。商人同士の販路を使い、衣類や調度品など通常では手に入らない品物を手に入れることも出来るのだ。
「うーん……」
考え込んでいると、キャロが目を潤ませて俺を見上げてくる。
「私一人ではこの使命、到底果たせられません。大賢者様のお力添えを、何卒お願いします!」
深々と頭を下げるキャロを見て、俺はふむと頷く。
「キャロ、一つ聞きたいんだが、何故ここへ来た?」
「へ……? そ、それは勇者様の命で……」
「本当にそれだけか?」
俺がじっと見つめると、キャロは少し考えたのち、諦めたように息を吐いた。
「流石でございますね。大賢者様。そうです。私がこの大陸に来たのはただ勇者様に命じられたからではありません」
まっすぐに俺の目を見て、言った。
やはりか。確かにキャロは一見気弱そうで、今も捨てられた猫みたいな目をしているが、その奥には何か光るものを感じていた。
ただ言われて来た、みたい主体性のない子には見えなかったのである。
会社でもそういった奴らは極まれに入ってきたが、須らく優秀であっという間に昇進したり、ノウハウを吸収して自分で会社を立ち上げたりしていた。
「私の父は大商人でした。優しく、賢い父は多くの商船を従え、世界を股にかけ商売を行っていた。しかしある日、ライバルだった商人に言われるがまま、交易を固く禁じられている危険薬物の裏取引に手を貸してしまったのです。それは罠で、嵌められた父は全財産を没収され死罪にされました。一家は離散、私は奴隷となったところ、勇者様の仲間にしていただきました。わざわざ私を買った意図は今回の街作りの為。私が捨て駒なのは理解しています。ですがそれでも構わない。私の夢――父を超える大商人になる為ならば!」
真剣な、強いまなざしだった。
やはり勇者の意図に気づいていたか。
「勇者を恨んでないのか?」
「いいえ。むしろ感謝しております。こんな何もない、誰もいない地で最初の街を作れれば、それはものすごい利益を生むでしょう。名産品を作ったり、他国と貿易して様々なものを持ち込んだり、人が増えればより大量の金が動く。その中心にいることが出来れば、世界に名だたる商人にすらなれるかもしれない。思惑はどうあれ、チャンスを与えてくれた勇者様に恨みなど抱こうはずがありません!」
「その為に我が主を利用しようと言うのか?」
「利用できるものは最大限利用するのが商人の心得ですから」
ジルベールがにらみつけるが、キャロは一歩も引かず答える。
ふむ、思った以上にしっかりした子だな。
普通ならこんなところに置き去りにした勇者に恨みを持ってもおかしくないのに、あくまでもポジティブに捉えている。
俺を利用しようとしているのは少し癪だが、商人であるキャロの存在は有用だ。
俺はしばらく考えて、頷いた。
「……わかった。協力しよう」
「本当ですかっ!?」
ぱあっと目を輝かせるキャロ。
俺もまた笑顔で返し、右手を差し出す。
「でっかい夢を持った奴は嫌いじゃない。それに俺を利用するってことは、逆に利用されることも当然考えてるってわけだろう?」
「もちろん。商売というのはギブ&テイクですから」
「だったら構わないよ。これからよろしく頼むぜ。いい商売相手としてな」
「は、はいっ! ……あぁ、よかったぁ」
気が抜けたのか、へなへなと崩れ落ちるキャロを見て苦笑する。
「それで君のことは何て呼べばいい? キャロちゃんか?」
「そ、そのような可愛らしい呼び方など! 滅相もありません! 呼び捨てで十分でございますっ! ……その、こちらこそなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ヒトシでいいよ」
「ヒトシ様ですね! よろしくお願いします!」
「別に呼び捨てでいいんだけど……」
「いいえ、ヒトシ様と呼ばせていただきます」
頑として譲ろうとしないキャロ。
うーん、まぁいいか。
ともあれ協力体制を取ることになったんだし、見せかけだけでもフレンドリーに接した方が効果的だろう。
俺が警戒してるのを見せたら、キャロも俺を信用しなくなるからな。
出来るだけ敵は作らないほうがいい。