黒き神獣、白き神獣
岩と砂ばかりの荒野を白狼が歩いていた。
足取りは弱々しく、その毛は土と埃で薄汚れていた。
それでも目は力強く爛々と輝いており、異様な雰囲気を醸し出している。
「くそが……くそがァ……!」
呪詛の言葉を吐きながら歩く白狼の名はサイファ。
ジルベールから逃げるように立ち去った後、めちゃくちゃに走り通してここまで来たのだ。
元々ジルベールの残り香を追ってこの大陸にたどり着いたサイファにとって、この辺りはどこも見知らぬ場所である。
しかしサイファにとってはそんなことはどうでもよかった。
親友と思っていたジルベールの裏切り、人間への怒り、かつての恨み辛み……それら全ての感情で、はらわたが煮えくり返りそうだった。
「くそッたれがァァァーーーッ!」
咆哮を上げるサイファだが、気持ちは微塵も晴れることはない。
そんなサイファから数十メートル離れた岩陰を、影が動き回っている。
サイファを囲むように岩陰を移動しているのは、獣の頭骨を被った人型のモンスターだった。
ひょろ長い身体にボロ布を纏い、手には獣骨を加工した剣、弓、槍などの武器を持っている彼らは邪神を崇める者――イビルマンシーだ。
ここらは彼らの縄張り、サイファはそこに迷い込んでいたのである。
身振り手振りを織り交ぜながら白狼に近づくと、手にした武器を構えにじり寄っていく。
イビルマンシーの手にした弓が引き絞られ、捻じれた角のような矢がサイファの頭目掛けて放たれる――
――かつん! と乾いた音を立て矢は地面に突き立った。
驚き目を丸くするイビルマンシーの視線が、ぐるんと回転し曇天を映す。
イビルマンシーの頭は一足にて跳躍したサイファに食い千切られていたのだ。
「――!? ――!?」
仲間を殺され戸惑うイビルマンシーらを一瞥し、咥えた首を放り投げるサイファ。
「……ペッ、雑魚どもが……舐め腐りやがってよォ……」
鮮血を撒き散らし地面に転がる頭を踏み砕き、口元を不敵に歪める。
「遊びてェなら付き合ってやるよ。丁度こっちも苛立ってたところだったんでなァ……!」
「――! ――!」
声を上げながら武器を構えるイビルマンシーたちの中に、サイファは跳び込んでいくのだった。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
息を荒らげるサイファ、その足元にはイビルマンシーらの死体が転がっていた。
サイファもまた無事ではない。剣や矢が背中に突き刺さっており、返り血と自らの出血で純白だったその毛は今や深紅に染まっている。
足をガクガクと震わせており、立っているのもやっとの有様だ。
「ハッ、目が霞んできやがったか……」
そう言って膝を折ると、サイファは地面に横たわる。
全身の感覚はすでになく、もはや身体を動かす気力もなかった。そのはずだ。少なくともサイファの身体にそんな力は残っていなかった。
気を失って命を放り出すしかない状況、だがサイファにそんな気配は微塵も感じられない。
「殺す……人間どもを……殺し尽くす……! 俺たちの住処を奪った人間どもをォォォ……! 皆殺しにィィィ……!」
怨嗟の声を上げながら、地べたを這いずり回るサイファを『何か』が見下ろしていた。
岩山と見まごうばかりの巨大な影、その『何か』はサイファに問いかけている。
「あァ? 何だテメェは……? 何者かは知らねぇが俺ァ今、気が立ってるんだ。近くに来るんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ……! ……あァん? 話があるだァ……?」
サイファの声のみが辺りに響いている。異様な光景だった。
「力が欲しいか、だとォ……? そりゃ欲しいさ! 決まっている! 俺に力があれば人間どもを……何? 自分と契約すれば力をくれてやるだと? 面白れェ! 出来るものならやってみやがれってんだ。眷属にでも何でもなってや――」
言いかけて、サイファは驚きに目を見開く。
あれだけ全身を苛んでいた痛みが完全に消えていたからだ。
訝しみながらも立ち上がるサイファは、身体の動きを確かめるように手足を動かす。
身体に不調はない。それどころか凄まじい程の力が湧いてくるのを感じていた。
「な……んだ……こりゃあ……! 力が溢れてきやがるだと……? ……何? これが俺の新たな力? 早速試してみろだと? ……ふむ」
サイファは怪しみながらも頷いて、やや戸惑い気味に地面を――蹴った。
どう! と爆発するような音がして土煙が立ち昇り、サイファの姿がその場から消える。
地面には深いヒビと共に足跡が刻まれており、それを遥か上空でサイファが見下ろしていた。
数十メートルに及ぶ跳躍、以前の自分では考えられないような力が全身を溢れていた。
「……くく、はははっ!」
呆れたように笑いながら着地すると、サイファは今度は前方へと走り出した。
見る見るうちに景色が流れていく。あっという間に岩場を抜け、海辺にたどり着き、海岸沿いを高速で駆け抜ける。
「すげぇ……すげぇぜこの力はよ! これなら人間どもを皆殺しにしてやれるぜェ! はーっはっはっはァ!」
大笑いするサイファ。水面に映ったその姿は以前の白狼とは大きく異なっていた。
――一言で言えば、異形。
だがそれを気にすることもなく、サイファは目的の為にひた走る。
向かう先はかつての友を騙した人間の放つニオイ。
「待っていろよ。まずは大賢者、テメェの首をいただくとするぜ。ジル、すぐに目ェ覚まさせてやるからな……!」
くっくっと笑うサイファを、『何か』は満足げに見送るのだった。




