神獣の旧知が来た
――かつて、神の獣が住むと畏れられた山があった。
そこには純白の毛を踊らせて切り立つ崖を跳ぶ狼と、黒毛を靡かせて大地を駆ける狼が暮らしていた。
強く、賢い二頭の狼を山の麓に住む人々はたいそう恐れ、神獣と呼んで誰も山に近づこうとはしなかった。
二頭は山を我が物顔で駆け巡り、寝たい時に寝て、鳥や獣を好きなように喰らい、日々を生き続けたのである。
「あァ……すごく楽しいなァ。俺はこの山が大好きだ。川のせせらぎが、小鳥の囀りが、草木の揺れる音が、そこから溢れる陽の光が……ずぅっとこうしていたいなァ」
白狼が目を細めて言うのを、黒狼が頷いて答える。
「うむ、我らを脅かすものはこの山には存在せぬ。たとえそんな敵が来たとしても、我とお前が力を合わせればどんな相手だろうと倒せるさ。何せ我らは最高の相棒だからな」
黒狼の言葉に白狼は嬉しそうに口元を緩めた。
「何だよ。照れくさいじゃねぇか。へへ」
「事実だからな」
「へへ、へへへ……」
白狼は笑いながら草むらにゴロンと横たわる。
黒狼は静かに目を伏せ、寝息を立て始めた。
「あァ、俺たちは最高の相棒だ。いつまでも一緒だ。ずっとこの山で暮らそうぜェ……」
白狼の言葉に黒狼は頷いて答える。
二頭の狼、その美しい毛をそよ風がただ撫でていた。
◇
「くぁーあぁ……」
ジルベールが大きな口を開けて欠伸をしている。
俺はそれを見て、釣られて欠伸しそうになるのを堪えた。
うーむそれにしても呑気だな。こうして見るとただのデカい犬にしか見えないのだが。
とはいえ神獣、魔法も使うし言葉も操る不思議な生き物である。
昔何かで犬は声帯が発達しておらず、人の言葉は喋れないと聞いたことがあるが、もしかして普通の犬と口の中が違ったりするのだろうか。
ゲームだからと言ってしまえばそこまでだが、気になるものは気になるな。
俺は寝息を立て始めたジルベールの口元に手を伸ばす。
指を口の隙間に入れて持ち上げると鋭い牙が覗いている。
ピンク色の口内はうねうねと段がついており、まるで洞窟みたいだ。
おっ、喉ちんこが見えそう……
「は……ふぁ……ぐしゅ!」
がちーん! とジルベールの歯が勢いよく噛み合う音がする。
うおっ、危なっ。噛み千切られる所だったぜ。
冷や汗をかいていると、急にジルベールが立ち上がり辺りを見渡す。
「どうかしたのかジルベール」
「……いや、懐かしい匂いがしたのでな」
鼻を鳴らしながら山の方を向くジルベール。
「くんくん……どうやらあっちからのようだ。すごい速さで近づいてくるぞ」
俺も目を凝らすが連なる山々が見えるのみ……いや、何かが動いているものがあるぞ。
山と山の間を飛ぶように移動する豆粒のような何か。それは徐々に大きくなっていく。
「お、おい何だありゃ!? モンスターか!?」
慌てる俺と裏腹に、ジルベールは落ち着いた様子である。
「大丈夫だ。案ずるな主よ。あれは我の……」
言いかけた瞬間、影が俺たちの前に着地する。
白い毛皮を持つ四足獣、その姿はジルベールそっくりだった。
美しい毛並みの白狼はジルベールを見つけると嬉しそうに声をかける。
「いよーぉ! 久しいじゃねぇか、ジル!」
「やはりお前か!サイファ!」
サイファと呼ばれた白狼はジルベールに飛びつきじゃれあいを始めた。
とても仲良さそうだ。まさかかつての友人とかだろうか。……友だち、いたんだなジルベール……うっ、うっ、よかったねぇ。
不憫な息子を想う母親ごっこをしていると、サイファが俺を見ているのに気づく。
訝しむような目だ。俺を警戒しているのかもしれない。
「あぁ、自己紹介がまだだったな。俺はヒトシという者だ。初めまして。君はサイファだっけ? ジルベールの友人かい?」
「……何だ、お前はよ?」
いや、今自己紹介した直後だろうが。
名前を聞いているわけじゃないのは勿論わかるが、そんな風に返されると割とショックである。
自己紹介をしろと言っているのだろうが……どうも怪しまれているようだし、そんな俺がジルベールの主だと説明をしても信用されなさそうだ。
俺はジルベールの横に近づき、小声でささやく。
「おいジルベール、どうも警戒されてるみたいだぞ。俺のことを紹介しとけって」
「おお、そうであったな」
ったく頼むぜ。ジルベールはオホンと咳ばらいをすると、サイファの方を向き直る。
「かの者はヒトシ、大賢者としてこの村を取り仕切っている。我は今、主の従魔としてここで暮らしているのだ」
その言葉を聞いたサイファは驚き目を丸くする。
やっぱりな。俺が言っても絶対信じなかっただろう。
「主……大賢者だと……? この人間がか?」
「うむ、主こそ我が認めた男よ。サイファもそう警戒するでない」
ジルベールの言葉を聞いたサイファは俺を値踏みするように睨みつける。
「ジルが……? 人間の……? 従魔をしているだァ……?」
ブツブツと呟いていたいかと思うと、サイファは何か納得がいったかのように頷いた。
「……なるほど、なるほどな。あァそういうことなんだなジル! わかったぜ!」
合点があったとばかりに何度も頷くサイファ。一体どうしたのだろうか。
それを見てジルベールは首を傾げている。
「……? あぁ、そういうことだぞ」
「ははは! やるなァジル、お前もよう! そんな手で来るとは思わなかったぜ! ははは!ははははは!」
大笑いするサイファ、どうも意思の疎通が出来てない気がするんだが。
……何かとんでもない勘違いが生まれてないか?
ひとしきり笑い終えると、サイファはジルベールに目配せをした。
「そういうことなら乗ったぜ相棒、俺もしばらくここに厄介になるよ。鎌わねぇだろ? 大賢者殿?」
「えー……」
なんか面倒事に巻き込まれそうだから嫌なのだが。
「我からも頼むぞ、主よ」
「やれやれ、仕方ないなぁ」
あのジルベールの友人だ。そう邪険に扱うわけにもいかないか。
俺は諦めてため息を吐いて、頷くのだった。




