侵攻
幻影の森中心部に聳え立つ世界樹。
古くから大地の守り神として崇められてきたこの樹は、森全体を浄化することでその力を示してきた。世界樹から漏れ出る聖なる浄化の光が魔物を弱体化させるため、強い魔物は侵入を拒み、呪いや汚れとも無縁であったため植物はすくすく育つ。
動物たちは豊富な食料を得られ、何の不安もなく子育てにいそしみ、小さな精霊たちはこの地に恵みの加護をもたらす。
地上の楽園、それがここにあった。
当然、この樹を守護する役目を担い、共に生きてきたエルフ族もまた、この恩恵を受けている。
ほとんど魔物のいないこの森は、安全で過ごしやすく、日々の糧を得るだけで生活することが可能だ。子供たちは安全な森で走り回り、大人たちは食料として必要な分だけ狩りをする。特に大きな病気にかかることもないため、みな健康で長生きだ。
いつまでも変わらない平和な日常、それがエルフ族の里であった。
しかし、今、この地には未曽有の危機が迫っている。
破壊の魔人アウルの侵攻により木々は倒され、動物たちは殺されているのだ。
彼の魔人が通った後には何も残らない。
破壊、それこそがその名の所以である。
破壊の魔人アウルはエルフたちが外交用に作った村リベルタを襲うと、すべてを破壊しつくした。
建造物はすべて瓦礫の山となり、食料や武器などすべてを奪い尽くす。
その名の通りの所業であるが、それだけではない。仲間たちを守るために戦い散っていったエルフたちの亡骸、そしてそれ以上あったはずの打ち倒された魔物たち。
そのすべてが無くなっていたのだ。
弱肉強食、戦い敗れた者が辿る末路といえば、相手の食料となることだけである。人族同士の争いであれば屍を晒すことになるのだろうが、敵は魔物だ。人語を介する相手でない以上、意思の疎通など不可能であろう。元から餓えた魔獣の集まりであり、そのすべてが奴らの胃袋に納まっていると考えた方が自然だ。
そして、もちろん大長老の子息ビクトも同じであろうと思われた。
彼は民を守るため直接アウルに戦いを挑み、敗れたのだ。破壊の魔人と呼ばれるアウルは、壊れてしまった玩具に興味はなく、すでに死しているビクトはそのまま放置されたのである。
破壊の魔人、その名が示す通り破壊の限りを尽くしたアウルは、彼に従う魔物たちに号令を出し、更に森の奥へと侵攻を始める。
先陣を切るのは鳥人族の部下たちだ。鷹の鳥人であるファルコに、鷲の鳥人であるアギラ。
この2人は世界樹が放つ浄化の光などものともせず、木々をなぎ倒し真っ直ぐに進んでいく。そうして切り開いた道をオークにオーガといった大型の魔物が続き、更に歩きやすくなったところを猪系や狼系、そして熊系の魔物がついていく。
魔物たちは急いでいる様子もなく、ゆっくりと前進しているようだ。というのも、2人の鳥人たちは強者であるため浄化の影響もさほど感じていないようであるが、配下の魔物たちは別である。やはり力を削がれるのか、その歩みは遅い。現地調達の魔物であったということも理由なのだろう。魔人アウルによる強力な支配下にあっても、幻影の森へ踏み込むことに戸惑いをみせていた。
とはいえ、それでも徐々に歩みを進め、やがてすべての魔物が森へと入っていったのである。
魔物たちがいなくなり、リベルタにもようやく静けさが戻ってきた。
だが、そこは昨日までの賑わいが嘘であるかのように、ひっそりと静まり返っている。鳥や動物、精霊までもがこの地を去り、昼だというのに、まるで暗闇の中にいるかのようだ。
しかし、不意に瓦礫の一部が崩れ落ちた。そして「ガラン」という音とともに、ひょっこりと顔を覗かせたものがいる。
「ふう……、行ったのですわん」
そいつは周りをキョロキョロと見渡し、大丈夫だと確信したのか、ゆっくりと立ち上がった。垂れた耳に大型犬を思わせるような特徴的なフォルム。その姿は、身の丈2メートル以上はありそうな、巨大なラブラドール・レトリバーであった。もちろん人語を話していることから、この犬の正体は精霊である。そして巨大な犬の精霊といえば、その正体は妖精たちの番犬とされるクーシーなのである。
「これはひどいのですわん。でも、何とか間に合ったみたいなのですわん」
クーシーはホッと一息ついた後、先ほどまで自分がいた瓦礫の山を掘り返す。
そうして目的のものを見つけたらしくパクっと咥えて持ち上げ、そのまま背中へ放り投げた。
「リナーテ様の命令とはいえ、死人を運ぶなんて勘弁してほしいのですわん」
そう、彼が瓦礫の山に隠し、今背中に乗せたものは、ビクトの亡骸であった。エルフたちすべてが殺され食料とされたのに対し、彼の遺体だけは無事確保されていたのである。
「では、彼を幸生様のもとに届けたら、依頼完了なのですわん。どうやら姫様はいないようですが、これでよかったのですわん」
めんどくさそうに、それでいて、どこかホッとしたかのように呟くこのクーシーは、もともと夢愛と契約していた精霊で、名をラブと言う。
彼女はこの世界に転移する際、夢愛との契約が切れてしまったことにショックを受けていた。これは仕方がないことであったのだが、自分を裏切り者だと思い精霊界に引きこもっていたのである。
「とっとと終わらせるのですわん」
そう言って、彼女は幸生の気配がするシダ村の方面へと走り出した。
☆☆☆
リリィの捜索を終え、イヌヤマ子爵邸へと戻ってきた夢愛は、いつものようにメイド3人衆に出迎えられると、そのままお風呂に直行した。
今日は特別汗をかくようなことをしてはいないのだが、もうほとんど習慣となってしまっているのだ。なんせ、メイドたちが頭や体を洗ってくれて、髪の乾燥に着替えまでしてくれるのである。至れり尽くせりとはこのことであった。
山野家でも多くのメイドを雇っていたが、さすがにお風呂は1人で入っている。たまに唯と一緒に入り洗ってもらうこともあったが、基本は何でも自分で行っていた。
そう、とても楽ちんなのである。
「お嬢様、今日はどのようなことをされたのですか?」
「えっとねぇ、アシューリ商会のラナちゃんが飼っていた猫ちゃんが逃げ出しちゃったみたいで、見つけてあげたよ」
本日のお風呂担当フローラに今日あった出来事を聞かれたので、夢愛はリリィの捜索について簡単に説明した。メイドたちは幼い少女でありながら冒険者として活躍する彼女の話を聞くことが大好きなのだ。盗賊だろうが魔物であろうが、特大魔法でやっつけてしまう夢愛の戦闘は、戦う力を持たない彼女たちにとって痛快なのである。
「そうなんですね。ラナちゃん喜んだでしょうね」
「うん、すっごく嬉しそうだったよ」
夢愛はただ座っているだけで何でもしてもらえるため、この時間は話に夢中である。メイドたちは聞き上手で、彼女の話をうまく引き出してくれるのだ。
まあ、それも彼女たちの嗜好の1つではあるが……。
メイド3人衆は最初こそ3人でお風呂を手伝っていたのだが、さすがにメイド長のベルローズに怒られ、今は交代制にしている。この後の食事当番はルチアナが担当し、お休み当番はイベリスが務めることになっていた。
彼女たちの共通する趣味、それは幼女を愛でることにある。そのため、それぞれが持ち回りをすることで不公平がないようにしているのだ。
そんな感じで食事まで終えた夢愛であるが、明日の予定をマリナに確認しようと部屋を出たところで、この屋敷の主リョウイチからの呼び出しを受けた。
夢愛が執務室に入ると、待っていたのはこの屋敷に住む転移者たちである。
「夢愛ちゃん、こんな遅くにごめんなさい」
そう声をかけたのは、夢愛の母親的ポジションを確立しているミユキであった。
この後話される内容を知っている彼女の顔色は悪く、不安の色を隠せていない。そんな彼女の様子に、勘の鋭い夢愛が気づかないはずがなかった。
「いえ……、でも、どうかしたの?」
「ええ、ちょっと問題が発生しましてね。夢愛ちゃんはカナを覚えていますか?」
リョウイチからの問いかけに、夢愛は不思議そうな顔をする。
「カナちゃんなら覚えてるよ。すっごいきれいな子だよね」
一時的に夢愛の家庭教師をしていたカナは、アイドル以上の美少女であった。その美しさは類を見ず、彼女も強く印象に残っている。
「ええ、そうですね。ですが、今の彼女は昔とはちょっと違っていてね……」
「ちがう……、 どんな風に?」
違うの意味が分からない彼女は、コテりと首を傾げた。
「ねえ、もう会わせちゃった方が早いんじゃない?」
「そうだな。結局決めるのは彼女だ。直接話をさせた方がいいだろう」
ミユキ、そしてハヤトの意味ありげな発言に夢愛は不安に思う。
「夢愛様、一緒に来ていただいてもよろしいですかな?」
リョウイチの言葉に皆納得の表情を浮かべているが、夢愛は全く意味が分からないといった様子である。
だが、どうやら選択肢はないようだと感じた彼女は「うん、いいよ」と、あっさり肯定した。
現在の彼女が分かっていることは、何か事件があり、自身の力を必要としている、それだけだ。
リョウイチたちの後についていき、案内された場所はエントランスであった。
そこにいたのは……。
「ペガサス……? どうしてこんなところにペガサスがいるの?」
エントランスに悠然とたたずむペガサスに、夢愛の目はくぎ付けだ。しかし……。
「夢愛ちゃん、久しぶりね。私がわかるかしら」
そう、ペガサス自らが話しかけてきたのである。
もちろん精霊であるペガサスが人語を話すことは分かっているが、まさかそれがあの人物だとは思いもしなかったのだ。
「うそ……。 もしかして、カナちゃん?」
「ええ、そうよ。私はカナ、会いたかったわ!」
夢愛にとって久々の再開、そしてその相手がペガサスになっていた。驚きすぎて、彼女はどうしていいか分からない様子であった。
その後、彼女からエルフ族の里の現状について聞いた夢愛は、兄たちと連絡を取り、救出に向かうと決めたのである。




