閑話 唯ちゃん奮闘記③
その日の夜、私はリンさんの部屋へ招待されました。メイドではなく友人として会いたいとのことでしたので、仕事を早めに切り上げ、今は準備中です。
山野家でお借りしている私の部屋も、夢愛様の部屋と同じようにこの屋敷内で再現されていました。案内してくれたベルローズさんの話では「女神さまがスキャンして貼り付けたのよ」と言っていましたが、意味がよくわかりません。それでも、寛げる空間があるというのは大事です。この部屋にいると、今までのことが夢だったのではと思ってしまいます。ですが、テレビも見れないし、エアコンも使えません。そもそも電気がないから当たり前です。
いつまでものんびりしているわけにはいきませんので、私はクローゼットを開き、着ていく服を選びます。リンさんが青を主体としたコーディネイトをされていましたので、私は被らないように気を付けました。
白いフリル付きのワンピースに淡い桜色のカーディガン、リボンは黄色にします。どうです、少しはお嬢様っぽくなりましたか? これでも山野グループに属する子会社の社長令嬢ですからね。って、言っていて惨めになりますね。貴族家のご令嬢様と釣り合うような衣装を、私は持っていません。それに、あまり派手なのはちょっと……。
着る服は決まりましたので、今度はお土産の準備です。私は料理長のドルチェさんと交渉し、窯の使用許可をいただいています。目的はクッキーを焼くこと。夢愛様の家庭教師をしている時、リンさんは私が作ったケーキやクッキーをすっごく食べたそうにしていました。
「えええっ、何これ、罰ゲーム?」
「もう、食べてるとこ見たくないから電源切って!」
「ううう、美味しそう。一口ちょうだい……」
などと言っていて、とてもAIの方とは思えませんでした。でも、今の御様子を見れば納得ですね。この機会に、私は焼き菓子を手作りしてプレゼントすることに決めたのです。
私の部屋には調理器具一式や調味料各種、食器類すべてあります。さっそく必要な道具を持って、いざ厨房へ。お手軽なホットケーキミックスやブラックチョコ、マーマレードなどは部屋にあったので、卵、牛乳、バターなどをドルチェさんにいただき、まずは生地作りです。必要な分量だけ混ぜたら、後は陶器の器に盛って焼くだけ。アルミ箔は窯だと心配でしたので、陶器にしました。これを焼いて、オレンジマフィンの完成です。焼き加減の調整に何回か試しましたが、大体の見当は付きました。
次はチョコブラウニーを作ります。湯煎で溶かしたブラックチョコに生クリームとバターを加え、卵に砂糖、薄力粉、ココアパウダー、クルミと混ぜ合わせ焼きます。お菓子作りは簡単で、材料さえあれば子供でもできます。ただ、そこからは創意工夫が必要で分量や焼き加減など、私独自の味を求めました。
「美味い! 最高だよ、唯ちゃん」
料理長からお褒めの言葉をいただきました。
「ココアパウダーか……。カカオ豆は手に入りにくいからなぁ。リョウイチ様に伺ってみるか」
どうやらこの世界にはチョコレートがなく、カカオ豆も生産量が少ないため、すり潰して調味料として使われているようです。私の在庫にも限界があるので、あまり使わない方がいいみたいですね。
こうして焼き菓子を完成させ部屋に戻った私は、着替えを終え、リンさんの部屋へ向かいます。
私がドアをノックすると扉が開き、メイドさんが出迎えてくれました。
「いらっしゃいませ、唯様。中へどうぞ」
彼女は名前をルカといい、リンさんの侍女をしているそうです。私も夢愛様の専属メイドをしているので、一度ゆっくりお話ししてみたいのですが、明日にはお帰りになられるというので難しそうです。
彼女もやはり元AIの方で、リンさんやレーナさん、リョウイチ様の後輩にあたり、2期生のようです。記憶にないなと思っていたら、彼女も私とは対局していないと言っていました。
「ユイ、久しぶり! 元気してた?」
「はい、リン様もお変わりない御様子で安心いたしました」
「もう、ユイってば、そんなんじゃなくリンって呼んで!」
今のリンさんは子爵家の御令嬢です。メイドの私としては、どうしても堅苦しい挨拶になってしまいますが、彼女はそれが嫌なようです。でも、そう言われたら、変えなければいけません。
「わかりました。リンさんもお元気そうでなによりです」
そう言いなおしてみたのですが、彼女が嬉しそうにしていたので、問題ないのでしょう。
さっそく私が焼き菓子を取り出すと、リンさんの目の色が変わります。
「ま、まさかそれって……。夢にまで見た、ユイのお菓子……。うそっ! 作ってきてくれたの!」
「はい、ドルチェさんに窯の使用許可をいただいたので、試しに作ってみました。お口に合うといいのですが」
「ああ、いつかは食べたいと思っていたけど、今日食べれるとは……」
リンさんは何か変なことを言い出しましたが、大げさすぎです。でも、これだけ喜んでもらえるのなら、作ってきた甲斐があったというものです。
「うまい……」
そう言って涙を流し始めた彼女に、私はどう反応していいか分からず困ってしまいます。ですが、ここまで喜ばれるとは思ってもいませんでした。自然と頬が緩んでしまいます。
「そう、いっぱいあるからどんどん食べて。ルカさんもどうですか?」
「いいんですか?」
「ルカ、あなたもいただきなさい。とっても美味しいわよ」
ティーカップに紅茶を注ぎ終えたルカさんは、さっそくブラウニーに手を伸ばします。
「おいしい‼ これは何ですか? 食べたことのない味がします。何か癖になりそうな……」
「これはチョコブラウニーと言って、クッキーの生地にチョコレートを混ぜたものですよ。女の子が大好きな鉄板の焼き菓子です」
「チョコレートですか? 確かケイトさんがそれを使ったお店を開いたと聞いた気がしますね」
「ケイトさん?」
「はい、私たちの仲間で、確か有名なパティシエに弟子入りしたとか……」
これは間違いなくアレです。楽しみが増えました。まずはお店を見つけないといけませんね。
そんな話をしていると、不意にリンさんが口を挟みます。どうやら少しご機嫌斜めなご様子。
「もう、あなたは私と話に来たのでしょう。ユアのこと、教えてちょうだい」
頬をぷっくっと膨らませたリンさんを見てクスっと笑ったルカさんは、真面目な顔に戻ってこう言いました。
「ユイ様。今度ケイトのお店へ一緒に行きましょう。約束ね」
以外にマイペースなルカさんでした。
その後は、リンさんと夢愛様の話で夜遅くまで盛り上がりました。今日はいろいろあったけど、彼女のおかげで寂しい思いをせずに済み、すごく感謝しています。