宿屋の親子
サカオ町へ戻ってきた幸生たち時の絆のメンバーは、冒険者ギルドに寄ることなく宿へと向かう。厳しい戦いの末、ジャスティスを撤退させた彼らは、精神的にも疲れていた。特に夢愛は大きな魔法を連発していたため限界に達していた。今は大好きな兄の背で、ぐっすりと眠っている。そんな彼女を起こしてしまうなど、皆の本意ではない。ギルドへは明日伺うとロイに伝えて貰い、宿へ戻ったのである。
幸生たちが宿泊予定の天城会館は食事時ということもあり、大勢のお客で賑わっていた。この手の宿は1階が食堂を兼ねており、宿泊者でないお客も多い。テーブルはすべて埋まり、注文が次々と入ってくるため、目の回るような忙しさだ。そんな状況とはいえ、この宿の女将エリザの表情は明るい。常にニコニコと笑顔を絶やさず、出来上がった料理を運んでいく。
「はい、肉野菜炒めだったね、熱いから気を付けて食べなよ。
はい、肉ニラ包み、それと五目ライス大盛りね。若いんだから、しっかり食べなよ」
料理を差し出す時に、ちょっとした言葉をかける。これが彼女のスタンスだ。声をかけられたお客も、彼女の笑顔に充てられ嬉しそうにしている。「はい、ありがとうございます」と、なぜかお礼を返す者もいる始末だ。
「いやあ、エリちゃんの笑顔をみてるだけで、元気が出るな」
「俺も、明日また頑張ろうって気になるよ」
どんなに忙しくても嫌な顔をせず、いつも笑顔で接客する彼女は、常連客にとって癒しの存在だ。少し高めの料金設定にも関らず、常にお客が途絶えないのは、彼女がいるからに他ならない。
「もう、お母さん、私の仕事まで取らないでよね! わからなくなっちゃったじゃない」
そう言って頬を膨らませているのはエリザの娘ミナだ。幼いころから見続けてきた母の背中を追いかけるため、12歳となった今年から正式に宿の従業員として働き始めていた。
「あら、そんなことじゃあ、いつまでたっても私に追いつけないよ」
「もう、待ってて、すぐに追いつくから!」
そんな優しいやり取りを見守ることも、常連客の楽しみとなっている。ちなみに、彼女の旦那と長男は厨房で、ひたすら料理を作っていた。
そんなピーク時を過ぎた頃、幸生たちは宿にたどり着いた。引き戸をガラガラと開け中に入ると、「いらっしゃい!」と元気な声がかけられる。食堂は先程までの喧騒が嘘であるかのように落ち着いていた。今は常連客たちがチビチビとお酒をすすり、世間話に花を咲かせている。時折聞こえてくる「ガハハ」という大きな笑い声は、奥にいる冒険者たちのものだ。今日の魔物退治で稼いだのだろう。テーブルに大量の料理を並べ、仲間たちと語り合っていた。
入ってきたお客がレーナたちだと気づいたエリザは、嬉しそうに話かける。しかし、幸生の背で眠っている少女を見ると、一転してその表情は不機嫌な様子だ。
「おや、レーナ、今戻ってきたのかい。ずいぶん遅いじゃないか。あらあら、お嬢ちゃんはお休みみたいだねえ。あんたたち、こんな小さな子を遅くまで連れ歩くんじゃないよ」
同じような年頃の娘を持つ彼女としては、この状況を見過ごせないようだ。幸生たちも気持ちはわかるらしく、素直に反省している。
「すみません、思ったより時間がかかってしまって……」
メンバーを代表し幸生が頭を下げると、彼女は納得したのかニッコリと笑った。
「わかればいいさね。食事、するんだろ」
「はい、お願いします」
「そうかい。それじゃあ、ミナ! ちょっとこっちにおいで!」
「は~い。あっ、レーナさん、いらっしゃい」
母に呼ばれたミナは馴染みのレーナを見つけ、嬉しそうに挨拶をする。しかし、すぐに彼女の意識は幸生の背で眠る少女に移った。
「わあ、かわいい子ね。10歳くらいかしら。きっと、疲れちゃったんだね、よく眠ってるわ」
どうやら彼女は夢愛を自分より年下だと思ったらしく、兄の背で気持ちよく眠る少女を微笑ましそうに眺めている。
「あら、ミナちゃんがお姉さんのように見えるわ」
そう言ってレーナがミナをからかうと、彼女も満更ではないようで嬉しそうに頬を緩めていた。
自分より小さな女の子に嬉しそうにする娘を見てホッコリしていたエリザではあるが、ミナを呼んだのには理由がある。
「ミナ、その子たちを部屋まで案内してあげて」
彼女は夢愛を早く休ませてあげたかったのだ。もう眠っているとはいえ、おんぶされている状態では疲れは取れない。ベッドに入り楽な姿勢で寝かせてあげることが大事なのである。
幸生と唯は眠っている夢愛を連れて、ミナの後についていくのだった。
幸生たちがいなくなり、この場に残ったレーナ、翔、マリナの3人は、先に食事の注文をする。とはいえ、実は1つ問題があった。それはマリナのことだ。もともと5人で泊まる予定で予約していたのだが、今は彼女が増えて6人になっているのである。
しかし、それに対しエリザは「ああ、それなら気にしなくていいよ」と答えた。というのも、食事については夢愛が起きそうにないし、部屋はレーナの代わりにマリナが泊まればいいと言う。レーナ本人もそれで納得している。「それではレーナ様が」と、マリナは言うが、実はこれから彼女には仕事があるのだ。その内容を説明され不本意ながらも納得したマリナは「では、私もお手伝いさせてください」そう言って、話はまとまったのである。
夢愛を部屋に連れて行った幸生と唯が食堂に戻り、夕食会が始まった。食事の料金は宿泊料に含まれているため、メニューから1点選ぶという方式だ。それぞれが注文した内容は、幸生と唯が『焼き魚定食』、レーナは『焼肉定食』、翔が『ハンバーグ定食』、そしてマリナは『牛丼』であった。棋士時代に彼女は対局相手から「牛丼は早い、安い、旨いと三拍子そろった至高の一品」と教えられ、興味があったようだ。さっそく木の匙でつゆをたっぷり含んだ肉と米をすくい、口に運ぶ。すると「ほんとに美味しい!」と感動した様子で顔を綻ばせていた。
この世界ではリナーテの手によって、日本に自生している植物や食材となる野菜などが数多く存在している。そのため、醤油や味噌といった調味料も生産可能なのだ。日本では安くて旨い牛丼も、ここでは高級料理の1つに数えられているのである。
暫くは補足的内容が続きますので、お願いします。




