異変発生! 2日前
辺り一帯を高い木々に覆われたフィニフテの森。
ここは日中であっても陽の光は届かず薄暗いため、鳥のさえずる声や、動物たちの徘徊する音に恐怖を感じさせられる。
甲高い声で『ヒヒーン』と嘶くのは馬であろうか。
けれど、ここに道はなく、大量の落ち葉が敷き詰められた柔らかな地面があるだけだ。
となれば、その正体は野生の馬。ではなく、魔物と考えた方が自然であろう。
そう、ここはゲームの中。仮想現実の世界だ。
ただ、こんな深い森の中を、犬耳人族の姿をした翔が足早に歩を進めていた。
というのも、彼は運営からの依頼で、フィニフテの森の魔物調査にきているのである。
翔は辺りを警戒しながらも、軽快な足取りで歩く。
これまでに出会った魔物は、ホーンラビット三匹だけだった。
フィニフテの森の奥にはフィニフテの洞窟があり、そこがゴブリンの巣となっているので、そこが最終的な目的地であるが、それまでに出会った魔物の数を集計して、報告することが依頼であった。
けれど、いくら進んでも魔物との遭遇が無い。
フィニフテの洞窟には鑑定石が置いてあり、冒険の序盤で手に入る最大のお宝となっているが、そこに巣を作るゴブリンとの遭遇が全くないというのは不自然だ。
何かがおかしい。
翔はそれをヒシヒシと感じていたが、とりあえず先を急ぐ。
すると、目的の岩山が見えてきた。
「おっ、見えてきたか」
と、少しばかり気の緩む翔であるが、いかんいかんと気を引き締める。
そして無事に目的の洞窟へ到着。
そう思った矢先、中から数体のゴブリンが飛び出してきた。
けれど、ゴブリンたちは翔に目もくれず、一目散に通り過ぎていく。
「なんだ!? 何かいるのか?」
翔はその異常事態に警戒するが、次の瞬間。
グワオオォォォォオ!!
耳をつんざくような激しい咆哮が響く。
と、同時に、額に角の生えた三メートルはあろうかという大型の魔物が姿を現した。
「ああーーっ、うっせえ。なんだよ……ん、あれは一角ベアか。なんでこんなところにいんだ?」
そう翔が疑問に思う理由は、ここがフィニフテの洞窟と呼ばれるゴブリンの巣だからである。
上位種であるホブゴブリンがいることはあっても、そこに一角ベアがいることは、有り得ないのだ。
おまけに、現れた一角ベアの左肩から胸中にかけて、鋭利な刃物で斬りつけられたような傷痕があった。
それは叩き切るような剣ではなく、日本刀のような斬るための武器によるものであろうと推察された。
となれば、考えられることは一つしかない。
「まさか、ゴブリンキングまでいるのか?」
翔がそう考える理由は、ゴブリンキングの持つ武器にある。
Sランではゴブリンキングにゴブリンソードを持たせており、その形状は三日月型の鋭利な刃物と言っていいだろう。
日本刀のようにスパっと切れるので、あのような跡が残る可能性もあるが……それを考えている時間は無いようだ。
グワオオオォォォオ!!
再び大きな咆哮をあげる一角ベア。
どうやら翔を敵とみなしたらしく、四つ足となって襲いかかってくる。
余計なことに気を取られていた翔は反応に後れ、咄嗟に躱そうとするが間に合わない。
体当たりをまともに喰らい、派手に吹っ飛ばされ、数メートル後方にあった木に『ドガン』とぶつかって止まった、が……。
「いてえぇぇぇっ!! なんで痛てぇんだ。痛覚無効じゃねえのかよ!」
そう叫ぶ理由は、ゲーム上の安全管理の問題だ。
フルダイブ型VRの舞台となる仮想現実の世界では、安全上のため痛みを感じない仕様となっており、 この状態は不自然なのである。
とはいえ、そんな彼の戸惑いなど関係なく、再び一角ベアが襲いかかる。
そのスピードは全く緩まず、どうやらまた体当たりのようだ。
「やばっ‼」
翔が咄嗟の判断で右に転がってよけると、一角ベアはそのまま大きな木へぶつかって行く。
ドガガガーーンン‼
激しい衝突音が響き渡り、ぶつかった所から木の幹がバキバキッと折れた。
「嘘だろ! あんな木まで折れるのかよ……」
そのとんでもない威力に仰天しつつも、翔は一角ベアから大きく距離をとり、様子を窺う。
一角ベアは何事もなかったかのように起き上がり、再び対峙する形となったが、翔が腰に下げた剣に手を掛けると、ピクリと反応した。
どうやら剣を警戒しているらしい。
翔の剣は両手持ちの疾風剣で、普通の剣とは違い風の属性が付与されていた。
剣に風を纏わせることで、切れ味を増す仕様だ。
「やっぱ斬撃が有効そうだな」
そう翔は判断し、一気に勝負をつけるため、本気を出す。
「さて、少しぐらい本気を出すとするか。来いよっ! 熊野郎‼」
頬をピシりと叩き、気合を入れ直すと軽く挑発。
クマに熊野郎もないが、もちろん言葉は通じていないので問題なし。ただ、スキル効果でおちょくられたと伝わるようだ。
安い挑発ではあったが効果はテキメン、怒った一角ベアが再び突進。
それを寸前までひきつけ右に躱すと、居合切りのように剣を一閃。
けれど、手ごたえがない。
どうやら翔の動きを読んで衝撃をずらしたようだ。
そして振り向きざまに強烈な一撃をくらわせようと、右前足を大きく振り上げる。
「やばっ!? スキル、【瞬速】!!」
とっさの判断でスキルを使い、避けた翔であるが……。
ドッスーーン
と、その衝撃で地面が揺れ、さっきまで彼がいた場所が陥没した。
「うわっ、当たってたら、ペチャンコじゃんかよ」
そのあまりの威力に翔は肝を冷やすが、それが闘争心に火をつけた。
スキル瞬速の連続使用で、上下左右に飛び回り撹乱する戦法を選ぶ。
このスキルは一瞬だけスピードが増すというだけの単純な能力であるが、相手を撹乱するには丁度いい。
最初こそ翔の動きに合わせて動けていた一角ベアも、だんだんとスピードについていけなくなった。
そして、判断力も鈍り、棒立ちになったところが狙い目だ。
翔は一瞬だけ立ち止まり一角ベアを誘う。
するとチャンスと思ったのか、右腕を使い強烈な一撃を叩きつけてきた。
それを翔はバックステップで交わし、怒りで立ち上がった一角ベアに狙いを定め、剣を構える。
「秘儀、【疾風突き‼】」
そう叫んだ彼の体が少しぶれたかと思うと飛び上がり、立ち上がった一角ベアの喉元に剣を突き刺した。
この技は高速で突き出すだけとはいえ、その動きは速く、避けることは不可能だ。
彼は剣を離し、一角ベアを蹴って大きく後方に飛びのいた。
そして、くるりと一回転し、地面に着地。
「あぶね~ ギリギリだ! でも、さすがにもうないだろ」
致命傷を負った一角ベアはそのまま前のめりに倒れ、一瞬光ったかと思うと魔石に変わった。
「結局何だったんだこいつ。かなり強かったぞ!」
翔は魔石を拾いあげ、そんなことを考えるも、大切なことを忘れていたことに気づく。
「いっけねっ、映像送るの忘れてた。まあ、いきなりだったしな。ありゃ仕方ない。念のため、洞窟の中も確認してみるか」
終わったことは仕方が無いとして、あたらめて洞窟内を歩いてみるが、ゴブリンどころか他の魔物の姿も見当たらなかった。
「報告かあ、なんて言えばいいんだ?」
その不思議な体験にどう報告すればいいか悩む翔であったが、諦めたようにスマホを取り出し運営へとつなぐのであった。