パイロット
第7章・・・パイロット
「僕なぁ・・・おおきなったらパイロットになんねん!」
YS11(国産旅客機、現在飛んでません。)の操縦席に座らせてもらい、隣に座るパイロッットにそう誇らしげにユウサクは語った。
「そうかそうか・・じゃあおじさんの後輩になるんだな!がんばれよ」
ユウサクは小学校2年生になっていた。毎年、春、夏、冬休みは高知の祖母から送られてきたチケットで高知行きの飛行機にひとりで乗り、休みの大半を高知で過ごした。よしこから空港バスに乗せられ、伊丹に着くと、自分で窓口まで行き、「ジュニアパイロット」の申請をする。そうすればCAや、航空会社の地上勤務のお姉さんが控え室に連れて行ってくれて、ジュースやキャンディーなどをくれた。後はフライトに併せて飛行機に最初に乗り込み、席に案内してくれる。目的地に到着すると最後まで残り、希望すれば操縦席に座れたりもする。子供にとっては大変な特典だった。
高知空港にさえつけば、カツオ飴(高知の銘菓)の老舗のおかみである祖母の事を知らぬ者はいない。売店のおばちゃんから、職員さえもが声をかけてくれた。「おぉ、ユウサクくん、今からおばあちゃんちにいきゆーが?」「うん、いまついてん!」「たまるか!またがっつりお年玉もらってかえるがやろ(笑)」「えへへ・・・」
ユウサクは祖母に溺愛されていたが、近所の大人やまわりの住人にも可愛がられた。正月になるとユウサクのお年玉行脚がはじまり、くまなくご近所をまわり・・・帰る頃には10万単位のお年玉をかばんに詰め込んでいた。(もっとも、ほとんどよしこが徴収してしまい自分で使った記憶などあまりないのだが。子供ゆえに春になるとすっかりお年玉の事など忘れてしまっていた。)そんな会話をしていると、祖母かりつこが迎えにくる。
高知につくと、まず祖母と一緒に買い物に行く。よしこには行き帰りの服だけを詰めさせて、都電西部で日用品や着替えを買うのである。ユウサクもこの頃は高知にいくのがすごく楽しみだったし、祖母にしてみても首を長くして待っていたのだろう。仕事のかたわら、ユウサクをいろんな所へ遊びに連れて行った。とは言え、冬はこれといってやることもない。(夏なら、鏡川にワタリガニをとりにいったし、祖母の田舎までいって、川漁に出たりもした。)もっぱら外食につれていったり。飴の配達にユウサクを同乗させて、遠距離の場合、宿をとって一泊したりと、とにかく目に入れても痛くない程の可愛がりようであった。
祖父(祖母の再婚相手)は亡くなり、りつこも嫁にいった。相変わらずカツオ飴と喫茶店の二束のわらじでりつこがいないと仕事にならないので、祖母か毎日来るりつこ。どちらかが家にいた。
自分が結婚する!といっていたりつこが嫁にいった事は幼いユウサクにとって「不本意」ではあったが、りつこの主人もユウサクをよく可愛がり遊んでくれていたので、ユウサクに不満はなかった。
朝食はモーニングセット、物心ついた頃からコーヒーとトーストを食べている。昼食はランチ、おやつはミックスジュースかクリームソーダ、夕食は店を閉めてから、二人で食べる。普段は野菜や魚を好んでたべる祖母も、肉しか食べないユウサクに併せて献立をつくる。ユウサクの好き嫌いに拍車をかけていたのは・・・祖母のようである。
祖母の家から歩いて5分程のところに「模型屋」があった。飛行機が好きなユウサクは祖母から小遣いをせびっては飛行機や車、戦車などのプラモデルを買ってきた。手先が特別不器用。と言う程ではないが・・・ユウサクは短気であったため、部品が不良で、サイズが合わなかったりすると、すぐに癇癪をおこし作りかけの模型を叩きつけて壊した。男親の代わりがまわりにいなかったのがユウサクにとっての不幸だったのかもしれない。(当時のユウサクはひできに何かお願いをする・・・などというコミュニケーションはとれなかったのである)
「パイロットになりたい!」これはユウサクが中学3年になって(偏差値)という、現実を知るまでつづいた「将来の夢」であった。
つづく