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第二十七章 国境を越えて その2

「いよいよ開催されました、アレス帝国とセレネー王国の二国間競技会! 長い間溝があった両国がついに協調へと踏み出す大きな一歩となりました」


 国境付近の小さな村ダトハッサ。普段は旅人でさえも通り過ぎてしまうようなこの小さな村に、この日は国中から人が押し掛けていた。


 集められた魔術師たちが花火を打ち上げ、音響魔法で町中に実況の声を響かせる。


 売店の屋台や見せ物屋のテントまで集い、まるで都会のカーニバルのような賑わいがそこにはあった。


「ようやくここまでこられたな」


 準備のためにギリギリまで走り回っていたコウジは大会委員会の事務室として貸し出されている宿屋の一室で机に突っ伏していた。


 議決の通った後、当然ながらセレネー王国にも頼み込み実現までこぎつけた。すでにセレネー国王が下準備を整えてくれたおかげか、ここは思いの外スムーズにいったものの国境を越える長距離のマラソンというこの世界では初の試みは想像以上に準武備に手間取った。


 さらに集められた魔法使いたちも新たに開発された技術も試すと張り切っていたので、その準備のためさらに時間を要し、結局コウジが山頂でクリミールと魂と魂のぶつかり合いを演じてから1年近くが経ってしまっていた。


「コウジ様、このような場所でさぼっていてよろしいのですか?」


 紅茶を淹れたナコマがそっと机にカップを置く。


 ナコマはますます女らしくなったが、やはり小柄で華奢なままだった。今年もヘスティ王国との二国間競技会女子体操競技に出場し、見事優勝を獲得してしまった。


 当然、様々な企業や資産家が彼女のスポンサーになりたいとの申し出が殺到した。コウジもナコマが得意の体操に専念できるならとこれらの申し出を受諾することを勧めた。


 だがナコマは「私はスポーツ振興官コウジ様の使用人でございます」と言ってすべて断ったのだった。


 コウジはそれは驚いたが、ナコマの選択を尊重して使用人として傍に置くことにした。


「ほら、もうすぐで開会の言葉ですよ。今すぐ外に出ましょう!」


「ああ、そうだったね。ゼフィラさんと皇帝陛下のお姿をこの眼に焼き付けないと」


 一口だけ飲んだ紅茶のカップを机に置き、コウジは駆け足で部屋を飛び出す。


 舗装もされていない砂の地面が全く見えないほどに溢れる人々を押しのけながら、コウジとナコマは前へと進む。1年前の寂れた様子が嘘のようだ。


 広場に急ごしらえで作られた屋外舞台。その前には立ち入り禁止区画が設けられ、出場する選手たちが集まっている。


 男女混合。老いも若きも短パン姿で集まって、屈伸したり手足をぶらぶらと動かして準備体操をしている。


 そう、今日は二国間競技会マラソン競技の開催日だ。


 ここダトハッサ村からスタートして比較的緩やかな山道を登り、途中で国境を越える。今日ばかりは通行料なんてものは発生せず、選手は止められることなく関所を通り過ぎるのだ。


 そして谷間の道を抜け、セレネー王国内の村に設けられたゴールテープを参加者たちは目指す。


 そこまでの距離はおよそ30キロ。


 42,195キロには及ばないものの、この世界でここまでの長距離走は前例が無い上に、山間部ゆえ起伏も多い。よってやや短めのこのコースをコウジは選んだのだった。


 実際に1896年のアテネ五輪ではマラソンの優勝者のタイムは3時間をギリギリ切っていたレベルだが、2017年現在世界トップ選手は2時間2分台に到達している。しかもアテネ五輪では距離は40キロだった。


 このクベル大陸では競技レベル云々の問題ではなく、完走者を多く出すことが重要だった。


「やあ、コウジの旦那じゃないかい!」


 選手の中から見知った顔が現れ、コウジに駆け寄る。


 セレネー王国の郵便屋さんのラウルだ。彼を筆頭に郵便屋や羊飼いなど、普段高山を走り回っている人々もこの競技会には出場しているらしい。


「ラウル、久しぶり! 調子はどう?」


「30キロなんて俺には余裕だよ。なんなら3セット走ってもいいぜ」


「さすがだね、応援するよ」


「ああ、エルゴンザの奴もゴールで待ってるって言ってたからな!」


 元はいじめっ子といじめられっ子のような関係だったのに、すっかり仲良しになってしまったようだ。


 そんな風に話していると、別の影も手を振りながら選手たちの中から飛び出した。


「いたいた! コウジぃー、おーい!」


 元気いっぱいの鬼族のマトカだった。伯爵領で出会ってから3年、体つきはより引き締まっているが性格は以前から全く変わっていない。


「マトカも準備万端だね」


 彼女はニケ王国からのゲストとして、三日ほど前からここに来ていた。


 この競技会にはニケ王国も相当に協力している。運営のノウハウや魔術師の確保など、その分野は多岐にわたり、女性トップアスリートであるマトカの参加もそのひとつだ。


「アスリートクイーンとしてこの国の女の子にも私が走る姿を見せる必要があるからね」


 えへんと胸を張る。彼女は今年もプロサッカーリーグの一番人気で、応援グッズの売り上げはダントツでトップらしい。最近は実業家と協力して女の子向けのスポーツ振興事業にも取り組んでいるそうだ。


「レース前だというのに騒々しい連中じゃのう」


 背後から話しかけるけだるげな声に、コウジは振り返った。


 そこには相変わらず幼い見た目の魔女カイエと、対照的に巨大ながら優しい笑顔の巨人ベイルが立っていた。


「魔女様! ベイルさんも!」


「実は私も来ちゃった」


 ベイルの背中からすっと背の高い黒髪の女性が顔を出す。


「ユキ!」


「ええ、ニケ王国からかなり時間かかりましたが、ようやく到着したのですよ」


 ベイルとユキが親し気に身を寄せ合うと、魔女カイエは表情を変えないままこめかみに一本青筋を走らせた。


 ふたりはすっかりベースボールのスターだった。ユキの巧みな配球は投手全体のレベルを、ベイルの規格外のパワーは打撃のレベルをそれぞれ引き上げ、リーグ全体を活性化していた。


 さらに本人たちは否定しているものの、その関係は明らかに友達以上のそれだった。


「わらわ魔女たちも駆り出されたのでな。ベイルとユキもオフシーズンじゃからとついてきたのじゃ」


 魔女カイエはぶすっとしたまま後ろを見ないように話す。息子を嫁に奪われた姑の気分なのだろうか。


「ところで魔女様、今日はどういう魔術をお見せくださるのですか?」


 コウジは苦笑いしながら尋ねると、魔女は「うーん」と目を反らす。


「実は今日はわらわではなくて……」


「カイエ様ぁ、もうそろそろで始まりますわぁ」


 なんとも色っぽい声の持ち主が胸に着いたふたつのスイカをたゆんたゆんと揺らせて駆け寄るので、コウジはぎょっと目を凝らしてしまった。


 爆乳魔女マリットだ。雪国ヘスティ王国からわざわざやって来たらしい。


「あらぁどこかでお見かけした顔かと思いますと、コウジさんでありませんこと?


「ええ、奇遇ですね。ここには投映魔術で?」


 はははと笑うコウジの目は、その胸元にくぎ付けであった。だぼっとした衣服を着ているはずなのに、なぜこうも隆起ができてしまうのか。


「そうよぉ。それも今度のは規格外の魔術だから、私以外にもたくさん魔術師が必要なのよ」


「ああ、あれのことですね」


 コウジが頷くと、「あれ?」と隣のナコマが首を傾げる。


「そうだよ、あれだよ。まあ、後でわかるよ」


 コウジは使用人の頭をぽんぽんと撫でるが、ナコマはむすっとして「ずるいです」と言い放った。


 舞台脇の関係者のテントに入ると、そこには四人、よく知る人物が待っていた。


「コウジ、遅かったじゃないか!」


 デイリー公子、それに赤子を抱いたサタリーナ。公子にはすっかり父親としての貫禄が備わっていた。


 ナコマが「かわいいです」とサタリーナの腕の中の赤ん坊に駆け寄り、その美少女顔を思い切り崩した変な顔であやす。


「コウジ様、もうすぐで始まりますよ!」


 テントから舞台の上をじっと見ていたアレクサンドルはさらに背が伸び、ついにコウジを追い抜いてしまった。


 コウジはそっと、バレンティナの隣に座る。


「ここまで大変でしたね。お疲れ様ですコウジ様」


「いえ、バレンティナ様のおかげですよ。あなたがいないとここまで人を呼べませんでした」


「そうではありません。コウジ様の尽力はもちろん、ファーガソン公爵家にニケ王国王家、そして数え切れない多くの人たち。全員の協力があったからこそこの競技会は開催できたのです。誰一人欠けてもこの競技会は開けませんでしたわ」


 微笑むバレンティナにコウジは「そうですね」と笑って返した。


 そしてちょうど開会の放送が流れる。


「お集まりの皆様、遠方よりお越しくださりありがとうございます」


 舞台上で話すゼフィラの声が、魔術師たちの音響魔法で町中に響いている。


 町はしんと静まり返り、その言葉にじっと聞き入った。


「私たち二国は互いに隣人でありながら、その歴史の中で幾度となく争いを繰り返し、過去の怨恨をひきずってきました。ですがともに発展する未来のため、過去は過去と受け入れ、手を取り合って協力していく必要があります。この二国の国境をまたいだマラソンには、選手が友好の架け橋となれという願いが込められています」


 ラウルにはピッタリだな。


 懸命に走る彼の姿を思い返しながら、コウジは今後もこの大会が開催されることを強く願い、自然と祈りのポーズを取っていた。


 そう、大いなる山の神。すべてを包み込み邪気を払う山の神々に。


「以上です。ではこれよりマラソン競技を始めます!」


 魔術師が水晶玉に念を込め、さらにもう一人の魔術師がその水晶に手を添える。


 するとどうだろう、水晶玉からプロジェクターのように光の筋が放たれたかと思うと、宙空に四角のスクリーンのようなものが映し出され、そこにスタートラインに立つ選手たちの様子が映される。


 ここまでならばマリットが依然披露した投映魔法だが、今回はそれだけではない。


 現れたスクリーンの映像が切り替わる。それはコウジも見慣れた、ニケ王国王都の広場に集まってどんちゃん騒ぎを繰り広げる人々の姿だった。


「ここニケ王国ではゲスト出場した選手の応援に、ファンが駆けつけています」


 さらに切り替わり、今度はヘスティ王国の都ホルコーレンだ。


「このホルコーレンの都では毎冬スキーの競技会が行われています。都の人々は雪の降らない地域のマラソン大会に興味津々で集まっています」


「な、なんですかこれ?」


 映し出された懐かしの風景にナコマが慌てながらも興奮している。


「中継システムだよ。魔術師たちのネットワークのおかげで、通信魔法や投映魔法を応用して大陸各地にレースの様子を知ってもらえるんだよ」


 つまりは世界同時のパブリックビューイングと言える。


 当然ながら町中が大歓声に包まれてた。だが大陸各地、同じタイミングでこの歓声と同じ音が鳴り響いているのだ。世界中どこでも、皆が同じものを見て同じ興奮を味わう。


 まさに世界がひとつになった瞬間だった。


 ついに皇帝がスタートの合図用の銃を持たされ、その銃身を空に向けて構えた。


「それでは位置について」


 大歓声も一気に鎮まり、選手たちはスタンディングスタートの体勢で身構える。


 その中にはラウル、マトカ、帝国の兵士たち、セレネー王国の郵便屋に羊飼い。様々な国の様々な属性の人々が混じっている。


「よーい」


 氷のような緊張感に、会場の時間が止まる。


 バァン!


 銃砲とともに一斉にスタートする選手たち。同時に沸き起こる歓声。


 彼らは皆、ただゴールだけを目指して走り続ける。


 国境を越えたセレネー王国には、両国の友好を信じる人々が待っているだろう。

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