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第二十六章 もうひとりの皇帝 その2

「見えてきました、あれがダトハッサ村です」


 列車の窓からアレクサンドルが指差すと、コウジとデイリー公子も一緒になってその指し示す先を見つめる。


 乾燥した砂漠を貫く線路が高山地帯へと分け入る狭間、そこに家々が密集し、この村は形成されていた。ここからもう少し進めばセレネー王国だ。


 アレス帝国とセレネー王国の国境すぐ近くに発達したこの村は、鉄道の無い時代は陸上交通の重要拠点だったという。多くの商人たちがこの村から谷間や尾根を通って異国へと旅立っていったそうだ。


 実はアレクサンドルはここに来たことがあると言う。宮殿に入る前、しばらくこの町でレスリングの訓練を受けていたそうだ。


 コウジ、デイリー公子、アレクサンドルの男三人に紅一点ナコマを加えた一行が列車を降りると、そこには砂混じりの風の吹き荒れていた。


 村は閑散としており、やせ細った老人が軒先でうとうと昼寝をしているのが妙に目立つ。漆喰を固めた簡素な家々は老朽化で所々が崩れ、家主を失った家に至っては屋根が抜け落ちて無残な姿をさらしていた。


 日本でもよくある限界集落みたいなものかな。コウジはひどくぞっとした。


「全然似ていないのに、なんだか故郷を思い出しますね」


 ナコマが耳をシュンと垂らした。


 そういえば彼女は辺境の小さな村から奉公に出されたのだった。寂しげな雰囲気がどことなく似ているのかもしれない。


「少し前まで、あの宿で先生と寝泊まりしながらレスリングの鍛錬を積んでいたのですよ」


 アレクサンドルが指差したのは周囲で最も大きな建物だった。


 この周辺では珍しい、ニケ王国でよく見られる風情の建築で、手入れも行き届いているためか清潔な印象も受ける。


「その先生はこの町の人ではないのですか?」


 尋ねてきたナコマに対し、アレクサンドルは丁寧に答えた。


「ええ、レスリングを教えながら放浪していると仰っていました。何度訊いても名前も教えてくださらなかったので」


 奇特な人もいたものだなぁと思ってコウジが聞いている一方で、デイリー公子は民家の屋根越しに聳え立つ山を見上げていた。


「ここからさらに山を登るのか」


 他の3人も釣られて視線を移す。


 既に標高が争闘高いのだろう、所々低木が生える以外はろくな植物の見られない急峻な山容。乾燥しているので雲はもやひとつさえかかっていない。


 特に頂上付近はごつごつとした岩石に覆われ、生命の侵入を拒絶しているかのようだ。


 聞いたところではタクティ皇帝の腹違いの兄クリミールはこの山の頂で暮らしているらしい。


「クリミール様の今の身分は僧侶だからね。修行のためかな?」


 日本に古来より伝わる修験道でも修験者は長期間山に籠って修行を積むことがある。そういう風習を知るコウジにとって、山と僧侶を結びつけるのは至って当然だった。


「アポ無しだけど、大丈夫かな?」


「いいだろう、そもそもこんな場所にいる者にアポも何もあるか」


「うん、そうなんだけど……どうやって登る?」


 4人は改めて山を見つめる。


 圧倒的な存在感の前に誰一人として前に踏み出すことができなかった。


 そもそも安全な登山道が整備されているかも問題だ。道を知らぬ山だ、下手すれば遭難もあり得る。


「誰か道案内を頼める者はいないだろうか?」


「酒場なら仕事を終えた人も集まっているのではないでしょうか」


 アレクサンドルの提案に、一行は先ほどの宿の一階に設けられている酒場へと入った。


 確かにアレクサンドルの言った通り、ここには昼間から男たちが入り浸り外とは違って賑わっていた。


 すっかりべろんべろんになった羊飼いの親父が酒をさらに注文して、連れの男にもうやめろと注意される。だが店員は遠慮なく追加の酒を用意していた。


 そんなドタバタ騒ぎのすぐ隣のカウンターで、ひとり静かに酒と食事を取っている者がいる。


 足元には大きな背負い籠。見覚えある背中に、コウジは「ああ!」と声を上げた。


「おや、ニケ王国の旦那らじゃないか?」


 声に気付いたその男は、きょとんとした目でこっちを振り返った。額の角は鬼族の証だ。


「ラウルさん、どうしてここに?」


 コウジたちは駆け寄った。


 セレネー王国の郵便屋ラウル。彼のおかげでゼフィラの水晶玉は式典に間に合ったものの、決して驕らずただ仕事だからとこなした人物だ。


 恩人の彼とこんな場所で再会するとは、何たる偶然か。


「どうしてって、俺の仕事はこの山を駆け回ることだからな。セレネー国からの荷物をこの村の近くにある山の一軒家に届けて、今日はもうこの宿で休むつもりなんだ」


 もしかしたらこの人ならわかるかもしれない。


 そう考えたコウジは身を乗り出して尋ねた。


「ラウルさん、クリミール様の家は知りませんか?」


「クリミール? 誰だいそれ?」


 聞いたことの無い名のようで、ラウルは首を傾げる。そこにデイリー公子が付け加えた。


「僧侶だ。この町の山に籠っておられるらしい」


 聞いてラウルは手をポンと叩いた。


「ああ、山頂の山小屋のことか。あのおっさん、そういう名前だったのか」


 郵便屋はケラケラと笑った。


「いくら事実を知らないとはいえ、皇帝一族の者をおっさん呼ばわりなんて……」


 ナコマがさっと顔を青く染めた。たまに主に生意気な態度を取る使用人でも、幼い頃から身分の高い人物との接し方を叩き込まれているのだ。


「もしもバレたらえらい目に遭うだろうね」


 コウジは吹き出しそうなのを我慢して小さな声で話しかけた。


 幸いラウルはちょうど酒を豪快に飲んでいたので気が付いていないようだ。


「ラウルさん、その山小屋に案内してくださいませんか?」


「ああ、いいよ。もう仕事終わってるからねぇ」


 なんとも軽く承諾する。


 コウジ達は安心し、よっしゃあとガッツポーズを取った。


 そしてラウルはふと空っぽになったコップに目を移すとすっとコウジに突き出した。


「代わりにっちゃあ何だが、ここのお勘定お願いできるかな?」


 頷くとコウジはすぐさま財布を取り出した。




「山頂はもうすぐだぜ」


 すいすいと岩を跳び移るように進むラウルに、コウジは這いつくばりながらついていくのがやっとだった。


「ま、まさかこんなに山登りがきついなんて」


 空気は冷たいのに汗はダラダラと止めどなく流れる。


 高校でサッカーをやっていた頃ならまだ何とかなったかもしれないが、デスクワークばかりで運動不足の今ではあの頃の身体は戻って来そうにない。


「コウジ、置いて行くぞ」


 先を進むデイリー公子とアレクサンドルは息は切らしていたもののまだまだ歩けそうだ。


「コウジ様、こんなのではバレンティナ様の理想にかなう男になれませんよ」


「そういうことは言わないの!」


 コウジに歩調を合わせてナコマも山道を登るが、体操で鍛えた彼女もまだまだ余裕の表情で、さっきからコウジに冗談ばかり吹っ掛けてきている。


「あ、そういえばマトカさんはトレーニングの一環で毎朝近くの山をダッシュで登ってそのまま降りてを繰り返しているそうですよ」


「アスリートクイーンてよりバケモノだな」


 そんな会話で気力を保ちながら、コウジは重くなった足を引きずって進む。


 その時、さらに先を行くラウルの声が山に響いた。


「おい見ろ、小屋だ!」


 小屋だって? あともう少しだ!


 ゴールが分かれば人間やる気を出すものだ。全身にパワーが戻り、足取りも幾分か軽くなってコウジは前に進む。


 そして山影から小屋の屋根がちょろっと覗いて見えると、疲れなど最早吹き飛んでしまった。どこからともなくパワーがみなぎって突き進む。


 そして山頂に到着した一行は、大きく深呼吸すると周囲の眺望を見渡すのだった。


 背中には赤茶けた大地の平原、そして前方には急峻な山岳地帯。この対比は大自然のパノラマだった。


 そしてこの山を登ってわかったことだが、すぐ隣にはさらに巨大な山が居座っているのだ。


 だが山と呼ぶには歪でごつごつしており、まるで巨大な岩石がその場に置かれているような印象だ。


 クライミングの技術が無ければ、いや、例えあったとしても誰も登ろうとはしないであろう不思議な山だった。


 見下ろせば麓のダトハッサ村の様子もよく見える。


 黒い煙を残しながら走り抜ける列車と身を寄せ合う小さな家々。そして今は使う者も少なくなったという谷間に拓かれた街道まで。国境では今日も人々が行き交っているようだ。


 ラウルもあの道を走ったのだろうか。


 そう物思いにふけりながらも、安心感で足に疲れが戻ったコウジは手近な岩に座り込んでしまった、


「もうへとへと」


「おいおい、大切なのはこれからだぞ」


 コウジはデイリー公子に肩を貸されて立ち上がる。


 そして朽ちかけの木のドアを思い切りノックする。


「ごめんくださーい」


 だが返事は無い。


 まさか外出中か?


 おいおい、せっかくここまで来たんだから、出てくれよ。


「ごめんくださーい!」


 ドンドンドンと何度も強く叩く。声も張り上げる。


 突如、ドアがぶっ飛びそうな勢いで乱暴に開けられ、びびったコウジは後ろに下がってしまった。


「うるせぇ、先生は今瞑想の真っ最中なんだ、静かにし……」


 怒号とともに飛び出したのは大柄な鬼族の男だった。


 かなりご立腹の様子だが、コウジ達の顔を見た途端目を丸くする。そしてコウジとデイリー公子も、さらにはラウルまでもが指差して叫ぶのだった。


「「「「ああーーーーー!」」」」


 エルゴンザだった。


 セレネー王国の乱暴者、エルゴンザだ。


 散々ラウルを馬鹿にしながら公子たちに恐れおののいて逃げだした大柄な男だ。


 当然面識の無いアレクサンドルとあの夜は居合わせなかったナコマは何のことかさっぱりわからず、互いに顔を見合って首をかしげた。


「何でニケ王国のあんたらがここに? おまけにラウルまで」


「それはこっちが言いたいよ、何でここに?」


「何でってここは先生の家だからな。ただひたすらに強さを求める俺たちレスラーの星のようなお方だぞ」


「先生?」


 アレクサンドルは首を傾げたが、エルゴンザは小屋の中に呼びかける。


「先生、客ですよ!」


 答えは沈黙だった。


 だがしばらくして「通せ」と静かな、けれども深く明瞭な男の声が聞こえ、一行は屋内へと招かれたのだった。

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