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第二十五章 帝都での再会 その2

 レスリングの訓練が終わった後、街並みを見下ろす宮殿の一室にて、コウジ、バレンティナ、デイリー公子、ナコマの4人にアレクサンドルを加えた面々でお茶会が開かれていた。


「まさかここまで大きくなっていたなんて、見違えたよ」


 くびれた小さなガラスコップで3杯目の紅茶(チャイ)を飲み干しながら、コウジはすっかり逞しくなったアレクサンドルをたたえた。


 2年前、伯爵領の畑で初めて出会ったときは周りの子どもよりもだいぶ小さくて体力も決してある方ではなかったのに。今ではコウジよりやや背が低いくらいで既に逆三角形の肩広に成長している。小学校高学年くらいの年齢のはずなのに、この2年で随分と変わってしまったものだ。


「コウジ様のおかげです。私にスポーツの面白さを教えってくださったから、厳しい鍛練にも前向きに取り組むことができました」


 畏まった態度でも、アレクサンドルの顔立ちには幼さが残っていた。にこっと笑う顔はやはり出会った頃のままだ。


「アレクサンドルは特にレスリングに夢中のようで。格闘技の本場と呼ばれる帝都に来て本格的な訓練を受けているのですよ」


 バレンティナも次々と紅茶を注ぎ足して飲み干している。アレス帝国流の作法はニケ王国のものと大きく違うのだが、彼女はすっかり順応していた。


「そうだな、先ほど試合をした兵士たちも皆ニケ王国でなら師範を張れるほどの腕前の持ち主だった。この環境で鍛錬を積めば自然と腕は磨かれましょう」


 久しぶりに良い汗をかいたとデイリー公子も火照りながら、ロクムという砂糖とでんぷんを固めた甘い菓子を少しずつ齧っていた。


 レスリング。おそらくはスポーツという概念が登場したときには既に存在していた歴史ある競技だ。


 互いに組み合って伏し倒すというシンプルかつ明瞭なルール。これに類似した競技は世界中に古くから存在するが、現在最も普及しているスタイルの原型は、5000年前メソポタミアのシュメール人の時代から存在したという。


 特に古代ギリシャでは市民の教養としてレスリングは取り扱われていた。イデア論で有名な哲学者プラトンも大会で優勝するほどの選手だったと記録されており、その名も「広い肩」というリングネームに由来すると考えられている。


 レスリングがここまで普及した背景には、他の格闘技に比べて高い安全性が保たれていること、低予算かつ少人数でも実施できるという点が大きい。実際にレスリングのメダリストにはスポーツのそこまで盛んでない発展途上国の選手も多く、スポーツ文化の定着に大いに貢献している。


 なおご存知の方々も多いと思うが、日本はレスリングの強豪国である。日本は五輪に復帰した1952年ヘルシンキ大会以降、ボイコットしたモスクワ大会を除き、全ての大会でレスリング競技において何らかのメダルを獲得してきた。その数は2016年リオデジャネイロ五輪終了時点でその数は金32、銀20、銅17の合計69個にも昇る。


 このクベル大陸にも元の世界と同様、全土でレスリングやよく似た競技は存在していたが、各地で流派やルールに大なり小なりの差異があった。


 コウジは将来の国際大会を見据え、元いた世界のルール、特に階級の区別と得点のカウントについて成文化してまとめていた。そのルールはアレス帝国でも広がりつつあるようで、アレクサンドルもコウジのルールブックを所有していた。


「コウジ様、帝都に来られたということはここでも大きな競技会を開かれるのですか?」


 アレクサンドルがロクムを口に放り込みながら尋ねた。


「うん、ちょっと頼まれてね。そういえばアレクサンドル、この前の建国記念日のお皇帝陛下の演説は聞いたかい?」


「ええ、五国の王が勢揃いしたものですから、国民の皆さんもすごく喜んでおられましたよ。ご年配の方には他国をあまり良く思っていない方も多いのですが、さすがに諸王が並んで五国協調を提示なされたとなると、考えを改めようという雰囲気も起こっています」


「そんなに効果があったのか、やっぱりあの水晶が間に合って正解だったんだね」


 ニケ王国一行は顔を見合わせて頷いた。


 ゼフィラの機転とラウルの健脚がなければ、どうなっていただろうか。


「ええ、正式に発表はされていませんが、あの演説の立役者がセレネー王国の郵便屋さんだという話は公然の秘密となっています。これもセレネー王国との関係を改めようという動きの一因だと思います」


 コウジ達の考えていることを察知して、アレクサンドルが補足する。


 ラウルさん、あなたはやはり英雄だよ。コウジは感心しながらぐいっと紅茶を飲み干すと、強く息を吐いたのだった。


「それなら僕も仕事がやりやすいや。国民感情が良好な内に、競技会の計画を練らないと」


 俄然やる気が出てきたぞ。このチャンスを逃すものか。


 意気込むコウジだが、アレクサンドルの表情はどうも浮かばれなかった。


「ええ、ですが……そうスムーズにいくでしょうか」


「どうしたのアレクサンドル? 心配なことなら早く言ってくれた方がコウジ殿のためにもなるわ」


 バレンティナが弟の肩に優しく手を振れると、アレクサンドルは頭を姉の方へと垂れた。肉体は屈強な筋肉に覆われていても、やはり愛する姉の前では甘えてしまうようだ。


「皇帝陛下は他国との友好関係を深めやがては自由貿易や国家をまたいだ事業の実現を構想されております。ですが帝国も決して一枚岩ではありません。皇帝の施政を快く思わない一派もいます。そしてその反体制派の急先鋒が、皇帝陛下の異母兄弟だと、もっぱらの噂なのです」


 バレンティナの顔が引きつり、デイリー公子の目が鋭く傾いた。


 さっきからずっとロクムを食べ続けていたナコマも手を止めている。


「……どういうこと?」


「あまり声を大にしてする話ではないのですが……国民の多くは既に知っていることでしょう」


 コウジが尋ねると同時に、ちょうど追加のロクムを持ってきたゼフィラがため息交じりに入室する。


 一同が耳を傾けると、ゼフィラは小さな声で話し始めた。


「タクティ皇帝は先代皇帝が晩年の頃に正妻の皇后様との間にお生まれになられました。ですがその時には既に側室の一人との間に15歳になろうかというお子がおられたのです。皆次はその子が帝位を継ぐものと思い込んでいましたが、タクティ皇帝の誕生ですべてが変わってしまいました。そしてその子こそタクティ皇帝陛下の異母兄であるクリミール様なのです」


 まるで豊臣秀吉だな。コウジは顎に手を当てた。


 かの戦国の天下取りも、当初は甥の秀次を跡取りにと考えていたそうだ。だが側室の淀殿との間に息子秀頼が誕生したことで状況が一変し、ついに秀次は自刃にまで追い込まれたという。


「クリミール様は宮殿を離れ僧となりました。ですが20年が過ぎてタクティ皇帝が帝位を継がれると、反体制派の家臣や大臣をそそのかして一大勢力を作り上げたのです。そしてことあるごとに弟の施政を妨害しておられるのです」


「なんと、実の弟をそこまでして追い詰めたいのか?」


 デイリー公子の顔が怒りで赤く染まるが、女性もいる手前、拳を震わせる程度で堪えていた。一領地の統治者として、後継者争いについては彼も敏感なのだ。


「噂では最終的には皇帝の座を奪い返そうとしていると聞きますが、どこまでが真実かはわかりません。ですがクリミール様のタクティ皇帝への恨みは相当なものではないでしょうか」


「それには同情しますが……ただお生まれになっただけで恨まれるなんて、本当にタクティ皇帝も辛い立場ですね」


 バレンティナが弟の頭をそっと撫でながら漏らした。


「今回の五国会議についても、そのように足並みをそろえていては事を仕損ずる、他国には強硬姿勢で挑むべしと皇帝陛下とは真っ向から意見をぶつけておられました」


「そのクリミール様を捕まえることはできないのですか? 皇帝陛下へのいやがらせとかなんとかかこつけて」


 ゼフィラが新たに持ってきたロクムも既に何個か手を付けているナコマが、指に着いた粉砂糖を舐めながら聞いた。


 途端、ゼフィラは慌てたように答えた。


「この帝国は法治国家です。暴力などは一切行使せず、単に意見として述べておられるのなら現行の帝国法では裁けません。それに昔ならともかく大陸五国協調へと舵を切る中でそのような法を無視した、それも身内殺しを行えば他国はどう思うでしょうか」


「そうなればセレネー王国も友好のための競技会なんて耳も貸さないだろう」


 デイリー公子がすかさず答えると同時に、コウジは頭を抱えて机に突っ伏してしまった。


 今までも事を進めるために様々な障害をなんとか乗り越えてきたが、またしても大きな壁が待ち構えているなんて。


 しかも今度の相手は一筋縄ではいかなさそうだ。

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