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第二十四章 国境の郵便屋 その4

 翌朝、一行がホテルで朝食を食べている最中、慌ただしい様子で駆けつけた衛兵がゼフィラを呼び出した。


 昼前にゼフィラがホテルに戻ってくると、彼女は顔が崩れるほど泣きじゃくっていたのでコウジ達は何事かと身構えてしまった。


「ゼフィラさん、どうされました?」


「……間に合ったの」


「はい?」


「間に合ったのよ、ラウルさん! 今朝水晶玉を帝都まで届けたのですって!」


 ぼろぼろと泣きながらも喜ぶゼフィラ。押しつぶされそうな不安から解き放たれて人目もはばからず泣き叫ぶ。


「よ、良かったー!」


 ふうと胸を撫で下ろすコウジとデイリー公子の脇をバレンティナが走り抜け、ゼフィラの肩にそっと手を添えた。


「今朝帝都から水晶に通信が入ったのを知らせてくださったのよ。聞いた話では、一晩中走り抜けたものでぼろぼろだったみたいで、特別な報奨を用意しようしたの。でも彼ったら、私は郵便屋だから法定の料金以上はいただけませんって言い残して帰っちゃったそうなのよ」


 言い終えてゼフィラはさらに激しく泣き始めた。


 なんという人だ。コウジはラウルの漢気に感じ入ってしまった。


 帝国のピンチを救った英雄として崇められてもおかしくないのに、彼は郵便屋として自分の職務に忠実であり続けたのだ。




 2日後、ラウルが戻ってきたという知らせを受けてコウジ達は郵便局を訪ねた。


「いやあ、さすがに疲れたけれどおもしろかったよ。徒歩で国境を越えたのは久々だからな」


 今日の仕事は終わりと仕事から上がったばかりのラウルと郵便局前で立ち話をする。大通りとあって忙しく人や家畜が行ったり来たりしていた。


「国境は徒歩で越えられるのですか?」


 コウジが尋ねた。


 この世界にはパスポートも無い。現代日本人のコウジには今一つ実感の湧かないことだが確かに以前ヘスティ王国に行った時も境界の目印はあったもののただそれだけで通り越してしまった。


「そうだよ。今の時世みんな鉄道を使う物だから、街道沿いの関所の兵士も居眠りしてやがったんだ。でも通行料の取り立てだけはきっちりやりやがったぜ、憎らしいことに」


 けけけと笑うラウルの隣で、ゼフィラも笑いを堪えながら加えた。


「セレネー王国から帝国に出入りする際、人数や荷物の量に応じて通行料を取ることになっているのです。他の国とは行っておりませんので、本当困ったものです」


 まるで関税だ。セレネー王国としては貿易面で帝国より優位に立ちたいため、このような措置を執っているのだろう。


 輸出入の際にかかる税金のことを関税と呼び、多国間との貿易において重要なファクターとなっている。


 特に発展途上国では自国の産業を守るため、高い輸入税を設定することが多い。こうすることで輸入商品の価格が高くなり、自国で生産された商品が低価格のまま国内で販売できるメリットがあるからだ。


 輸入すればするほど逆に儲かるため、国によっては国税の大半を関税が担っている国も実在する。


 そんな昔どこで習ったのかも忘れてしまった知識をコウジが思い返している一方で、ゼフィラはまたもひたすらにラウルに頭を下げ続けていた。


「本当に感謝しようにも感謝しきれるものではありません。是非ともお礼を」


「いいや、その気持ちだけで十分だよ。俺は郵便屋、きっかり届けてなんぼだからね」


「ですがそれでは私の気がおさまりません、どうか」


「ううん、それじゃあ……今晩みんなでまたあそこで飲もうじゃないか!」


 はい! と即答するゼフィラに、一同は絶句した。


 また酔っ払いどもの面倒を見なくちゃならんのか? コウジは頭を抱えた。




「それではラウルの仕事の大成功を祝ってー、かんぱーい!」


 ホテルの前の酒場。ロバの獣人の店主はテキーラを注いだグラスを高々と掲げて叫ぶと、コウジ達も「かんぱーい」と続いた。


 今日のメンバーはラウルとゼフィラ、そしてコウジにデイリー公子にバレンティナの大人ばかりだ。ナコマは既に他の使用人とともにゼフィラのベッドを用意している。


「マスター、俺は郵便屋として当然のことをしただけだ。いちいち褒められてたらキリが無いぜ」


 恥ずかしそうに顔を赤らめ、ラウルがもじもじする。あまり褒められ慣れていないようだ。


「日々ラウルさんが真面目に仕事をしてきたからこそですよ。ずっと走り通すなんて、並大抵の人じゃ先に折れてしまってできません」


 隣に座ったゼフィラがにこっと微笑むと、ラウルの顔も緩んだ。


「そ、そうかな。俺は頭も良くねーし手先も不器用だ。だけど誰よりも長く走っていられる。自慢できるのは足だけだったんだ。そんなもんで俺はなし崩し的に郵便屋になったが、この仕事だけは誰にも譲れねえ、そう思ってただ仕事を続けてきただけなんだ」


 小さく肩をすくめながらもテキーラを一気に飲み干すその姿には、決して堂々とはしていないものの郵便屋としての誇りが表れていた。


 そんな時突如、やたらと騒がしい集団が店内になだれ込む。


 全員がガタイの良い大男ばかりで、夜の高山は肌寒いのに盛り上がった筋肉を見せつけるような薄着をしている。


「おう、邪魔するぞ!」


 その中でも特に巨大な砲丸のような体型の鬼族の髭もじゃの男がカウンターに手を振ると、店主の表情がこわばった。


「お前ら、帰って来たのか!?」


「何だよ、王都の英雄が巡業から帰って来たんだぜ、嫌そうな顔するなよ。ほらお前たち、じゃんじゃん頼め!」


「俺、テキーラ!」


「俺も俺も!」


 男たちの笑い声で店内の雰囲気がすっかり変わってしまった。


「にぎやかですね」


 苦笑いしながらコウジが言う。


 だがふと横を見ると、ラウルはじっと酒の残ったグラスに目を落としたまま固まっていた。


「やれやれ。あいつはエルゴンザ、昔っから悪さばかりしていたのだが、腕っぷしが強いのでレスリング選手になっちまった」


 マスターもため息を吐きながらカウンター裏の棚から酒瓶を下ろす。あまり良い客ではないようだ。


「さあさあ、この店の酒を飲み尽くすぞー! ……ん?」


 レスラーのエルゴンザの動きが止まった。その視線は明らかにラウルの背中に向けられていた。


「そこのお前、もしかしてラウルじゃねえのか?」


 にこにこ笑顔でずんずんと近づくエルゴンザ。だがコウジは見ていた。一歩一歩床を踏む度に、ラウルの手が震えていることに。


「黙ってねえで返事くらいしろよ!」


 そしてすぐ横に立って大きな顔を近づけると、凄みをを利かせた声で叫ぶのだった。


 だがラウルは視線さえ動かさない。じっと酒だけを見つめていた。


「おいラウル、随分と大勢で来てんじゃねえか、それにしてはしょぼくれてんな、ん?」


 今度はいきなり穏やかになるエルゴンザ。仲間の連中からは下品な笑い声が沸き起こった。


「お前はガキの頃からそうだな、ひょろくて力じゃ俺に敵わねえ。今だってそうだ、俺は試合に出れば観客から拍手喝采をもらえるのに、お前は雨の中でも山を走り回ってる。俺のいる場所に日陰者のお前は不釣り合いなんだよ、わかったらとっととこの店から」


「ふざけたこと抜かすんじゃないわ!」


 エルゴンザが目をぱっちりと開いた間抜けな表情のまま固まった。店内を稲妻のように貫いた女性の声に、皆静まり返ってしまった。


「ゼ、ゼフィラさん?」


 エルゴンザのすぐ後ろで、ゼフィラは椅子から立ち上がっていた。背中の翼を少し開き、威嚇するような格好で。


「ラウルさんはとても素晴らしい人よ。真っ直ぐで、決して一時の名誉に駆られたりはしない。決して人前で目立つことはなくても、誰だって信用している、ラウルさんはそういう人よ。それに引き換えあなたはどうかしら? 力で周りを言いなりにさせているけれど、見ていない所では何て言われているか分かったものじゃないわ」


 店内がざわついた。エルゴンザの仲間たちが「やばいよ」などとひそひそ話し出す。


「もっぺん言ってみな帝国の姉ちゃん。お前のそのきれいな顔が台無しになるぞ」


 当然顔を真っ赤にし、仁王像のごとく憤怒の相のエルゴンザは、ゼフィラの胸倉を思い切り掴んだ。


「ゼフィラさんに触るな!」


 ラウルはすかさずカウンターのテキーラのガラス瓶を握りしめた。そして酒の入ったそれを思い切り、エルゴンザの後頭部に叩き付ける。


 ガラスの砕け散る音と盛大な水音とともにエルゴンザが床に崩れ落ちる。いくらレスラーとはいえ後頭部の奇襲には耐えられなかった。


 青ざめるエルゴンザの仲間たちに、痛みで声も上げられないエルゴンザ。店内の時は完全に止まっていた。


 やがて酒に濡れたエルゴンザがゆっくりと立ち上がると、振り返ると同時にラウルにつかみかかったのだ。


「このクソ野郎、ぶち殺してやる!」


 コウジも止めに入る。その時、マスターが「黙れこの馬鹿者!」と店内の壁から天上まですべて震わせる大音響を放ったため、全員が怯んでしまった。


「衛兵を呼ぶぞ。先に挑発してきたのはエルゴンザ、お前だとしっかり話してやる!」


 マスターもどうやら怒りが爆発したようだ。ずっとエルゴンザには迷惑をかけられてきたのだろう。


「そうだね、今のはどう考えてもエルゴンザが悪いね」


 すかさずコウジが加わった。そしてちらりとデイリーとバレンティナにも目を向ける。


 ふたりも何をするのか理解したようで、こくりと頷くと先に公子が口を開いた。


「確かになあ、私もこの眼でしかと見ていた。明らかにお前の方が先にふっかけていたな」


「そうですね、兵士が来たら私たちも説明しなくてはいけませんね」


 バレンティナも続き、コウジ達はわざとらしく話を続ける。


「誰だお前ら。関係無いだろ、すっこんでろよ!」


 エルゴンザは三人を睨みつけるが、ここで公子が立ち上がった。


「関係無いわけが無い。我々はラウルの友であるからな。申し遅れた、私はニケ王国ファーガソン公爵の長子、デイリー・ファーガソンだ」


「同じくニケ王国コッホ伯爵の娘にございます、バレンティナですわ。以後お見知りおきを」


 店内にどよめきが走る。


 何故そんな高貴な人が? それもあのラウルの友だと?


 口々に騒ぐエルゴンザの仲間たち。


「こ、公爵に、伯爵だと……?」


 さすがのエルゴンザも事の重大さに気付いたようだ。額から汗を垂らし、あんなにたぎっていた顔から血の気が引いている。


 ちなみにコウジは完全に名乗るタイミングを逃してしまっていた。


 分が悪いと判断したか、エルゴンザは振り返ると足早に店を出る。


「ラウル、良いお友達を持ったもんだな。けっ、こんな上客を大切にしない店、二度と来るかってんだ」


 仲間たちもエルゴンザを追いかけて外に出る。


「お前らみたいなんが上客だと思ったことは一度も無い、とっとと出ていけ」


 店主に言い返す者は誰も無く、店はすっかり平和で静かな空間に戻ってしまった。


 項垂れたまましゃがみこんで割れた瓶の欠片を拾い始めるラウル。


 そんな彼はそっとゼフィラに目を向け、ぼそっと言った。


「ゼフィラさん、ありがとう。俺なんかのために言い返してくれて」


 いっしょに欠片を拾いながら、ゼフィラはそれに笑顔で返した。


「あんなの帝国の荒くれ兵士に比べればかわいいものですわ。それよりもラウルさん、あなたこそ自信を持つべきよ。行き過ぎた謙虚さは時として自信の喪失につながって、できることもできなくなってしまうのよ」


 コウジ達もほっと一安心して深く息を吐いた。


「さあ、邪魔者もいなくなったんだし、飲みましょ!」


 そして聞こえるゼフィラの声に安堵した気を重くするのだった。

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