第二十三章 緊迫の五国会議 その4
「お気になさることはありません、いつものことですから」
ゼフィラは肉団子を頬張りながら笑ってのける。
「ですが五国間の協調を必要とする競技会なのに、過去のしがらみを引っ張り出してわざわざ足並みを乱すのはやはり良くない。スポーツをきっかけに関係が改善されることだってあるのに」
不満をたれながらコウジは塩で炒めたキャベツを口に放り込んだ。噛んだ瞬間からしょっぱさの中に優しい甘みが広がり、苛立ちもいくらか収まった。
フェアを重んじるスポーツは国家関係の潤滑油として、しばしば外交に用いられる。友好の証として、また国威の発揚としてスポーツイベントは人々の強い関心を惹きつけるのだ。
最も有名なものはアメリカと中国のピンポン外交だろう。
東西冷戦の影響で1949年の中華人民共和国建国以来、アメリカと中国は断絶状態にあった。だが密かに交渉を行っていた両国は1971年、名古屋で開催された世界卓球選手権に参加し、その直後中国はアメリカ代表を本土に招く。これをきっかけに両国の関係は改善され、ニクソン大統領の訪中、さらには日中国交正常化など中国の西側諸国への進出が促されたのである。
アカデミー賞作品賞にも輝いた映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』でもこのピンポン外交について触れられている。アメリカの歴史においてこの出来事が大きなターニングポイントであったと評価されている表れだろう。
そしてクベル大陸五国間の関係深化を目的としたこの会議。スポーツをもってそれを実現する競技会開催の議決を、コウジは心底確信していた。ゆえに山脈の国セレネー王国の態度はコウジにとって予想していないものだった。
また4年後に持ち越されるのだけは避けたい。次の会議の主催国は反対派のセレネー王国だ、自分達に有利な議題でうやむやにされるに決まってる。
歯がゆい思いを噛み締めて、コウジはまた大量のキャベツ炒めを皿に取った。
だがそんなコウジをデイリー公子はワイングラスを揺らしながら諭した。
「コウジ、外交はそう単純なものではない。友好も何がきっかけで潰えるかわからない、脆いものだ。そういう危うい均衡を保ちながら、初めて国家は存在できるのだ」
「ええ、帝国内も一枚岩ではないところをうまく折り合いを付けているというのに、隣国との関係にまで気を使うのは本当、寿命が縮まりますわ」
ゼフィラの冗談に笑いが起こり場が和む。だが国内の安定もままならない現状、全員がぎくっと震えたのだった。
夕食後、すっかり住み慣れた自宅に帰ったコウジは繕い物をするナコマと向かい合い、紅茶で一服していた。
「ひどい話です」
多少背は伸びたものの、せっせと靴下の穴を縫い合わせるナコマはまだまだ小柄だった。
「だろう、アレス帝国の高官がいたたまれなくてこっちも胃が痛いよ」
「使用人が粗末な夕食で我慢しているところをご主人様は各国の要人と晩餐会などと」
「そっちかよ! ……ねえ、ナコマは五国間競技会が開催されたら嬉しい?」
「当り前です。もっと多くの国の人と体操を競い合えるのですからね」
ナコマの手が止まり、鼻から強く息を吹き出す。
今も体操の練習を続ける彼女はその華奢な体格を活かし次々と新技を生み出し続けていた。来年のヘスティ王国との二国間競技会にも年齢制限ギリギリでの出場がほぼ確定している。
「そうだよねえ、選手ならきっとそう思うんだけどなぁ」
「ではとりあえず五か国での開催は諦め、賛同する国同士での開催はいかがでしょうか? 楽しそうにしていたら一緒に加わってみたくなるのが人情ではありませんか?」
「うん、それは僕も考えた。でもそれはかなり危険な賭けだよ。のけ者にされた国民はどう思うだろう? 良い気分がしないのは当然、他国への反感も抱えるだろうし、場合によったら自国への不信も高まる。下手すれば大陸分断にもつながりかねない、危険な決断だよ」
スポーツを通じての外交は非常に有効だが、時としてその場が政治に左右されることもあるとコウジは知っていた。
1980年のモスクワ五輪でアメリカはじめ多くの国が参加をボイコットしたのはスポーツ外交における負の側面と言える。
1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻を非難してアメリカは翌年の五輪出場のボイコットを主張する。それに従わざるを得なかったとはいえ賛同した国は多く、その中には日本も含まれていた。そしてその翌大会1984年には、今度はソ連がロサンゼルス五輪出場をボイコットした。アメリカのグレナダ侵攻を受けての決定だが、前回大会の報復という意味も多分にあった。平和を謳うオリンピックが原因で国家間の関係が悪化してしまったのは本末転倒であろう。
競技会をきっかけに五国関係が揺らぐのはスポーツ振興官として、何があっても避けたかった。そのためにはすべての国が互いに納得のできるフェアな条件で参加する、それが前提条件になる。
コウジは考え込んで額に皺を寄せる。その顔をじっとナコマは手を動かしながら見ていた。
「コウジ様、前から思っていたのですが……なぜコウジ様はそこまでスポーツでの友好にこだわるのですか?」
「え、それはスポーツが好きだから、ただそれだけだよ」
突然の質問にコウジはとっさに答えるも、ナコマは「本当ですか?」と疑い深く聞き返すのだった。
それ以外何があるのか。少しムッとしたコウジだが、改めて考えなおす。
そしてふと遠い過去の記憶が蘇り、情景がおぼろげながら思い出されていくのだった。
そうだ、あれはいつだったかな。まだ幼稚園に通っていた頃、家で何もすることが無くて、テレビを何気なくぼうっと眺めていた時だった。
映し出されていたのはサッカーの試合。その頃は名前も知らない、外国同士の代表戦だった。
白熱の試合に人間離れしたテクニックの数々、コウジはその選手たちの動きにすっかり魅了され、じっとテレビの前に座り込んで見入ってしまったのだった。
試合は同点のまま後半を終え、延長戦でも決着がつかずPK戦に持ち込まれた。
ようやく勝負は決したものの、敗れたチームも勝利したチームも選手たちは皆晴れやかで、互いにユニフォームを交換して抱き合っている。満員の観客も自国敵国問わず選手たちの健闘を称え最大限の歓声を贈っていた。
そして最後は控えも含めすべての選手が互いに手をつなぎ、ぐるっとフィールドを歩いて回った。大喝采に包まれるスタジアム、選手も観客も皆ひとつになっていた。
その姿を見て幼いコウジの魂はひどく揺さぶられた。まだ感動という概念が無い幼心にも、今目の前で起こっている出来事は素晴らしいことだと本能で理解できたのだ。
「そうだ、あれからだなぁ」
思い出してふふっと笑うコウジを見て、ナコマはじっと目を細めた。




