第二十二章 帰国
緑の山肌に白や黄色の斑点が見える。寒さを耐え忍んだ高山植物が春の訪れとともにその花を咲かせているのだ。
閉ざされた冬を終え、ホルコーレンの都では太陽の恵みを歓迎する祭りが開かれていた。毎年この時期は大陸南端付近の海域も氷結が収まるので冬の間は運休していた定期船も再開され、都は多くの人で賑わうらしい。
だが都が活気付くこの季節、コウジはこのヘスティ王国を去らねばならなかった。
「寂しくなりますな」
王城の巨大な門の脇に止められた馬車のすぐ傍で、ブローテン外交官一家はコウジたちとの別れを惜しんでいた。
思えば外交官にはお世話になりっぱなしだった。ヘスティ王国に招かれたのも外交官の手引きのおかげだし、仕事でも学校や施設への口利きに協力してくれていた。そしてサタリーナのそりとシットスキーの制作のために職人のガンホーを紹介したのも。
「いえ、こちらこそ大変ご迷惑をおかけしました。でも、また仕事でお会いできるでしょうし、その時にまた飲み明かしましょう」
コウジは改まってかしこまり、恩人に頭を下げた。
「コウジ様、お元気で!」
「また遊んでくださいね!」
「ああ、お父様とお母様の言いつけをよく聞いて、立派な紳士と淑女になるんだよ」
かわいらしい双子のヴィクトルとアンも礼儀正しくも無邪気に別れの挨拶を告げ、コウジは二人の頭を撫でて返した。
そんな外交官一家と並んでいたバレンティナと車椅子のサタリーナも進み出る。
「それでは私も後からニケ王国に向かいます。またお会いしましょう」
ふたりにとっては元の場所に戻るだけなのだが、バレンティナの顔には惜別の念が漏れ出ていた。
「ええ、いつでもかまいませんよ」
平静を装いながら挨拶を済ませると、サタリーナがここぞとばかりにぐいっと前に出た。
「コウジ、お別れなんて、私寂しいわ」
可憐な流し目。その思わせぶりな態度にコウジは少しばかりドキリとした。
だが直後、サタリーナはぷっと吹き出すとぎゃははと笑い飛ばしたのだった。
「なーんてね、私もバレンティナと一緒に帰るんだから、何勘違いしてるのよ。おまけにすぐ公爵領にも行くのだから。王都からもそんなに離れていないのだから、暇さえあればいつでも会えるわよ」
本当にこの人は……。コウジはぎゅっと拳を握りしめた。
だが同時に心の中でありがとう、と礼を述べる。彼女のおかげでバレンティナとの仲が深まり、さらに察した後も色々と気遣いをしてくれたのだから。
「公子によろしくと伝えておいてください。では、これで」
「お待ちください、コウジ殿」
馬車に乗り込もうとした途端、バレンティナが走り寄った。
そして頬を赤らめながら、じっとコウジと目を合わせる。その眼差しにコウジの心臓は激しく高鳴った。
「その……お仕事が忙しいのは承知していますが、また伯爵領にも戻って来られてはどうです? アレクサンドルも武術の稽古をつけて随分と逞しくなりましたし、一度お見せしたいですわ」
「それは是非とも。私も屋敷の皆さんにお会いしたいと思っていたところなのです」
ぎこちない二人のやりとりに、ナコマはため息をついてぼそっと呟いた。
「白々しいですね、建前ばっか……いたたたた!」
すかさずコウジは手を伸ばし、自慢の猫耳をつねりメイドを黙らせる。
「それでは」
いよいよコウジとナコマが馬車に乗り、発進する。残された者たちは城門の外に出てもなおずっと手を振り続けていた。
巨大なフィヨルドを横目に山道を馬車は走る。コウジはずっと黙り込んだまま、ナコマはまだ痛む耳をさすっていた。
「コウジ様、これからどうなさいます?」
不意にナコマが尋ねる。
「忙しくなるよ、報告会もあるし。ヘスティ王国のスポーツ施設がまだどの程度必要か、建築士の派遣についても話し合わなきゃ」
「お仕事の話ではなくて、バレンティナ様のことです。お互いに初心なもので、ぜんっぜん先に進まないじゃないですか」
やれやれと首を振る使用人。コウジは赤面し、ぷいっと顔を背けた。
「そ、それは……話し合って決めるよ」
「誰とですか! ブッカー様にでも相談してみてください、ディグニティ・ユニオンを通じてすぐさま世間の噂話の的になりますよ!」
何も言い返せず、コウジは歯ぎしりをしながら馬車の外を眺めていた。
巨大な谷に挟まれたフィヨルドには大小様々な船が行き交う。ヘスティ王国は喜びの春を謳歌していた。
これにて第四部はおしまいです。ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます!
当初はもっと短くまとめて完結させようと思っていましたが、思った以上に長引いてしまいました。ですがいよいよ次の第五部で完結予定です。
あともうしばらくお付き合いくださると作者としても大変嬉しいです。
改めて、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。




