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異世界オリンピックを開くまで とあるスポーツオタの大出世街道  作者: 悠聡
第一部 異世界は思った以上に平和でした
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第二章 気が付けば専属トレーナー その4

 食後はウイスキーを交えての団欒が貴族の嗜みだ。


 ただの団欒と侮るなかれ、客人がいる場合、ここは重要な交渉と根回しの場となる。普段でも情報交換を行い、家族の結束を強める役割もあり、実質領民の運命を左右する決断が下されるのもここだ。


 そんな腹の下を探り合うような場でこの夜行われていたのは、コウジ独壇場のサッカー談義だった。


「私たちの使うボールは皮をより複雑な形に丸めることで、限りなく真球に近付けています。ゴムの外側に皮を縫い付け、最後に空気を入れます。そうすることで適度な反発と直進性を実現しているのです」


「ゴムを使うのですか? 熱帯でしか採れない貴重品なのに」


「ゴムはゴムでも植物から得られる天然ゴムではなく、石油を加工して人工的にゴムを作る方が多くなりました」


「石油は燃料以外にも利用されているのですね」


 バレンティナが感心した。コウジにとっては当然のことも、この世界の人間にとっては想像もつかない未来の技術なのだ。


 特にバレンティナが興味を抱いたのは、サッカーを支えるテクノロジーよりもサッカーをプレイするための国際的な基準、ルールの存在だった。


「私はそのような世界中で共有される競技を存じません。多くの貴族が馬上槍試合やテニスを楽しんでおりますが、領地によってルールや作法は異なっております」


 この世界は地球上の歴史で言うところの近世に近い文化レベルにあるとコウジはなんとなく理解していた。国王、領主、領民という三段階に分かれた封建制度で成り立つ社会だ。


 領地ごとの自治権は強く、隣同士でも領主が違えば政治、経済、外交ではまったく別の国と見ても良い。そして大概の領民は裕福であったり特別な機会が無い限り、一生領地の外へ出ることは無い。


 領民の日々の楽しみは収穫と祭日を祝う宴、そして村を挙げての競技大会だ。今度開かれる大会も小麦の収穫を祝ってのものだ。その際には領主も列席して、領民の奮闘ぶりを見守るのが通例らしい。


「世界で統一された競技団体があればそういった差異を埋め合わせることも可能です。そういえば、他の領地と競技会を開くことはあるのですか?」


「いいえ、貴族同士ならあり得ますが、そのサッカーのような大きな規模の大会はありません」


 バレンティナが琥珀色のウイスキーを揺らしながら流し目で答えた。


「同じ領内だけでなく他の領地と対抗して競技会を開ければ、とても面白そうなのに」


 アレクサンドルがホットチョコレートを手にきらきらと目を輝かせながら姉を見ている。それに気づいたバレンティナはゆっくりと首を横に振った。


「それだけの領民の移動と宿泊場所を確保するのは大変でしょう。その間日々の仕事の手を止めなくてはなりませんし実現は難しいでしょうね」


 アレクサンドルが口を曲げた。




「寝間着はこれです、さあ脱がせますね」


「だから自分でやるってば!」


 ナコマが白色のナイトガウンをひらめかせてコウジに飛びかかる。ネコの獣人らしく身軽な動きで、すっとコウジの背中に回るとジャケットを引っ張った。


「いいえ、メイドの意地です。こればかりは客人とはいえ譲れません」


「僕だって自分のズボンくらい自分で履き替える意地があるよ!」


 そして長い攻防の末、コウジはナイトガウンを羽織ってベッドにひっくり返り、息切れひとつ起こさないで脱いだばかりの服を片付けるナコマを見ていた。


 まだ幼い子供なのに、慣れた手つきでてきぱきと衣類をしまっている。部屋の中で定位置から移動している蝋燭や傾いた絵も気付けばすぐに直した。


「ねえナコマ、君はこの屋敷に来てどれくらい経つの?」


「もう6年目でしょうか。私の家は兄弟が多く、食い扶持を減らすためにもある程度の年齢になれば奉公に出るのが普通でした」


 屈んで箪笥にズボンをしまいながら、ナコマは答えた。


「寂しくない?」


「いいえ、伯爵様にバレンティナ様、それにアレクサンドル様は私を温かく迎えてくださっています。あのような方々にお仕えすることができて、私は幸せ者です」


 箪笥を静かに閉じて振り返ったナコマの顔は満面の笑みだった。


 そんなナコマの目がふとベッド脇の何かをとらえ、「これはどうなさいます?」と尋ねた。


 指差していたのはビジネスバッグだった。コウジとともに元の世界から唯一一緒に運ばれてきた物。


「何か入っていたかな?」


 コウジはベッドに鞄を乗せ、中の物をひっくり返した。


 ボールペンの入った筆箱はまあ使いどころもあるだろう。財布はこの国の通貨に入れ替えればいい。腕時計も太陽光発電式でおまけに防水完備だから内部の部品が壊れない限り使える。


 だがスマートフォンは電波が入らず充電もできないただのガラクタ。会社のパンフレットは鼻紙にも使えない。


 本当にロクな物持ってきてねえな。そう思っていた時、鞄の奥から一冊の本がどさりと落ちた。


 去年の夏に開かれたオリンピックの特集雑誌。内容が面白かったため、大会終了後も繰り返し読んでいたものだ。電車で退屈した時のために入れたままにしておいたことをすっかり忘れていた。


「何ですかこの本は? 色がすごくきれいです!」


 ナコマが身を乗り出した。この世界には活版印刷はあってもカラー印刷は困難で、写真ともなれば開発すらされていないようだ。


「ああ、僕のいた世界のスポーツ雑誌だよ。オリンピックていう4年に一回、世界中からスポーツ選手が集まって競技を開く大会があって、その時の写真や記録が載ってるんだ」


 読むかい? コウジは紙がぼろぼろになった雑誌をナコマにそっと差し出した。


 ナコマは「はい!」と返事するや否や、表紙をめくった。


 そして一枚一枚の写真を見るたびに息をのみ、はあーと深く息を吐いた。


 円形のリングの上で組合い、相手を持ち上げる屈強な男子レスリング。水面から一直線に脚を伸ばし、華麗な幾何学模様を描き出すシンクロナイズドスイミング。鉄球を振り回し雄叫びを吼えて放り投げるハンマー投げ選手。


 映像を見なくとも、彼らの迫真の形相が写真を通じて熱気と人間離れした技の数々をナコマは感じ取った。


 特に彼女がじっと見入っていたのは女子体操だった。細い平均台の上で倒立と宙返りを繰り出す連続写真に、まばたきすらせず完全に入り込んだ。


 机の上に置いた腕時計の秒針が何周かしてから、ようやく我に返ったナコマは慌ててベッドから起き上がった。


「す、すみません! 私ってばお客様のベッドに膝をついちゃって!」


「いやいや、いいよ。ナコマもスポーツは好きかい?」


 コウジが何気なく尋ねると、ナコマは赤らめた顔を縦に振った。


「はい、今度の競技大会では使用人も多く参加します。私も女子徒競走に参加しますので、是非とも見にいらしてください!」


 地球では女子スポーツの普及は20世紀になってからだが、この世界では女子でもスポーツへの参加が一般的らしい。この点に関してはうちの世界より進んでいるかもな、コウジはそう思った。

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