第二十一章 希望のシットスキー その4
到着したハクバンは谷間に発達した町だった。流れる川に沿って乳白色の温泉が噴き出し、石灰質が固まって天然の浴槽を形成している。まだまだ雪の残る季節だが、誰も彼もがのほほんと満足の笑みを浮かべながら温泉に浸かっていた。
嬉しいことに男女で同じ温泉に浸る混浴だが、残念ながら皆水着を着用している。温泉というより温水プールの感覚に近い。
「ふうー、いい湯だ」
コウジは温泉に浸かり、冬の仕事の疲れを癒す。手足をだらんと伸ばし、この上なくリラックスする。ぬめった泉質も身を委ねれば気持ち良い。
ここはブローテン外交官の手配したホテルの所有する温泉だ。山麓に湧き出したばかりの熱さをそのまま楽しめ、さらに小高い地形から町を一望できる。最高のロケーションだ。
「にゃー、サウナじゃ相手にならないです。極楽極楽……」
耳をだらしなくしおれさせたナコマの目はただの横線になっていた。いつものくりんと丸い目玉は面影もない。
「私もここに来たのは久しぶり、ニケ王国に帰ったら温泉を作れる場所を探してもらおうかしら」
「ふふ、そのためには火山を探しませんとね。でも確かにこれは……ふういい気持ち」
すぐ近くでサタリーナとバレンティナの美女ふたりが、白い柔肌に温泉の湯をよく練り込んでいる。水着とはいえなんという色気か!
「喜んでいただけたようで光栄です。ゆっくりと羽を伸ばしてください」
妻イリーナとはしゃぎまわる双子のヴィクトルとアンの相手をするブローテン外交官の顔もほころんでいた。この国の外交官として、国一番の温泉街に対する揺ぎない自負が見て取れた。
そんなコウジたちに近付く人影があったものの、すっかり脱力した一行は誰もそのことに気付かなかった。
「お、あんたたちもここに来てたのか」
突如話しかけられたコウジはいつの間にやら重くなっていた瞼を跳ね上げて振り返った。
「ガンホーさん、何故ここに!?」
スキー職人のガンホーだ。屈強な鬼族らしく隆起しながら均整のとれた筋肉に、もみあげから顎まで覆う髭がワイルドさを醸し出す。
「ああ、今までずっとスキーの修理の依頼が舞い込んできてて、休む暇が無かったんだ。けどもうスキーをする奴も減ったから、俺にも空きができたんだよ」
どうやらヘスティ王国の民の間ではこの町に湯治に来るのはごく一般的なことらしい。温泉に浸かっている間は身分も種族も関係なく触れ合うことができるのだ。
「それにオフシーズンなのは俺だけじゃない。おおい、こっちに来いよ」
ガンホーがもくもくと立ち込める湯煙に向かって呼びかけると、その中に黒い影が浮かび上がる。
「あらぁ、どこかで見た顔かと思えば、チャンピオンじゃありませんこと?」
湯煙の中から現れたのはホルコーレンの魔女マリットだった。競技会の時には映写魔法でサタリーナたちの激走を広場に中継していた彼女だ。
あの時は厚手の防寒着を着ていたが、それ越しでも透けて見えそうなダイナマイトボディが彼女の魅力だ。男性観客は皆虜になっていた。
そして今は温泉、彼女も水着姿。肩出しのワンピースのようなゆったりとした構造だが、以前は隠されていた豊かな胸が惜しげも無く晒されている。
コウジもブローテン外交官も彼女の胸の巨大な球を凝視して、ガンホーも改めて彼女の恵まれた肢体をにたにたと見回す。
慣れっこなのか自信があるのか、マリットは男どもの反応を見てわざと胸を張り出すように背中を反らせた。
ついにコウジは陥落し、目を反らした。そしてすぐ隣のとろけるような表情でくつろぐナコマを見て、脳内の興奮を中和させる。
「マ、マリットじゃないの、偶然ね。あなたも癒されに来たのかしら?」
平静を保とうとするサタリーナも規格外の爆乳を前に表情が引きつっていた。隣のバレンティナも茫然と口を開けたまま固まっている。普段こんな顔を見せることは全く無い。
「ええ、この冬は各地の競技会で引っ張りだこだったからねぇ。あ、そういえば誰かニケ王国に私の投映術のことを手紙で教えた人がいたみたいで、ニケ王国の魔族から是非ともコツを教えてくれって手紙が殺到したのよ。あんまり広めたくなかったんだけど、誰がやったのかしらね」
あ、それ僕だ。
ニケ王国の使節としてヘスティ王国の現状や会議の内容を報告していたのだが、その中でスキー競技会のことにも触れ、この国の魔女は投映魔法で競技の様子を伝える技術があると書状に書いてしまった。
「でもまあいいわ。久々に師匠とも連絡が取れたし、師匠のアイデアで映像だけじゃなくて音声も伝えられるように改良を加えたのよ」
「面白そう、是非見せてください!」
双子のヴィクトルとアンがじゃぶじゃぶとお湯をはねのけて駆け寄る。きらきらと輝く四つの無垢な瞳にはマリットも敵わないようだ。
「そうね、せっかくだしね。それなら……」
そう言うと魔女は温泉の水面に手をかざし、念じた。例の「んっ……」という妙に艶めかしい掛け声とともに、その手元に小さく、映像が映り込む。
薄暗い部屋の中のようだ。本がうず高く積まれ、随分と散らかっている。
「魔女様、散らかした本はちゃんと片付けてください! こんなだからいざ必要な時にどこに行ったか分からず慌てるのですよ」
「うるさいのう、どこにあるか覚えておればよいだけの話じゃ……と、水晶に通信が入っておるぞ」
映像を通して聞こえた嫌と言うほど馴染みのある声に、サタリーナ以外の一同は互いに顔を見合わせた。
「師匠、また怒られているのですか?」
「別に怒られとるわけじゃないぞ、従者とのスキンシップじゃ。ところでどうしたのじゃ、マリット?」
映像の向こうの人物の顔がアップで映し出され、一同は仰天した。なんとマリットが師匠と呼ぶ人物はコウジたちもよく知る魔女カイエ・サマだった。
「ええ、ニケ王国から来られた客人に私の術を披露しているのですよ」
「ほうわざわざニケ王国から冬のヘスティ王国に行くなど、命知らずな……と、コウジにバレンティナ!?」
水晶玉を通じてコウジ達の姿を確認したのか、魔女カイエも驚いて後ずさりしてしまった。
「あ、どーも」
「相変わらずご達者ですね」
和やかに手を振る二人を見て、幼い姿の魔女はばつが悪いとでも言いたげに頭を掻く。
「お主ら、なぜそろって温泉など入っているのじゃ?」
「まあ色々とありまして。まさかマリットさんの師匠がカイエ様だったなんて……」
「そうじゃ、マリットはわらわより50ほど年下じゃ。幼い頃のマリットに魔術を教え込んだのはわらわぞ」
「そうなのですね……」
そう力なく返事して、コウジは水面に映り込む魔女カイエとそれに手をかざすマリットとを見比べる。
なぜ年上の魔女カイエがマリットに比べて貧相な体つき、いや、むしろ幼い体つきのままなのだろう。
「……コウジ、その目は何じゃ? 言いたいことがあるのなら正直に申してみてはどうじゃ?」
「いえ、何も」
疑い深く目を細める魔女カイエに対し、コウジは首を横に振った。
「だいぶ温まったし、私もう上がるわ」
サタリーナの声に他の女性陣も立ち上がる。久々の魔女カイエとの対面だったのでつい長話になってしまい、皆のぼせる一歩手前だった。
この温泉の傍らには丸太づくりの小屋が立てられ、そこが更衣室として利用されている。当然ながらそこに関しては男女別だ。
サタリーナに肩を貸しながら、女性たちが連れだって更衣室に入る。それを見送っていた男性陣の中から職人のガンホーが飛び出し、忍者のような身のこなしで小屋の壁に貼り付いた。
そして自分の身長よりもだいぶ高い位置に設けられた小窓を見つけると、いやらしく鼻の下を伸ばしながら報告するのだった。
「おいおい、この更衣室、頑張れば覗けるぞ!」
鬼族の男はこういう奴しかいないのか?
呆れたコウジは口元まで温泉に浸かり、ぶくぶくと泡を吹き出す。
「ほっほっほ、ガンホー殿はいつまでもお若いですなあ。私ももう少し若ければお付き合いしましたのに」
小刻みにジャンプを繰り返してなんとか窓まで顔を上げようとするガンホーの背中を見ながら、ブローテン外交官は笑っていた。
コウジも以前から思っていたのだが、この人も結構欲望に正直な性格のようだ。
「でもいいのですか? 今更衣室には奥様もおられますよ」
コウジのその一言に外交官の目の色が変わった。凄まじいスピードで立ち上がり、激しく水しぶきを上げて温泉を走り抜けるとガンホーの太い腕をつかんで押さえつけたのだった。
「ガンホー殿、悪いことは言いませんからすぐにおやめください」
鬼気迫る形相。血の気の引いたガンホーはこくこくと頷いた。
いわゆる温泉回でした。
なお作者はトルコ旅行の際にパムッカレの温泉で白人ババア(70くらい)のオールヌードを見てしまいました。
インパクト強すぎて記憶から消えてくれません。




