第二十一章 希望のシットスキー その3
翌日、久々の銀世界に降り立ったサタリーナは意気揚々とシットスキーに乗り込んだ。
脚を固定し、ストックで雪を突き刺す。少し体重をかけると、まるでスキーが意思をもったかのように滑り出した。
「うん、すごいフィット感。私の身体にもばっちりだわ! ところで……」
雪の感触にはしゃぎながらも、サタリーナは視線を移す。
「どうして今日のふたりはそんなによそよそしいの?」
そう言ってコウジとバレンティナを見るので、ふたりはびくっと身体を震わせた。
並んで立つ二人の間には、親密とは思えないような奇妙な隙間が生まれていたのだった。
「そ、そうですか?」
「そんなことありませんですわよ、私とコウジ殿は以前よりこのような関係であられございました」
「バレンティナ、言葉遣いが何か変よ。昨日何かあったの?」
はいその通り、大ありです。
昨夜の一件以降、ふたりとも互いに妙に意識し合うのでいつもの調子で接することができなくなっていた。特にバレンティナは今までこうもため込んでいた感情を吐露したのは初めてのようで、コウジを見ると顔を赤くして俯いてしまうのだった。
「ふむ、おふたりの仲が良いのは嬉しいことですな」
同行したブローテン外交官はなんとなく察しているようで、意味深な視線をコウジに送った。ガンホーを紹介した当人として、完成したシットスキーを見ておきたかったのだ。
「ふうーん、まあいいわ。見ていてね、私のスキーを!」
疑いに目を細めながらも、サタリーナは雪の斜面へと飛び出した。
まさかいきなり、コウジは止めようと手を伸ばしたが、その心配は無用だった。さすがはチャンピオン、急な斜面もコブも何のその、巧みな体重移動とストックさばきで初めてのシットスキーを乗りこなしている。
「そう、この感覚よ! やっぱり自分でストックを使って滑り降りるこの感覚、間違いなくスキーだわ!」
巻き上げる白い雪は流星のよう。その滑降は優雅で美しいものだった。
彼女の顔は希望で照らされていた。嘘偽りない喜びの笑顔がそこにはあった。
やはりサタリーナはスキーがあってこそのサタリーナなのだ。この呆れるほどのスキー愛が彼女のアイデンティティであり、生きる目的なのだ。
スキーの女王、クイーン・オブ・スキー。女性のチャンピオンに贈られるこの称号は彼女にこそ相応しい。
サタリーナはあっという間に坂を滑り終えてふうと額を拭う。それに遅れてコウジたちが続き、最後尾に護衛のクレイグ兵長が到着するなりサタリーナはまた雪にストックを刺した。
「クレイグ、一緒に来て! まだスキーのシーズンは終わっていないわ、次の競技会に向けて特訓よ!」
そう言って血気にたぎりながら広大な雪原へと向かって行った。かつて以上の元気に、使用人たちは不安の相を浮かべていた。
「やれやれ、本当にお元気なお嬢様だ。これでは使用人の皆様も心配が尽きませんな」
そんな雰囲気を感じ取ったブローテン外交官が皮肉交じりに言うと、皆がぷっと吹き出した。
「コウジ殿のおかげです。国としてもサタリーナ様を支援できてなんとか面子は保たれました。もしコウジ様がおられなければと思うと本当に恐ろしい」
外交官はコウジに向き直り、深く頭を下げる。確かに、これがもしも王家の姫君ほどの身分ならば重大な国際問題にも発展していたところだ。
「いいのですよ。すべての人、どんな状況にあっても人はスポーツを楽しむ権利があります。身体の自由が利かなくとも、道具の補助やルールの配慮があれば誰とでも平等に楽しむことができます。スポーツ振興官として当然のことをしたまでです」
「そんな建前ばかり並べて。本当は……いたたた!」
隣に立つナコマがぼそっと呟き、コウジは慌ててその猫耳をつねった。さすがに今日ばかりはお仕置きをしても良いだろう。
もう平地では雪も溶け始めた頃だ。そろそろこの国ともお別れが近付いていた。
そんな時にブローテン外交官がヘスティ王国きっての観光地へと案内してくれるとあって、コウジとナコマは胸を躍らせていた。
「山をひとつ越えた先にあるハクバンは温泉で有名です。多くの者が湯治に訪れ、日々の疲れを癒しているのですよ」
一家を連れてやって来たブローテン外交官の話を思い出す。そう言えばこの世界に来てから肩までゆっくり温泉に浸かる機会が無かった。温泉好きの日本人の一人として、これほどの興奮はあろうか。
しかし行きの馬車でなんとバレンティナと同席とわかった途端、コウジは固まってしまった。
外交官のお気遣いというところだろうが、余計なことをとコウジは顔をひきつらせた。
「ハクバンは久し振りね。食べ物は美味しいし景色はきれいだし、良い町よ」
「わあい、楽しみです!」
サタリーナとナコマも一緒なので多少は和んだものの、密室の馬車の中には終始なんとも気まずい空気が漂っていた。コウジもバレンティナも恋愛に関してピュアな者同士、これからどう接するべきか悩んでいたのだった。
「……やっぱりあなたたち変ね。具体的にはシットスキーの完成した辺りから」
サタリーナの指摘に二人そろってびくっと跳ね上がる。そしてついに気付いたのか、一瞬まさかと驚いた顔を見せたサタリーナは、次の瞬間にはすべてを悟ったように頷いた。
「そうそう、デイリー公子から手紙が届いたのよ。雪が溶ける季節には今の仕事が一段落するから、公爵領に遊びに来ないかって」
「あ、あら、それはよろしいこと。是非お伺いするべきですわね」
気を遣って別の話題を振るサタリーナに乗っかるバレンティナだが、やはり言動が不自然だ。
そう言えばデイリー公子は今どうしているのだろう。風の噂では新しく作った鉄道の開通目前で超多忙と聞いているが。
「車椅子でも動きやすいようにって階段をスロープに作り替えるそうよ」
「もういつ嫁いでも安心ね。いっそのことそのまま居座ったらどうかしら?」
「やーねえ、そういうのはちゃんと手順を踏んでからよ」
「サタリーナ様って意外と古風なんですね」
微笑ましい女性陣のやりとりの傍らで、コウジは窓の外に目を移した。
陽の当たる山肌の雪はもう溶け始め、隠れていた緑が顔を覗かせていた。




