第二十一章 希望のシットスキー その2
「よし、いいぞ!」
試作品のシットスキーに座り雪の傾斜を滑りながら性能を確かめるコウジ。先日とは違い跳ね上がりの衝撃にもよく耐えている。だがまだまだだ。サタリーナならこれよりも速く滑っていたはずだ。
このままもっとスピードを!
コウジは前傾姿勢になり前へ前へと加速する。さらにターンを加え、途中での方向転換にも耐えられるか試した。
ガンホーが良い材木を選び抜いただけのことはあり、急な体重移動でもスキーは軋みひとつ音を立てない。そして最後の大きなコブを乗り越え、コウジは坂を危なげなく滑り降りた。
「やった、やったぞ!」
嬉しさのあまり両手を上げる。だがそのせいで最後の最後にバランスを崩し、横向けにどさっと倒れ込む。
「おおい、大丈夫かい!?」
スキー板を履いたガンホーがすぐに坂を滑り、雪に半身を埋めるコウジのすぐ傍でブレーキをかける。
「ええ、スキーはまったく壊れていません。これならサタリーナ様のスピードでも耐えられます」
椅子と下半身とを固定している紐を外し、ゆっくりとコウジは立ち上がった。一方のガンホーはぐっと拳を振り上げるとガッツポーズを見せつける。この世界で初めて、シットスキーを作り上げた男の喜びがそこにはあった。
「これならサタリーナ様も満足してくださるはずです、ガンホーさんありがとう!」
「いいってことよ、あんたからは良いアイデアをもらった。俺はこれからこいつの量産体制に入るぜ」
ガンホーはコウジの手を強く握り何度も振った。職人として困難に打ち勝った喜び、未知の挑戦を成し遂げたプライドのせいかマメだらけの手はじわっと汗ばんでいた。
「やりましたね、コウジ殿!」
続いてバレンティナも坂を下りる。彼女も試走にずっと付き添ってくれたのだ、ずっとコウジの背中を押してくれたのだからシットスキーの開発の功労者と言っても良い。
「当然のことをしたまでです。私はバレンティナ様に数え切れないほどの恩を受けてきましたから」
返って来るコウジの言葉をバレンティナは微笑んで受け止める。だが、その顔には何かしら憂いがあった。
その夜、最後の微調整を行うためにガンホーは工場へとシットスキーを持って帰った。渡すのは翌日、コウジもちょうど休日でバレンティナ含む多くの者を連れてスキーに行くつもりだ。
ついに完成したとあって、サタリーナの別荘では盛大に祝いの席が設けられていた。いつも以上に豪華な食事と秘蔵の酒が振る舞われ、コウジとナコマも出される料理を遠慮なくたいらげた。特にナコマは故郷ニケ王国風の味付けが恋しくなっていた頃で、スープの最後の一滴まで余さず胃袋に収めてしまった。
さらに部屋も用意され、この日は一泊していくこととなった。時間を気にせずバレンティナらと飲むのは久しぶりで、コウジもつい強めのウイスキーを次々と飲んでしまう。
おかげで部屋に戻る頃には足元がおぼつかなく、階段の手すりにもたれかかりながらゆっくりゆっくりと昇っていた。
情けない姿をさらしてしまったものだと後悔しながらも、身体はどうしても言うことを聞かない。さらにナコマにも肩を貸してもらいながら、やっとのことでコウジは自室のベッドに寝かされる。
「はあ、何やってるんだろ」
不甲斐ない。つい調子に乗りすぎた。
シットスキーが完成したと聞いて明日の試走を嬉々として待つサタリーナの瞳は、かつて足が動いた頃以上に輝いていた。それを見てバレンティナも心の底から慈しむように笑っていた。
そんな彼女たちを見て舞い上がり、ついつい飲み過ぎたのがいけなかった。
いつぞや大学の飲み会で日本酒をがぶ飲みしたせいで、帰り道にマーライオンしてしまったことがあった。あの時ほど酔っていないとはいえ、恥ずかしい。令嬢たちに何と思われてしまったか。
「まったく、お酒はほどほどにしてくださいよ。私はサウナに入ってきますから」
ベッドに放り投げるようにコウジを寝かせたナコマは、汗を拭いながら部屋を出た。
この別荘にはサウナが備えられている。ヘスティ王国では伝統的にサウナが好まれ、熱した石に水をかけてその蒸気で身体を温めるのが国民の習慣になっている。
王城にもサウナはあったが共同で利用する大規模なものだった。コウジのような客人にあてがわれる個人用のサウナも複数の人と交代で利用していたので、自由に入ることができなかった。
そんなサウナを自由に独り占めできるとあって、ナコマは鼻歌交じりに廊下を歩いていた。コウジも普段なら食後しばらくして入るところだが、今日は酒を飲み過ぎてそれどころではない。
「あー、水、水飲まなきゃ」
コウジはのろのろとベッドの上を這いながら脇の机から水差しを手に取り、コップに水を注いだ。空気で冷やされた水を喉に流し込み、酔いを和らげる。
その時、ドアがノックされる。
ナコマが忘れ物でもしたのかな? コウジは「はーい、どうぞー」とベッドに突っ伏したまま声を出すと、扉がゆっくりと開けられる。
立っていたのはバレンティナだった。
酔いは一気に醒めた。ベッドから跳び上がり、まるで気を付けのようにしゃんと背筋を伸ばしてバレンティナの方を向く。だが視線はなるだけバレンティナの顔を見ないよう、少し上、天井を向いていた。
「コウジ殿、本当に、本当にありがとうございます。サタリーナも喜んでいましたわ」
「と、当然のことをしたまでです。バ、バレンティナ様には常日頃感謝しておりますので」
「コウジ殿……そういう建前は抜きにしてくれますか?」
「建前だなんて、私は……」
言いかけてコウジは言葉を続けられなかった。
立ち尽くしていたバレンティナは駆け足ともいえる速さでコウジに近付くと、そのままコウジの首に手を回して顔をコウジの胸に押し付けたのだった。
「サタリーナのことを気にかけてくれて、私はとても嬉しい。でもあなたまで怪我しないか、ずっと不安だった。今だから言うけれど、私はあんな危険なことするくらいなら、すぐにでもあなたにシットスキーの開発をやめてもらいたかった」
室内でも冷え切った空気の中、バレンティナの肌は温かみは強烈に感じられたコウジの心臓が行き場所を求めて跳び上がり、頭も現状の把握に精いっぱいで身体の動きまで指示が回っていない。
まさかバレンティナ様、酔っているのか?
コウジは邪推するが、晩餐でのバレンティナはワインを少し飲み干しただけで酔うほどの量ではない。実際に伯爵領ではその数倍の酒を飲んでいたのを覚えている。
バレンティナは顔を上げた。蝋燭の光を照り返し唇が艶っぽく動く。
「コウジ殿……いえ、コウジ、あなたはいつの間にか私にとってとても大切な人になってしまっていたのです。だからあなたが心配で……だから無事に今日を迎えられて、本当に嬉しいの」
これっていわゆる、告白というものでは? こんな酒の入ったタイミングで?
パニックになりながらも、コウジの思考の片隅ではどこかしら落ち着いたものがあった。デイリー公子やナコマなど、バレンティナのコウジへの好意に気付いていた人物から教えられていたこともあり、もしかしたらと期待していたのも事実だ。
バレンティナほどの女性、滅多にいるものでは無い。家柄、人柄、容姿、すべてを備え、新しいものも受け入れる度量がある。そんな女性から好かれるなんて、いわばずっと日陰の存在だったコウジには願っても無い好機だった。
当然、コウジにもそんなバレンティナに好意を抱いたことはあったが、それはいわば憧れとしてであって手が届くような存在ではないと無意識の内に抑制をかけていた。
だがバレンティナがこう言った以上、そんな必要はもうどこにも無い。
「だからですよ、バレンティナ様」
コウジが答えると、バレンティナは目を丸くした。涙に潤う、美しい青い瞳だ。
「バレンティナ様が心配していつも見守ってくださったからこそ、私はここまでできたのです。自分のことを想ってくれる方を安心させるためにも、男には挑まねばならないときがあるのです。そう、私にとってもバレンティナ様は大切な人ですから」
バレンティナが再び顔をコウジの胸に埋めた。その細い体にコウジはそっと腕を巻き付け、ふたりは互いに強く優しく抱き合った。




