第二十一章 希望のシットスキー その1
「おいおい、これを作れって、本気か?」
屈強な鬼族の男が渡された図面とコウジの顔を何度も見比べながら吐き捨てた。
ホルコーレンの都の港の近く、工場や材木の卸問屋が集中する一角に、スキー職人のガンホーは工場を構えていた。先日のサタリーナ特注そりも彼の作品だ。
「はい、これがあれば足の不自由な方でもスキーが楽しめるはずです」
コウジはまっすぐにガンホーの髭面を見つめ返す。その言い知れぬ気迫に、職人も反論はできなかった。
コウジがガンホーに見せたのはスキーの図案だった。だがスキーと言ってもただのスキー板ではなく、二本並べたスキー板の上に椅子が乗っかっているようなものだ。
いわゆるシットスキーだ。足の不自由な人でもスキーを楽しめるよう考案され、現在ではパラリンピック他世界選手権も開かれる人気競技。
この起源は第二次世界大戦の頃、ドイツやオーストリアの負傷兵が短いスキー板と松葉杖を使ってレジャー目的でスキーを始めたことにあり、1960年代には世界的に広がった。そして1976年にはスウェーデンのエルンシェルツビクで開かれた第一回冬季パラリンピックでも正式競技として採用された。
なおシットスキーとよく似たチェアスキーと呼ばれるものものあるが後者はサスペンションが組み込まれ、衝撃に強くなっている。よってシットスキーは主にクロスカントリー競技、チェアスキーはアルペン競技でのスキー板として使い分けられている。
ガンホーは改めて図案を見て、うーんと首を傾げる。スキー板以外にもソリや家具も作れる自信はある。だが今まで見たことの無い道具、それも設計を間違えれば人の命にも関わる代物だ。バランスや強度が十分に得られるか、不安要素はいくつもあった。
「……あんたの世界ではこれが本当にあるんだな?」
ガンホーの鋭い声に、コウジは「はい」と即答した。
聞いてガンホーは図案を机に置いた。
「あんたの世界の職人にできて、俺にできないことは無い。大船に乗ったと思って任せな!」
ガンホーは早速製図用の机に座り込み、アーム状に備え付けられたコンパスや分度器を引っ張り出す。コウジは「ありがとうございます!」と深く頭を下げた。
それからは毎日が忙しかった。平日は視察や会議など本来の仕事に打ち込み、休日はガンホーの試作したシットスキーの改良と試走に赴く。
「お、いいぞいいぞ!」
コウジはスキー板に取りつけられた椅子に座り、傾斜を滑り降りながら加速する。
だが途中でできたコブに乗り上げて跳ね上がると、着地の衝撃で椅子とスキー板を接着する部分がへし折れてしまった。
空中に投げ出され、雪の上に叩き付けられてそのままゴロゴロと転がる。痛みは雪でやわらげられているものの、突如の振動に目が回り立ち上がれない。
「マレビトさん、大丈夫かい!?」
駆けつけるガンホーは足元に気を付けながら斜面を降りた。坂の上からは防寒着を着込んだバレンティナが両手を組んで心配の眼差しを向けている。
「平気です。さすがガンホーさん、バランスはもう十分です。あとは折れた部分の強度を上げれば完成ですよ」
「そうか、それなら別の材木を試してみよう。明日材木商の船が港に入るはずだ」
ガンホーの腕を借りて立ち上がり、壊れたシットスキーの破片を回収して雪の坂を上る。
「コウジ殿、何もここまで危険なことを繰り返さなくても」
待っていたバレンティナはこの寒さの中でも冷や汗をかいていた。彼女はここ最近休日ごとに投げ出されたり転倒するコウジを嫌と言うほど見ていた。いつサタリーナと同じように取り返しのつかない事態とならないか、不安で仕方なかったのだ。
だがコウジは強く見つめ返し、笑って答えた。
「サタリーナ様の痛みに比べれば何てことありません。それにこのシットスキーは私が発案したのですから、最後までつき合う責任があります」
「とかなんとかカッコいいこと言って、実際はぼろぼろじゃないですか」
ナコマはため息を吐きながらコウジの背中の傷に薬を塗っていた。
王城のコウジの部屋で、服を脱いだコウジは身体中にかすり傷や打ち身を負っていた。幸いどれもこれも大したことは無い怪我ばかりだが、他人に見られれば何事かと驚かれるような状態だ。
「バレンティナ様を心配させるのは良くないよ。これ以上心労をかけたら今度はバレンティナ様が病んじゃう」
言い切る主人に対し、メイドはまたもため息を吐いた。今度はさらに深く、大げさに。
「コウジ様、何も秘密にしていることが正しいとは限りませんよ。バレンティナ様はいつコウジ様が怪我するか心配なのです。コウジ様がシットスキーの開発に関わり続ける限り不安は拭えませんよ」
珍しく棘のある言葉で主人を責めるナコマに、コウジは何も言い返せなかった。
「もうわかってくださいよ、コウジ様が何度もバレンティナ様に泣きつかれているの、知っているのですから。そこまでされながらまだ続けるなんて、コウジ様も頑固です」
「え、知ってるの?」
コウジはすぐさま後ろを振り返った。ナコマはにやりと笑いながらも薬を塗り続ける。
「私は猫の獣人です。聴力には自信がありますよ」
血の気が引いた。まさかこの年端も行かない女の子にあんなことを聞かれていたなんて。いつから気付かれていたんだ?
だがナコマはコウジの考えを読み取ったように悪戯っぽく笑った。
「ご安心ください、誰にも話していません」
そうか、じゃあとりあえずは一安心か。
ほっと安堵の息を吐くコウジだが、それを見たナコマは不満げに顔を歪めた。
「コウジ様はバレンティナ様が心を許される数少ない方、特別な人なのですよ。もっとご自分を大切に扱われてはいかがです?」
「ありがとうナコマ。でもね、僕はシットスキーの開発をやめないよ。バレンティナ様がいなければ僕はこの世界に来た時に野垂れ死んでいたかもしれないんだ。僕が君たちに出会えたのも、バレンティナ様が良く扱ってくださったおかげなんだ。だから今度は僕がバレンティナ様を助ける番だ」
話ながらコウジは拳を握りしめた。バレンティナはコウジにとっても大切な人だ。自分の身を捧げても良いとさえ思っている。
「バレンティナ様はご友人のサタリーナ様を我が身のように想っている。サタリーナ様を助けることはバレンティナ様を助けるも同然だと思う。腕力も医学の知識も無い僕ができるのは、これだけなんだ。それをナコマには分かってほしい」
静かな熱さを秘めたコウジの物言いに、ナコマは呆れたように再三ため息を吐きつつも優しく微笑むのだった。
「やれやれ、コウジ様も聞き分けの悪いお人です。ですがそれでこそ私の使えるご主人様ですよ」
メイドの言葉にコウジは「ありがとう」と小さく返事する。
しばらくの間、無言で背中に薬を塗ってもらっていたコウジだが、ふと気になったことを尋ねる。
「……ところでナコマ、特別な人っていう言葉の意味、ちゃんと知ってる?」
「もちろんです。少なくとも単なるご友人以上の関係であることは私もわかっておりますよ」
コウジの顔は一瞬で真っ赤に変わり、そのまま項垂れたのだった。




