第二十章 傷心のサタリーナ その2
翌日のコウジの仕事は学校の体育の授業の視察だった。
この雪国の都にもニケ王国と同様パブリック・スクールが設けられており、比較的裕福な家庭の子弟が通っている。
冬と言えばスキーくらいしか娯楽の無いこの国では、コウジのもたらしたバスケットボールが室内でもできるスポーツとして大いに絶賛されていた。
比較的広い空き室を体育館代わりに利用し、夏の娯楽であるフットボール用のボールを用いて仲間同士パスをする。フットボールにも負けない競り合いを楽しむ新しい感覚のこの競技は、活発な男子たちの間で瞬く間に流行した。
「休憩時間ともなればこの部屋は生徒同士で奪い合いになります。またバスケットボールだけでなくバドミントンや器械体操も高い人気がありますよ」
校内を案内する小人族の教師が分厚い眼鏡を光らせながらもごもごと話す。
バスケットボールは他のメジャースポーツに比べると比較的若いスポーツと言える。1891年、アメリカのマサチューセッツ州にてカナダ人体育教官が冬季のレクリエーションスポーツとして考案したのが起源だ。
屋外でのスポーツが困難となる冬の北米では、冬季でも室内で楽しめるスポーツが必要とされていた。だがサッカーやアメリカンフットボールを室内で行うには無理があり、これまでの系譜とは異なる新たなスポーツを開発しようという機運が高まる。
そんな中考案されたこのバスケットボールは、身体の接触を可能な限り減らし、狭い室内でも高い運動性を要されるとあって考案当初より高い人気を獲得した。その名称については当初は果物籠をゴールに利用したことに由来する。
開発から10年ほど大学同士の交流戦も活発になり、女子チームも結成され、さらに1904年のセントルイス五輪では公開競技として実演された。以降世界的な知名度を得たバスケットボールは1936年ベルリン五輪で正式種目として採用され、1946年にはアメリカで最初のプロリーグが発足するなど急速な発展を遂げた。
世界の競技人口も4,5億人とサッカーの2,5億人を大きく凌駕している。その面白さは異世界でも変わらない。
生徒たちの動きは未熟ながらも、皆夢中になって楽しんでいる。初心者とは思えぬドリブルさばきで相手の守備をかいくぐり、そのままネットにシュートを投げ入れる生徒もいた。
「皆さんお上手ですね。私もやってみたいです」
走り回ってボールを投げ合う男子生徒たちを眺めながら、コウジの隣でナコマは呟いた。淡い桃色のふりふりのドレスでおめかしした彼女は、使用人と言われても信じられないだろう。
「ナコマじゃ体格が違いすぎるから、無理だよ」
「そんなもの、ぶつからなければ良いだけではないですか」
ナコマは頬をぷうと膨らませた。
ちょうどそこに生徒の受け取り損ねたボールが低く弾みながら床を転がり、ナコマの足にこつんと当たって止まった。
「すみません」
悪い悪いと頭を掻きながら捕球ミスをした男子生徒が近寄る。職人の家の子だろうか、がっしりした体格の犬族の獣人だ。
ナコマはボールを拾い上げた。返してくれと男子生徒は微笑みながら手を伸ばす。
だがナコマは二度、ボールを床に叩きつけてドリブルする。そしてボールを頭上に構えてそのまま高くに放り投げてしまった。
絶句するコウジに生徒たち。ボールは美しい弧を描いて天井スレスレを通ると、吸い込まれるようにゴールリングを通過したのだった。
コート外の難しい角度からの、距離だけで言えば文句なしの3ポイントシュートだ。
「お、お嬢ちゃん、やるねえ」
身長が30㎝以上違う男子生徒は、開いたままの口からなんとか言葉を吐き出した。
ナコマはスカートの裾を持ち上げて礼をすると、強張った表情のコウジにちらっとしたり顔を向けた。
夕方、王城に帰ったコウジを出迎えたのはバレンティナだった。
「サタリーナ様はいかがですか?」
「まだ痛みは引きません。今日もベッドから一歩も動けなかったようで」
調度品に彩られた城の一室を借りて、紅茶を交えながらコウジとバレンティナは話し合っていた。
家具のひとつひとつが伯爵家のそれよりはるかに高価で見事な逸品だが、こんな部屋はこの城の中にまだ使いきれないほど残っている。
サタリーナの芳しくない様子にせっかくの紅茶も味を感じられない。だがふたりは重苦しい空気を紛らわせるように、熱い紅茶を次々に喉に流し込んでいた。
「そういえばコウジ殿、本日はどういったご用件で私を呼び出されたのです?」
「ええ、サタリーナ様の容態が落ち着いたら、皆でサタリーナ様を元気づけようと思いまして」
コウジは胸ポケットから小さく折りたたんだ紙を抜き取り、広げた。
描かれていたのは手書きのソリの絵だった。足の不自由な人でも乗り込みやすく、他人に引っ張ってもらうのにも適した構造だ。
「ブローテン外交官を通して職人にこれを作るよう頼んだのです。スポーツ好きのサタリーナ様には気晴らしにもなるでしょう」
職人がサタリーナの体格と状態から推察して考案した特注品だ。これから細かい設計を行い制作するが、ちょうど乾いた木材もそろっているし派手な装飾は付けないので、すぐに完成するそうだ。
バレンティナの顔にぱあっと光が宿る。
「ご配慮ありがとうございます、ですが費用は……」
「それについてはお気になさらず。国主催の競技会で他国の貴族のご令嬢が怪我されたとなれば、国としても責任を取らざるを得ません。治療費に至るまで補償はすべて行うとのことです」
コウジの言葉にバレンティナは安堵の息を吐いた。
「ありがとうございます、サタリーナもきっと喜ぶでしょう。ただ……」
もごもごと口を詰まらせるバレンティナ。だが首を二度小さく横に振ると、コウジに上品に笑いかけるのだった。
「いえ、何でもありません。いつも元気な彼女がしおらしくなってしまって、私まで心配し過すぎてしまうようです」
いつ見ても気品に溢れる振る舞いだ。だがその目には、言いようの無い不安が隠れているようだった。




