第二十章 傷心のサタリーナ その1
王城での仕事を終えたコウジは夕方、食事も取らずナコマを連れてサタリーナの別荘へと直行した。
「コウジ殿、よく来てくださいました!」
屋敷に入るなりバレンティナが出迎える。不安ですっかりやつれたその顔に、コウジもいたたまれなくなる。
「ええ……サタリーナ様は?」
尋ねるとバレンティナはためらうように顔を床に向けた。
コウジはそのままサタリーナの寝室へと通される。
桜色の壁紙とレースのカーテンで飾られた女の子らしい内装だ。ゆえにベッドに寝かされたサタリーナの今の様子は、かわいらしい部屋の中では異様に浮いていた。
「あら、いらっしゃい」
げんなりと痩けた頬に病的に青白い顔。見るに耐えない少女はそれでもコウジに精一杯笑いかけたのだった。
昨夜コウジの帰った後、膝の痛みが急に悪化し、さらにひどく腫れ上がったらしい。
経験したことの無い激痛に泣き叫び、急いで医者を呼べば骨折と診断されたそうだ。
「ふふ、バカよねぇ、痛くないから平気だと思ってたら、実は重傷だったなんて」
自嘲気味に話すサタリーナは昨日から一睡もできなかったのだろう、青い隈で縁取られた眼からは普段の活力が失われていた。
「今は痛いでしょうが安静にしていれば時期に良くなります。スキーでの怪我は珍しいことではありませんので、どうかご自身を卑下しないでください」
コウジも言葉を取り繕うが、本当にこういう場面で相手にかける言葉は選ぶのが難しい。スポーツのルールには詳しくても医学についてはてんで分からない。
「そうね、しばらくスキーはお預けね。あなたとも滑りたかったわ」
力無く笑うサタリーナは不憫で仕方ない。
その後少し雑談をし、部屋を出たコウジはバレンティナに呼び止められる。
ナコマを残してバレンティナの部屋へと案内される。その沈んだ表情から最悪の事態を想像しコウジは唾をのみ込んだ。
「コウジ殿、サタリーナのことですが……医者によるともう歩けないかもしれないと」
やはりそうか。
言い様の無い喉の渇きに、コウジは落胆した。
「よくはわかりませんが……膝のとても大切な骨に損傷があると。透視魔法でわかったそうです。転倒した直後、立ち上がれたのが奇跡と言えるほどの怪我だそうです」
コウジは黙り込んだまま俯いた。
スポーツに怪我は付き物だが、まさか自分にとって近しい人物がそうなってしまうとは。かつて無い経験にコウジは言葉も出なかった。
いくら頑丈な肉体の持ち主でも、ハードなスポーツを続ければ知らず知らずの内に身体を酷使している。そしてある時突然それが限界に達することもある。
無理な運動による肉離れや外傷は勿論のこと、一生尾を引くような重症とも隣合わせだ。そうで無くとも怪我が原因で以前ほどのパフォーマンスが不可能となって、現役を引退する選手も数多い。
医療の発展に伴い時間をかければ復帰することも可能となったものの、残念ながら医学生でもないコウジにその知識は無い。応急手当が精一杯だ。
この世界の医者が無理だと言えば、コウジはそれに従う他無い。
「ゴール目前で精神的に昂っていたのが痛みを和らげたと医者は話していましたが……サタリーナにはまだそのことは話していません」
彼女がもう満足に足を動かせないと知るとどうなるか、全く想像がつかない。
活発な性分でスキーを生き甲斐にしているサタリーナだ。まして来年にはファーガソン公爵家との婚儀まで控えているのに。
バレンティナの目にじわっと涙が浮かび、両手で顔を覆う。声を漏らしてサタリーナに悟られぬよう、伯爵令嬢は静かに泣いた。
立場上人前で決して弱みを見せることの無いバレンティナの姿を見て、コウジもなんとかならないかと考えを巡らせる。
だが同時に、デイリー公子がかつてコウジにかけた言葉もふと思い出されるのだった。
つまりバレンティナはお前しか見ていない、と。
コウジは実感した。自分は彼女が本心をさらけ出せる数少ない人間なのだ。
こういう時、自分は何ができるか。サタリーナを直接治すことはできない。
それならば。
コウジは両手を震わせながら前に突き出した。そして泣き沈むバレンティナの肩に、ゆっくりと手を近付ける。
だが悲しいことにあと一歩の踏ん切りが付かず、触れることができない。
両目を覆い隠してすすり泣くバレンティナと困惑してしどろもどろのコウジ。そこから一向にことの進まないふたり。
そんな時、部屋のドアがノックされる。
「コウジ様、帰りますよ」
ナコマの声だ。コウジは慌てて手を引っ込める。
涙を拭って元の平静を装ったバレンティナは扉を開け、幼いメイドを迎え入れた。
「サタリーナ様はもうお休みされるようです。いつまでもお邪魔するのも悪いですし、私たちもおいとまさせていただきましょう」
「そ、そうだね! ではバレンティナ様、お大事に!」
コウジは急ぎ足で部屋を出た。
救われたような、悔しいような。複雑な心境だった。
その帰り、コウジはブローテン外交官の家に立ち寄った。元々夕食に招かれていたのが、事前にナコマを遣いに出して遅れることを伝えておいて正解だった。
既に事情を聞いた外交官はヴィクトルとアンの双子を先に寝かせ、大人だけで遅めの夕食を用意していた。
「可哀想に、サタリーナ様にそんなことが」
鹿肉のステーキを切る手を止め、外交官は重苦しく言う。
「大会での事故は主催者である国の責任でもあります。私からも補償するよう進言しておきましょう」
「よろしくお願いします……あのぅ、お聞きしたいのですが、この都でスキー板の職人のお知り合いはおられますか?」
美味しいスープもあまり喉を通らず、申し訳なさそうにコウジは尋ねた。
「ええ、腕の良い男が一人おります。何か考えがおありで?」
「はい、よろしければご紹介いただけないでしょうか?」
迷うこと無く外交官は頷いた。




