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第十五章 プロスポーツの夜明け その1

 夜、屋敷に集められた紳士たちは目を点にして、ホールの床に砂を撒くコウジを見つめていた。


 正しくは何枚ものシーツをつなぎ合わせたものを床に敷き、その上に砂を撒いているのだが、コウジはそれをブラシでせっせと平坦にならす。


「随分と大がかりなんだね」


 ナヒカノがにやつきながら尋ね、コウジは明朗に答えた。


「本来は外でやるものですが、皆様の集まる今の時間ならばと。室内でも準備すれば十分に楽しめます」


 ブローテン外交官とブッカーにも手伝ってもらい、4×2メートルほどの砂のフィールドを3か所作る。


 そこから6メートルほど離れた位置まで皆を下げ、先頭に立っていたナヒカノにコウジはある物を差し出した。


「ではナヒカノ様、このボールをお持ちください」


 赤色に着色した小さな木製のボール。大きさは卓球のものと同じくらいだ。


「それから皆さんにはこの球を」


 手のひらに収まる程度の大きさの金属球を一人につき2つずつ配る。


「ほう、2種類のボールを使うのか。どういう競技だね?」


 ナヒカノが興味津々に尋ねた。


 これはいける。コウジは確信した。


「これはペタンクという競技です。ボールを的の近くに投げる、誰もが楽しめるスポーツです」


 コウジは胸を張って説明する。


 このペタンクという競技については初めて聞いた方もおられるだろう。


 最もルールの近い競技と言えばカーリングがそれに当たる。だがカーリングが氷上で行う競技である一方、このペタンクは陸上でボールを使って行うという相違点があることに留意したい。


 ペタンクは1人対1人から3人対3人までその時の人数を変えることができ、ひとり2つまたは3つのブールと呼ばれる鉄球を投げる機会がある。


 まず最初に先攻の選手がビュットと呼ばれる小さな木製の色のついた球を投げる。これがいわゆる的であり、つづいて先攻が鉄球ブールをビュットの近くに投げる。


 次に後攻の選手が先攻よりもビュットに近い位置に向けて鉄球ブールを投げ、うまく内側に入れば先攻へと交代するが、そうでなければ後攻が続けて投げることになる。各自手持ちの鉄球ブールがすべてなくなるまでこれを繰り返し、最もビュットに近い鉄球ブールを投げたチームに得点が入ることになるが、その点数はカーリングと同じく相手側の鉄球ブールとビュットの間に入っている自チームの鉄球ブールの個数となる。


 そして先攻後攻を入れ替え、公式では先に13点を獲得したチームが勝利とされている。


 身体の接触や激しい運動は無いものの相手の鉄球ブールやさらにはビュットを弾いて動かすことも可能で戦略性も高く、間口の広さと奥深さで世界的な人気を獲得している。


 元々類似した競技は古代エジプト時代には存在したと考えられているが、ペタンクとしてルールを整えられたのは1910年、南フランスの港町だと言われている。


 鉄球を扱うので砂を敷くのは当然だが、この下準備については本当に手間をかけた。木製のビュットは乳幼児向けの知育玩具を買って代用し、鉄球ブールは王城内の科学研究所の職員から古くなった実験用の鉄球を譲ってもらい、敵味方が分かるよう着色した。


 準備期間がわずか2日という日程にもかかわらず、玩具屋に買い物に行ったナコマと研究所に知り合いのいる外交官のおかげで道具をそろえ、画家のブッカーによって古くなった鉄球も彩られ見栄えするものに加工された。


 なんだかんだで集まった鉄球ブールは36個。同時に3つの試合ができる数だ。


 思いつく知り合い全員から集めた不要になったシーツを広げ、河原の砂を敷いてフィールドを作る。準備は万端だ。


「ではどうぞ、3人で1チームを作ってください」


 コウジの声で紳士たちが自然と3人ずつのグループに分かれる。大魔術師ナヒカノは大商人の初老の男と国務大臣補佐官とでチームを組んだ。


 対戦する相手チームも準備万端。コウジは手を打ち鳴らし試合開始を告げる。


「ほう、この赤い球を投げるのか」


 ナヒカノはビュットを手に取ると軽く放り投げる。砂のフィールドのほぼ真ん中に落ちたビュットはほんの少しだけ弾むと、そこで静止する。不自由な足を思わせない見事なコントロールに周囲の紳士たちは拍手を贈った。


「ではナヒカノ様、あのビュットに向けて鉄球ブールを投げてください」


 ナヒカノはコウジから鉄球を受け取ると、じっと狙いを定めて慎重に投げる。


 だが先ほどとは違い鉄球ブールは重い。大魔術師は加減を誤り、鉄球はビュットの1メートルほど手前側に落ちてしまった。


「もう少し近くにいけたんだがなあ」


 年甲斐も無く苦虫を潰したような顔を見せるナヒカノだが、スポーツはフェアであるべきだ。コウジはそのまま後攻のチームに鉄球ブールを渡す。


「次は相手チームです。どうぞ」


 相手チームの一投目は若い男だった。ナヒカノよりも力強く、それでも慎重に投げる。


 ボールはきれいな弧を描き、ビュットのすぐ手前に落ちた。そしてほんの少しばかり転がるとこつんとビュットに触れ、その場で止まってしまった。

 

「お、すごく良い所に落ちたぞ!」


 後攻のチーム一同が沸き立つ。


「次はどうすれば良いのだね?」


 ナヒカノが不機嫌そうに尋ねた。どうやら700を超えても負けず嫌いなようだ。


「ナヒカノ様が最初に投げた鉄球よりも内側に入ったでしょう? では次にナヒカノ様、2つ目の鉄球ブールを投げてください」


「そんなことを言われても、あんなに近くにあってはこれ以上内側に入ることは難しい。どうすれば良いのだね?」


「こういう時は……」


 コウジはナヒカノに耳打ちした。大魔術師はうーんと首を傾げたものの、仕方なく所定の位置に立つ。


 力をうまく調整し、二投目。狙いを定めたアンダースローは的確にビュットへと吸い込まれていった。


 ビュットと後攻の鉄球ブールのちょうど間のわずかな隙間。そこにナヒカノの投球は落下した。後攻の鉄球ブールは真上からの鉄球にはじき出され、またビュットもさらに遠くへと転がる。


「あ、こんなこともできるのか!」


「はい、ペタンクでは球を弾いて一発逆転を狙うことも可能です。では後攻どうぞ」


 その後も試合は続き、結局ナヒカノのチームが先に13点を獲得して勝利した。その時の大魔術師のはしゃぎようはまるで子供のようだった。 


 ルールを理解できた人々は俺も私もと次々と参加する。終いには3つのコートでは足りず、ホールの真ん中で行われている試合を全員が見守る様相となってしまった。


 もうコウジがいなくとも各々で試合を進められる。ずっと力仕事をしていたコウジと外交官、それにブッカーはホールの隅っこで冷たい水を飲んでいた。


「結構盛り上がっているな」 


「ブッカーさんのおかげですよ。あんなにたくさんの鉄球に貴重な絵の具を使ってくださったのですから」


「なあに、お安い御用さ。屋敷に絵を飾る時にはうちのアトリエで買ってくれよ」


 それは高い代償になりそうだ。コウジが苦笑いしていると、歓声を上げる紳士たちの中から人影がこちらに向かって来た。


 車椅子に座った壮年の男だった。若い従者に車椅子を押させるその姿は堂々とした威厳に満ちている。


「貴殿がコウジ殿かな?」


 車椅子の男の野太い声に、コウジは震えながらも「はい」と答える。


「このペタンクという競技、足の動かぬ私でも皆と同じように楽しめる。このような気分になれたのは久しぶりだ、ありがとう」


 男は動かぬ足とは対照的に筋肉質な腕を突き出し、コウジに握手を求める。それをコウジは戸惑いながらも握り返した。


「名乗り遅れた。私は建築家のドゥイエ、デヴィッド・ドゥイエだ」


 ドゥイエだって? その名を聞いてコウジの表情はぱあっと明るくなる。


「もしかしてドゥイエ子爵ですか?」


 ドゥイエという名だけは聞いたことがあった。建築家でありながら子爵の爵位も持つ名門貴族。宮廷には滅多に現れないものの多くの建築を手がけ莫大な富を築いているという。


「爵位など名ばかりさ。それに宮廷での執務よりも建築に携わっている方が私の性に合っている。これから競技場の建設があれば是非私に一声かけてくれたまえ、できる限り協力しよう」


 そう言いながら爽やかに微笑むと、子爵は「さあもう一試合するか」と従者とともに再び集団の中へと戻っていった。


 その背中を見送りながら、ブローテン外交官はコウジの肩に手を置いた。


「やりましたなコウジ殿、子爵はこの国でも一番の建築家と評判。助力を得られるとなればこれ以上に心強い方はおられません」


 コウジは安堵して深く息を吐いた。本当に、うまくいったものだ。


「ナヒカノ様もさぞお喜びでしょう。少し気が早いですが、ディグニティ・ユニオンへの入会おめでとうございます」


 外交官はシャンパンを手に取り、コウジを祝福した。


 ブッカーも少し離れた場所で話し合っている初老の男たちを親指で指し示す。


「おい、実業家の奴らがスポーツビジネスについて話し合っているぞ。先見性に優れた奴らだ、スポーツに社会を変える力があると予感しているのだろう」


「実業家がバックに着けばより大々的な競技会も開けますな」


 外交官が相槌を打つ。


 その時、コウジの脳裏に新たな考えが浮かんでいた。


 スポーツをビジネスに。それってつまり……。


「そうだ!」


 突如叫んだコウジは外交官とブッカーを置いて実業家たちの輪の中に単身突っ込んでいったのだった。

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