第十四章 秘密結社ディグニティ・ユニオン その2
夜、仕事を終えたコウジは家に帰ると服を着替え、再び外出した。
ナコマから今日は一日何も無かったことを聞いてほっとしながら指定された場所に向かうと、夜の街角にブローテン外交官が既に立って待っていた。
「すみません、遅くなりました」
「いえいえ、さあこちらです」
外交官に案内されたのは古い屋敷。ただの大きな一軒家にしか見えないが、中からは灯りが漏れている。こういう非公式の会合の際に貸し出されているサロンのような場所なのだろう。
「ブローデンだ。今日は紹介したい人を連れてきた」
入口に立っていた鬼族の男に会員証だろう、カードを見せるブローデン外交官。
男はじろっとコウジを無表情で睨みつけると、そっと扉を開けた。
「どうぞお入りください。お連れ様から目を離さぬよう」
あまり歓迎されている雰囲気ではないが、外交官は「ありがとう」と一礼するとコウジを手招きした。
屋敷の中は舞踏会にも使えそうな広いホールだった。大理石の敷かれた床は鏡のように人々を映し込み、シャンデリアの無数のガラスで放射された蝋燭の光が部屋の隅々までを明るく照らしている。
そしてこの場にいる人々は皆高価そうなスーツを着た紳士ばかりだった。種族も年齢も様々で、杖をついてよろよろと歩く獣人の老人もいればコウジより若そうな巨人族の若者もいた。いずれも気品と威厳に満ちた人々で、一目見ただけで常人とは違う何かを持っていると分かる。
「その人が前に話していたマレビトかい?」
外交官に若い男が話しかける。天然パーマなのかもじゃもじゃした髪型が特徴的な気さくそうな風貌だが、ぴしっとスーツで身を固め品位も感じさせる。
「ああ、コウジ・カトウ男爵だ。紹介するよ、こいつは私の友人で画家のブッカーだ」
「よろしくな、ブッカーだ」
男は躊躇せずコウジに握手を求める。コウジも応えて握り返した。
「初めまして加藤コウジです」
「ところでコウジ、あんたはここがどんな団体か聞いているかい?」
ブッカーはにやつきながら尋ねた。貴族のコウジにもまるで言葉遣いをかしこまらない辺り、身分に縛られず生きているようだ。
「いえ、まだお聞きしていません」
「そうだろうな、何せここは秘密結社ディグニティ・ユニオン。あまり声を大にして存在を知らせてはならないからな」
「ディグニティ・ユニオン? 皆様はどういった目的で集まっているのですか?」
ブッカーは外交官の顔を鋭く睨みつけた。外交官はとぼけたように目を反らす。
だがすぐにコウジに顔を向けると、先ほどと同じく話しやすいスマイルに戻る。
「実は俺たちにはこれといった目的は無い。ただ人のつながりを大切にする互助組織だと思ってくれればいい」
そう言ってブッカーはホールの中で談笑している人々を見回した。グラスを片手に立ったまま話し込む紳士たちの姿は実に優雅だった。
「ここにいる連中は貴族、商人、学者、芸術家と属性はバラバラだが、皆共通して何かしら社会に影響を与えられる力を持っている。ほら、あの親父は売れっ子小説家、で、あの若造は陸軍将の長男だ。おお、今日は大魔術師ナヒカノ様も来られているぞ!」
ブッカーの手で指し示す方向、人混みの真ん中で数人の男たちと笑って話し合う老人がいた。スーツではなく魔族特有のとんがり帽子と長い白髭、そして法衣のような漆黒のマントを纏っている。
大魔術師ナヒカノ。その名は以前、コウジもバレンティナから聞いたことがある。王の側近を務めるニケ王国一番の魔術師で、年齢は700を超えるという。
同じ王城にいても実際に出会うのは叙勲式の時以来だ。そもそもあの時は誰がナヒカノなのかわからない上に緊張で周囲に気を配っている場合ではなかったので、意識して姿を見るのは初めてだったりする。
「とまあ、自分が何か仕事をするとき、力のあるやつが傍にいてくれれば心強いだろ。ここはそういう繋がりを作るための団体さ」
ブッカーがくるくると指を回しながら得意げに話した。
つまりコネを作る結社か。若干の抵抗もあったものの、その有用性については説明を聞かずともコウジは理解できた。
ニケ王国は封建主義社会、民衆による選挙は行われず王侯貴族など一部の権力者の意向で国政が左右される。その時最終的に意思決定がなされるときに介在するのがいわゆるコネだ。合理性が同等でどちらの意見を採用するか迷った時、このつながりは特に重要となる。
この結社はまさにそのコネを生み出す場。権力者への根回しの他、自分の職務でどうしても他人の力が必要な時に助力を得られる場でもあるのだ。交流を目的としたクラブにはこういった側面が往々にして存在する。
「コウジ殿はマレビトで異世界のスポーツに精通しておられるます。実際にファーガソン公爵領で競技会を開き、大きな経済効果を生み出しています。私は貴殿もここに参加する資格があると思い、ここに招きました」
ブローテン外交官がブッカーに話しかけ、そしてコウジに向き直った。
「いかがでしょうコウジ殿、我々の仲間となりませんか?」
コウジは静かにつばを飲み込んだ。民主主義の現代日本に生まれてから22年、育まれた正義感はちょっと待てとコウジを止める。
だがここに属していれば何かと心強いのは間違いない。そう、ここは王侯貴族の仕切る世界だ。異世界の常識がむしろ非常識、郷に入れば郷に従え。
「はい、是非とも!」
はっきりと返事をするコウジ。就活で鍛えたよく通る声にはブッカーも気分を良くしたようだ。
「それは良かった。では早速幹部に話を通そう!」
コウジとブッカー、外交官の三人はそろって歩き出し、そして人混みの中のある人物に声をかけた。
「ナヒカノ様、この方です」
外交官の声にちょうど酒を喉に流し込んでいた大魔術師は「ん?」と目をこちらに向ける。年老いているとはいえ威圧感と生命力にあふれた眼だ。
コウジが背中をぞくっと震わせたが、大魔術師ナヒカノは意外にもフランクに話し始めたのだった。
「おお、コウジ君か。王城にいるのに、実際に話すのは初めてかな」
コウジも「初めまして」とあいさつする。
ナヒカノはコウジの顔や服など身なりをじろじろと見ると、ふふっとほほ笑む。
「君がバドミントンを王城で流行らせた功績は大きい。疲れ切った宮廷貴族たちも活き活きとし始めたのだ。ビキラ国王陛下もこれは良い兆候だと褒めておられた」
「それは幸いです」
「だが、それでここに入会する資格があるとは言い切れない」
好々爺の声が一変した。
「ここにいるのは皆何かしらで社会に影響を与えられる者ばかりだ。ある者は思想で人を動かし、ある者は芸術作品で感情に訴えかける。君はそれほどの影響を与えられる何かを持っているかね?」
コウジは言葉に詰まった。それを見て外交官が横から割り込む。
「ナヒカノ様、お言葉ですがコウジ殿はスポーツに大変お詳しい。スポーツは人を楽しませ、生活を充実させます。それは王城におられますナヒカノ様もご存知でしょう」
「それは私も知っている。だがスポーツは社会に訴える手段として妥当と思うかね? それをここにいる皆に納得させなければ、入会は認められない」
ナヒカノはそう言いながらもにやついている。
これは試されているな。コウジは直感した。
こういう秘密結社では入会のためには面接や推薦が必要とされるのが世の常だ。そして既に面接は始まっていたのだ。
さあ、どう答えるか。ここは社会に何かしら影響を与えられると自負する者たちの集まりだ。その思想や信条の如何については外交官からもブッカーからも何も問われていない。
それでは何を試されているのか。コウジはじっとナヒカノの目を見ながらも意識を研ぎ澄ませていた。
「国王陛下もコウジ君には期待されておられるが、果たしてスポーツにはいかに社会に訴求する力があるとお思いかな?」
わざと質すように目を向ける大魔術師。
「スポーツは……」
コウジは口をもごもごとさせるも、今一度思考を整理する。
模範解答は無い。そう、ここはありとあらゆる属性を受け入れる集団。それならば、自分の信条をそのまま吐き出すだけだ。
すっと息を吸い込み、そのままの勢いで吐き出す。
「スポーツは団結と統合の象徴となり得ます」




