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第十四章 秘密結社ディグニティ・ユニオン その1

「おやコウジ殿、昨夜はあまり眠れなかったのですか? すごいクマですよ」


「はい、ちょっと寝苦しくって」


 話しかける同僚にコウジは苦笑いで返した。狭いベッドで女の子と寝てました、なんて言ったらどんな噂を流されるか、わかったものではない。


 王城には宮廷貴族の執務室も用意され、特に地位の高い者は個室を宛がわれて秘書官も置いている。


 だがコウジのような下っ端貴族は企業のオフィスのように机を並べて肩を寄せ合い、大量の書類とにらめっこしているのだった。


 財政や法案の草稿づくり、各領地への書状の作成など個々に割り当てられた仕事を皆黙々とこなしている。この空間では嫌でも背筋を伸ばして仕事に打ち込まねばと気合が入る。


「コウジ殿、仕事に全力を出すのも良いですが、たまには息も抜きませんと。貴族は民衆の模範、いかに苦しくとも余裕のあるよう振る舞うべきなのです」


「善処します」


 そうは言ったものの、やはり魔女カイエとベイルのことが気がかりでいつもより仕事に身が入らない。


 今は魔女はナコマとコウジの家で過ごしている。自分のいない間に何事も起こらなければよいが。




 昼食は食堂にて用意される。王城に勤める宮廷貴族専用の食堂にて設けられるそれなりに豪勢なビュッフェ形式だ。


 いわゆる社員食堂のようなものだが、費用は王城が持ってくれるのでコウジの財布には大きな助けとなった。タッパーがあればそっと持って帰りたい気分だった。


「ここのスープはいつも美味しいですな」


 同僚が何度もスプーンを往復させながら二杯目のスープを飲んでいる。確かに濃厚な鶏ガラの中に胡椒の辛さが利いて、いつまでも飽きない味付けだ。


 だが疲れのせいで食欲のわかないコウジはほんのちょっとだけ野菜をついばむと、そのまま昼食を終えてしまった。同僚に入らぬ心配をさせないためにも、コウジは足早にオフィスへと戻る。


「コウジ殿いかがされたのです、浮かない顔なんかして」


 途中で後ろから声をかけられたので振り返ると、金髪色白で背の高い30歳前後の人間の男が立っていた。


 ブローテン外交官だ。大陸南端の雪国ヘスティ王国から派遣された外交官だが、仕事で一緒になる機会があって以降、コウジとは気軽に話し合える仲となっていた。


「ええ、ちょっと気苦労がありまして」


 この人なら話してもいいかな。コウジは中庭のベンチに外交官を誘い出すと、昨日の出来事を端的に話した。


 外交官はコウジの話を真剣に聞き入ると、腕を組んでうーんと考え込んだ。


「それは大変でしたな。魔女殿にとっては手放したくない従者、でもその気持ちも汲んでやりたいと。人の心は合理的な答えの出ないもの、コウジ殿も何と言えば良いものかお悩みになられたでしょう」


「はい、あんな魔女様初めてだったので」


 コウジはまたため息を吐いた。昨日から何度ため息を吐いたのか、数え切れない。


「まあコウジ殿、今貴殿が悩んでも答えはすぐには出てきません。まずはその魔女殿と従者の言い分をよく聞き、互いに話し合わせるのが大切ではないでしょうか。こういう気が滅入っているときは身体を動かすのが一番ですよ」


 外交官はそう言うと王城に小走りで入り、一分もしない内に戻ってきた。手には木製のラケットが2本、握られていた。


「私も腕を上げましたぞ。今日こそコウジ殿を負かしてやります」


 心遣いにコウジの表情は緩み、ラケットを受け取った。


「いえ、負けるわけにはいきません。今日も10点先に取ってみせましょう」


 コウジと外交官は中庭の芝の上で向かい合う。そして外交官がコルクと水鳥の羽で作ったシャトルコックを打ち上げる。


 落下するシャトルコックにだっと走るコウジ。なんとかラケットを伸ばして打ち返すと、羽根は相手の顔面に向かい、驚いた外交官は完全に振り遅れてしまった。


 以前ルールブックをまとめたバドミントンは王城にも伝わると、その手軽さと省スペース性から宮廷貴族の間でちょっとしたブームになっていた。


 元々テニスラケットを作る職人はいたので、より細く軽量のバドミントンラケットを作ってもらい、シャトルコックはワインのコルクと鳥の羽を使って自作した。ネットも作ったのだが、昼休みにちょっと楽しむ程度なら無くても十分に遊べる。


 レクリエーションとしてバドミントンは年齢を問わず人気であるが、競技となればたちまち激しいスポーツに様変わりする。シャトルコックの最速初速記録は時速493km、テニスや野球を抜いてぶっちぎりのトップだ。


 起源については19世紀、インドに伝わっていた球をラケットで打ち合う遊戯をイギリス人が持ち帰って発展したものと考えられている。オリンピックの正式競技となったのは1976年のモントリオール大会以降であるが、競技の人気は予てより高く1899年には全英オープンが開かれている。


 なお日本に古来から伝わる羽根突きはバドミントンと非常によく似た遊戯ではあるが、その祖先はホッケーのような競技であったと考えられており、直接的な関係は無い。そもそも江戸時代には現代とほとんど変わらない羽根突きが正月行事として浸透していたと記録が残っているので、歴史的にはバドミントンよりもはるか以前から存在していたことになる。


 昼休みを利用してコウジ達がバドミントンに興じていると、通りがかりの者たちも集まって食後の運動にとちょっとした会合になる。初老の高官が下働きの若者と真剣に打ち合う様子は、懐の広いバドミントンならではの光景だ。


「ふう、やはりコウジ殿はお強いですな」


「外交官も、最初よりぐんぐんと腕を上げておられます」


 気持ち良い汗を流してベンチに座る二人。


「コウジ殿が異世界からもたらすこのようなスポーツは本当に面白い。是非とも私の故国でも普及させたいものです」


 聞けば外交官の生まれのヘスティ王国では雪深く、夏場は働きづめでスポーツを楽しむ文化が生まれなかったらしい。その代わりに冬は雪に閉ざされるのを利用し、スキーやスケートを楽しむのだという。


「ところでコウジ殿、今宵はお時間ありますかな?」


「はい、今のところは」


「良かった。実は今日、私の所属する団体の集まりがありまして、願わくばコウジ殿にもご参加願いたいのです」


「よ、よろしいのですか?」


 コウジは驚き尋ね返した。外交官はにかっとほほ笑むと首を縦に振った。


 都市に暮らす貴族や有力な商人は趣味や思想を共有する結社に所属することが多い。中には活動内容を外部に漏らさない秘密結社も存在する。世界中に会員を持つフリーメイソンはその代表例だ。


 そういった非公式のつながりこそが思いもよらぬ助けになる。貴族として有力な結社に所属することは箔を付ける意味でも大いに意義がある。


「はい、喜んで!」


 コウジは二つ返事で承諾した。どんな団体かはわからないが、このブローテン外交官が誘ってくださるのなら悪いことは絶対にないはずだ。

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