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第十三章 魔女と従者 その3

 窓から明かりの漏れる住宅街を歩き、コウジは魔女カイエを連れて自宅へと戻った。


 帰路の途中、魔女は終始無言だった。暗い上に深く帽子をかぶっているせいで表情さえ見えない。


 帰宅とともに蝋燭に火をつける。だがその間に魔女はコウジの部屋にずかずかと上がり込んで、帽子とマントを放り投げてベッドに突っ伏してしまった。


「魔女様、お茶が沸きました。お菓子もありありますので、どうぞ」


 普段の魔女カイエならここで食いついてくるだろうが、今日はまるで反応しない。


「まさかベイルがわらわの傍を離れるなんてのう」


 魔女がうつ伏せになりながらぼそっと言い放つ。


「魔女様はベイルさんのことを大切に思っていらっしゃるのですね」


 コウジの言葉に魔女がピクッと反応する。そして布団に顔を埋めたまま話した。


「あやつはわらわの従者じゃ、あやつ以外に身の回りを任せとうない」


「そのお気持ちはわかります。ですが魔女様、ベイルさんもひとりの大人の男ですよ」


 コウジはどちらかといえばベイルの立場だった。


 打ち込める趣味を見つけたこともそうだが、同じ男として見返りが無くとも譲れないものがあるとわかっていたからだ。


 真っ向からこんなことを言われれば腹を立てる者も多いだろう。コウジもその覚悟はできていた。


 だが魔女は黙り込んだまま、独り言のように呟くのだった。


「そうじゃのう。あやつは昔から図体だけはでかかったから、もうそんな年齢になっておるなんて気付きもせんかった」


 魔女も口ではああ言ったものの、ベイルの意思は重々承知しているようだ。


 そんな時、玄関が勢いよく開け放たれる。


「コウジ様、ただ今戻りました!」


 ナコマの声だ。店でベイルたちに魔女の居場所を伝え、コウジたちを追いかけてきたのだ。


 部屋を出たコウジは走ってきたのだろう、ぜえぜえと肩で息をするナコマに駆け寄った。


「ありがとうナコマ、ベイルさんは?」


「ええ、今日は宿に帰っていただくようお願いしました。お互いにまだ今はそっとしておいた方が良いと思いますし」


「そうだね」


 ふたりは無言で食堂に入り、食卓に腰かける。


 あんなに怒りを露わにした魔女を見たのは初めてだ。いつもふざけているのか幼い子供そのもののように振る舞っていた彼女の姿からは想像もできなかった。


「あのー、コウジ様の元いた世界では世界規模の大会が開かれていると仰っていましたが、その選手たちはどうやってスポーツをしていたのですか? 仕事をしながら練習をして試合をして、とても難しそうなのですが」


 話題を変えるかのようにナコマが尋ねた。


 そう言えば、この世界にはまだプロスポーツというものが存在していないのだった。


「ああ、彼らはスポーツをすることでお金を稼いでいる人が多いんだ。スポーツそのものが仕事っていう意味だね」


「スポーツが仕事? どういうことですか?」


 プロスポーツの誕生は比較的最近の出来事になる。それ以前にも競馬やボクシングを生業とする者はいたが、それらはどちらかと言えば賭け事の側面が強く、興行としてのプロスポーツとはまた違ったものなのでここでは割愛する。


 19世紀イギリスの上流階級ではスポーツは趣味として楽しむものであり、金銭の授受は非難された。だが一部のクラブチームが助っ人として強い選手を試合ごとに雇い始めたことをきっかけに、プロ選手の容認が進む。


 現在のプロスポーツの礎となった出来事はやはり19世紀後半から20世紀初頭アメリカでの野球、アメリカンフットボールのプロリーグ設立だろう。


 観戦料やスポンサーからの資金で競技そのものを見せることで稼ぐこのビジネスモデルは民衆に娯楽を提供し、すぐさま一大産業へと成長した。日本でもプロ野球チームのヘルメットやJリーグクラブのユニフォームに社名が書かれているのをよく目にするだろう。卓球や水泳など少人数、個人で行う競技は個別でスポンサー企業と契約している場合も多い。


 また企業が選手を社員として雇いながら、広告も兼ねて会社の部に所属してスポーツに専念する場合もある。日本のラグビーや野球の社会人リーグなどの実業団がこれに当たる。競技としての収入は副次的なもののため、アマチュアを推奨するオリンピックに出場する選手の多くもこれに該当している。


「なるほど、そういう仕組みがあればスポーツでもお金を稼ぐことができるのですね」


「うん、プロ化は競技レベルの向上につながるし、競技の普及にも大きなメリットがある。ただそのためにはお金もかかるし、逆にアマチュアであることに誇りを持っている人もいる。一概にプロ化すれば良いというわけでもないんだよ」


 コウジは沸かしたばかりの紅茶をポットから注ぎ、ずずっと飲み干した。何か口にしていないと落ち着かない気分なのだ。


「ベイルさんはベースボールの才能もあるし、本人も競技をしたいに違いない。でもそれは趣味であって仕事ではないし、従者という立場上魔女様には逆らえない。難しいところだよね」


「ベイルさんも落ち込んでいる様子でしたし、どちらかを選ぶなんてできないのでしょうね」


 二人はそろってため息を吐いた。


 とりあえず一晩、魔女様も頭を冷やしてもらおう。興奮している時にはろくな言葉も浮かばないはずだ。


 コウジの部屋のベッドは既に魔女占領している。そのために今夜はコウジは客室で寝ることにした。


「ナコマー、客室の布団は準備できてる?」


「いいえ、昨日見たら破れていたので、捨ててしまいました」


「……」


 よりによってこんな日に。


 こうして二人はまたも同じベッドで寝る羽目になったのだった。しかもナコマ用の小さな布団で。

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