第十三章 魔女と従者 その1
夜の大通りは昼間の活気が嘘のように静まり返る。
打って変わって昼間は誰も近寄らない裏通りには明かりが灯され、酒を飲んだ客たちの笑い声が飛び交っていた。
そんな彼らの声を聞きながら、コウジは黙々と帰宅の途に就いていた。
誰もいない表通りよりも、多少乱暴でも人のいるこっちの方が安心できる。
何軒もの酒場を通り過ぎ狭い道を抜けると、突如大きな邸宅の建ち並ぶ区画に出る。いずれも貴族や大商人の住まいだ。
その中の一軒、他に比べれば小さいながらもレンガ造りの可愛らしい家にコウジは入った。
「コウジ様、お帰りなさい」
台所からエプロンドレス姿のナコマが飛び出し、帽子を受け取る。
「今日もお仕事大変でしたね」
「ただいま、し、しんどかった……」
コウジの目の下には真っ黒なクマができていた。
王都に来て早2ヶ月。男爵となったコウジは多忙だった。
スポーツ振興官に任命された彼の仕事は新たな競技の普及、スポーツ大会の企画、競技場建設のアドバイスと多岐に渡った。
今までスポーツ事業といえば領主が自分の領内で競技会を開催する程度だったため、国の中枢自体が動いて何かをしようという動きは無かった。宮廷貴族としてスポーツに携わるのは実質コウジが初めてだ。
そんな右も左もわからない状態でビキラ国王が「各領地から代表選手を呼んで競技会をしよう!」と仰ったものだから、コウジの負担はさらに倍増した。
連日遅くまで大会運営案の作成、他の貴族との折衝と目の回る忙しさだ。さらに王立学校への体育教育のためのカリキュラム草案を仕上げなければならない。
霞ヶ関の皆さんもきっとこんな感じなんだろうな。
「今夕食の準備をしますね。今日は昼間ユキさんがパンを届けに来てくださったのですよ」
ふらふらと食堂の机に突っ伏すコウジに紅茶をそっと置き、ナコマはいそいそと厨房に消えていった。
「ユキ……最近元気になったなあ」
コウジはふふっと笑みをこぼした。
初めてパン屋で出会った時は不愛想な顔をして、誰も話しかけるなとでも言いたげに振る舞っていたのに、ベースボールをしてからというものユキは人が変わったように活発になった。
愛想が良くなったと客からの評判も上々で、仕事も熱心に取り組んで休日には仲間とともにベースボールに打ち込んでいるようだ。最近は子供たちを集めて教えるらしい。
伯爵の屋敷にいた頃とはまるで違い、パンにスープのみという素朴なメニューをいただく。
宮廷貴族は領地を持たず城に勤める身分、その中でも新顔のコウジの給料はそこらの商人と大して変わらない。ナコマの賃金と屋敷の維持費その他貴族として避けられぬ出費も含めれば実質もっと下がる。
ユキが割安でパンを売ってくれるのはコウジにとって非常に助かった。
「ナコマ……苦労かけてごめんね」
「何をおっしゃるのです。私はここに来てものすごく楽しんでおりますよ」
ナコマが屈託無い笑顔で返した。彼女もコウジのいない間家を任されながら、器械体操にも励んでいた。
そこまで広くない庭先には平均台に鉄棒が置かれ、昼間子供たちが自由に使って遊んでいる。貴族も町人も身分問わず遊んでいるようで、ナコマも彼らに混じって練習と指導を行っていた。呑み込みの早い子はすでにいくつかの技を連続で出せるらしい。
「コウジ様、明日はお休みですね。疲れを取るためにぐっすりお休みください」
「そうだね、もう昼過ぎまでベッドから出てこないかも」
翌朝、普段なら起こしにくるナコマに邪魔されることも無く惰眠を貪っていると、懐かしい声が聞こえコウジは目を覚ました。
「お主、いつまで寝ておる! わらわが来てやったぞ!」
遠慮も無くためらいも無く蹴り開けられるドア。そこに立っていたのは魔女カイエだった。
「魔女様、朝早くからいかがなされたのです?」
寝間着姿のコウジは口をとがらせてゆっくりとベッドから這い出た。マトカやバレンティナとは違い、この魔女には寝起きを見られても羞恥心が湧かない。
「何が朝早くか、もう昼前じゃぞ。それよりも、ここにベイルは来ておらぬか!?」
「ベイルさん? ご一緒ではないのですか?」
コウジは枕元の水差しからコップに水を注ぎながら尋ね返した。
「あやつ、王都に行くと言い残して一週間、まだ帰って来ないのじゃ。おかげで家はごみに埋もれるし、洗濯物はたまっていくし、わらわを病気にさせようとでも言うのか?」
いや、掃除しろよ。コウジはため息を吐いた。
「私はベイルさんを見ておりませんが、一体どういう用事でベイルさんは王都に?」
「ああ、ベースボールの大事な試合があると言ってな。わらわは論文をまとめておったから家を離れることができなかった。研究に没頭しておって流し聞きしておったが、まさか一週間以上家を空けるとは思いもしなかった」
結局自分が聞き逃しているだけじゃないか。冷たい水を胃に流し込み、コウジは身体を無理矢理目覚めさせる。
「ごめんくださーい、パンを持ってきましたー」
家の外から聞こえる若い女性の声。
「この声は……ユキじゃな!」
魔女は素早く反応した。だっと部屋を飛び出すと、すぐさま玄関に走る。
「ど、どうされたのですか魔女様!?」
コウジが魔女を追いかけると、魔女カイエはパンを山盛りにしたバスケットを下げたユキにしがみつき、揺さぶっていた。
「お主、ベイルはどこじゃ、あやつを知らんか?」
「ベイルさん? でしたら今、私の部屋に」
「な!?」
ユキの言葉に魔女カイエは手を離した。コウジも手に持っていた木製のコップを床に落とす。
焦点を失った眼をじっとユキに向ける魔女カイエ。状況がまったく読めず、ユキも固まっていた。
「そうか、そうだったか。わらわの知らぬ間にお主とあやつはそんなねんごろな関係に。主としてあやつを祝ってやらないとな、だがいざ離れるとなると……」
「そうか、ベイルさんも男だなぁ。そしてユキ、おめでとう」
うんうんと頷き合う二人。
「勘違いしないでください、そういうのじゃありません! ベースボール仲間と集まっているのです!」
顔を真っ赤にしたユキが鋭く突っ込んだ。ソフトボールで鍛えたよく通る声に、コウジとカイエはびくっと跳び上がった。
「な、なんじゃ、あー驚いた」
ふうと心臓を押さえる魔女。コウジも安心して深い息を吐きながらコップを拾った。
「実はベースボールのクラブチームを結成しようという話があがっておりまして、町の代表が王都に集まっているのです」
「クラブチーム? リーグでも作るのかい?」
「ええ、伯爵領と公爵領と王都、それぞれの代表選手が集まって大会を開いたり、それこそペナントレースみたいなこともできないかって」
「そんな話、わらわは聞かされておらん」
頬を膨らませる魔女をコウジは宥めた。
「まあまあ、ベイルさんも楽しみを日々の見つけられて良かったじゃないですか。話し合いはいつ頃終わりそう?」
「夕方には終わると思います。私もこれから帰ったら合流する予定なので」
「ふむ、それでは夕方、あやつを迎えに行こうかの」
やはり従者がいないと不機嫌なのか、魔女はにこりとも笑わずつかつかと食堂に向かった。
「それまでは厄介になるぞ」
せっかくの休日が騒がしくなるな。コウジは頭を押さえた。




