第十一章 公子とコウジ その4
「会場を埋め尽くす皆さん、よくぞおいでくださいました!」
一か月というごく短い準備期間であったにも関わらず、公爵家所有のフットボール競技場は満員となった。階段状の観客席一杯にぎっしり並んだ人々が一様に両手を挙げ、ひとつの巨大な生き物のようだ。
「本日は快晴。この太陽の下、ファーガソン公爵領とコッホ伯爵領、それぞれの選抜メンバーによるサッカーの交流戦を開くことができました」
大歓声に包まれたスタジアムに花火が打ちあがり、熱狂をさらに盛り立てた。その熱波はスタジアムを越え、競技場の外の屋台やテントに集まった人々も皆一様に跳びはねた。
フィールドの中心に立つ小人族の男の声はスタジアムのそこら中から聞こえている。通信魔法を応用してスピーカーと同じ要領で声を届けているのだ。これは魔女カイエが通信魔法の得意な同族を呼び寄せて実現させた。
当然、魔女カイエ自身もさっきからずっと盛大な花火を打ち上げ続けている。そして近隣から集まった魔族たちも花火に音声、中にはスタジアムに入り切れなかった人に向けての映像投影まで、各々の手段でこの競技会の演出を務めていた。
「本当に、よくここまでうまくいけたものだな」
観客席よりさらに高くに設けられたテラス、要人専用の特別席から競技場を見下ろしながら公子はぽつりと漏らした。
「公子の奮闘あってのものです」
その隣に控えたコウジも前に出て、以前よりさらに凛々しくなった公子の横顔を見る。自分の足で伯爵家や領内の学校を何度も訪れて選手の召集を頼み込み、豪商にも根回しをしてスポンサーを募った。彼の手腕が無くては人を集めることすらできなかっただろう。
婚約破棄の意向を公爵に伝えた時、当然ながら家族一同皆は卒倒してしまいそうなほどに驚いていた。伯爵家との今後の協力関係に影響が出たらどうするのか、バレンティナほどの才色兼備は滅多にいないぞと、夕食の席は一瞬にして騒乱に包まれた。
だが公子は頑なに自らの意思を伝え続けた。バレンティナ自信が既に自分に興味を失っているであろうこと、また伯爵家との縁談を断っても決して後に尾を引かないこと、鉄道の敷設事業も滞りなく進めることなど。
公子の懇願にはついに公爵も折れ、後日改めて親子共々断りの報せを伝えに伯爵家へと向かったのだった。伯爵も大層驚いたものの、思ったよりもすんなりと申し出を受け入れたらしい。むしろバレンティナの方が驚いて取り乱していたとか。
「わあい、すごい花火! あ、あそこに魔女様がいる!」
席から立ち、身を乗り出してフィールドを見下ろすのはアレクサンドルだ。しばらく見ない間に背が伸びていた。その後ろではバレンティナが微笑んでいる。
「ここまで盛大な競技会が開けたのも伯爵家の皆様のご協力があってこそです。今後末永く、両家の協力と発展のため、そして領民のために努めましょう」
公子が爽やかなマスクをバレンティナに向けた。
「もちろんです公子。この平和と安定の時代、単に腰を据えて平穏を謳歌するだけではいけません。産業と文化を発展させ、来るべき将来に備えるのも統治者としての責務。その起爆剤としてスポーツの振興は非常に有効だと私は考えております」
バレンティナもにこやかに答える。そこにあるのは以前の婚約者同志としての関係ではなく、同じ志を持つ者同士の結束だった。
「あ、選手が入場してきました!」
ファンファーレとともに両領地の代表選手たちが続々と二列になってフィールドに姿を現す。
公爵領中の仕立て屋が結集して作った半袖半ズボンのユニフォームを着た選手たちは皆胸を張って堂々としていた。
公爵領の選手は主にサッカーを最初に普及した各学校からの選抜メンバーで、伯爵領からは農民から選ばれている。伯爵領での競技会の後、マラカナ村だけでなくラフォード村はじめ周辺の村々にも伝わったおかげで、隣村からも有望な若者を呼んだそうだ。
「あ、マトカもいる!」
アレクサンドルの指差す先には屈強な男たちに混じり、赤毛をなびかせて歩くマトカの姿があった。
彼女も当然、伯爵領のイメージカラーである黄色のポロシャツを着ている。ちなみに公爵領の代表は赤色シャツだ。
フィールド中央まで歩き出た両選手が向かい合い、互いに握手が交わされる。そして競技場に掲げられた公爵家と伯爵家、両方の旗を見上げて互いの健闘を祈り合った。
サッカーは本来前後半45分ずつの長丁場であるが、ここはまだ普及後間もない異世界だ。戦術も確立されていなければ、選手のトレーニングも十分でない。フィールドもサッカーでなくこの地に伝わるフットボールのために作られているので国際基準のサイズを満たしていない。
そのためコウジの判断により小学生で一般的な前後半20分、かつ休憩もしっかり15分取ることで過度な疲労を防ぎ、観客にも退屈させない配分に調整された。ただそれだけだと短く物足りないので、芸人や演奏家を呼んで試合の前後にスタジアムでショーをさせているのは公子の判断だ。
両陣営がポジションに着き、いよいよ号砲とともに試合が始まる。
公爵領選手のキックオフだがすぐには攻め込まず、まずは後ろの選手にパスを回す。そして等間隔に並んだ4人が広く展開し、互いにボールを受け渡し合いながら少しずつ前に出る。
だがそんな作戦などお構いなしにボールを持つ選手に突っ込んで無理矢理ボールを奪う者がいた。
マトカだ。試合開始とともに飛び出した彼女は作戦などまるでそもそも頭に無いかの如くがむしゃらに走り回り、そのイレギュラーと圧倒的なスピードで公爵領の規則だったチームプレーはすっかりたじろいでしまった。
あれよあれよという間にボールを奪い、襲い掛かるディフェンス陣を軽い身のこなしで避ける。そしてペナルティエリアギリギリのところでゴールネットに向けて一直線にボールを蹴った。
だが間一髪で飛びついたキーパーの手が弾丸のようなボールを弾き、そのままゴールネットの上へと乗ってしまった。
肩を落とすマトカだが、その健闘ぶりに観客たちは盛大な拍手を贈った。彼女はすっかりこのスタジアムの人々を射止めていた。
「やっぱ強いな、あの娘は」
「要人だけの隔離された席だというのに、当の要人がこんなに無警戒では話にならんの」
コウジが感心しながら見下ろしていると突如声をかけられたので振り返る。
魔女カイエとベイルが並んで立っていた。階段を昇ってここまで来ていたのに誰も気付かなかったようだ。
「魔女様、どうされたのですか?」
「どうされたもこうされたも、今は試合中じゃ。わらわが花火を打ち上げる必要は無かろう。ところで公子殿にとこれを預かっておってな」
魔女がベイルの巨大な手から何かを受け取る。手のひらに収まる程度の水晶玉だ。
「私に?」
公子が魔女に近寄り、水晶玉を受け取った。その時、ぼうっと水晶玉の内側が白く輝き始め、不鮮明ながら声が聞こえ始めたのだった。
「お久しぶりです、デイリー様。公爵領と伯爵領のサッカー競技の開催、おめでとうございます」
老いた男の声だ。コウジも聞き覚えがある。
それは公子にとって懐かしく、そして辛い記憶を呼び覚ましたようだ。わなわなと震え、今にも手から水晶玉を滑り落としそうだった。
「な、なぜ先生の声が?」
「ベイソン先生は閉じこもった後もずっと魔法の研究を続けておった。そしてずっと思索を続けた結果、自分の声を物に宿らせる、いわば録音の方法を編み出したのじゃ。その実用化第一号が公子、お主へのメッセージじゃ」
声の主は王都にて世俗と断絶して暮らすベイソンだった。魔女カイエが魔族の伝手を利用して預かったのだろう。
「近年の公子がどうなったか、弟子のカイエから聞いております。父上に反発してスポーツ政策にことごとく反対していると。それも私のような者を決して増やさないためと聞いて私は大変光栄に思います。ですが公子、それだけは絶対におやめください」
公子の手の震えは止まっていた。じっと真剣な表情のまま輝く水晶玉に向かっている。
「私がギャンブルにかまけてしまったのは私が弱かったからです。なぜ私は負けたか、それは競馬の魅力に憑りつかれたためです。スポーツには危険でありながらも他では味わえない魅力があるのです。民が危険な競技に熱狂するのもそのためです。スポーツから逃げてはなりません、真っ向から向かい合い、その危険に対処しつつ民を導くのが領主としての使命ではありませんか」
水晶玉を握る手に力がこもったのか、一瞬公子は痙攣したように見えた。
「ですが私がそのようなことを伝える必要はありませんでした。公子は自らそのことに気付いたからこそ、今回の競技会の開催まで至ったのです。さすがは私の知る公子です、公爵領を預かるに相応しい人物になられましたね」
公子の肩がぴくぴくと震え始める。そして水晶玉に額を付け、顔を埋めた。
「私も今は光を避けて暮らしておりますが、いつか必ず公子にお会いしとうございます。その時には必ず、酒でも飲み交わしましょう。それでは……」
「せ、先生。ううう……」
公子の頬を涙の筋が伝った。その口元は泣きながらも微笑んでいた。
相も変わらず歓声の響くスタジアム。その声など耳に入っていないかのように、公子は泣き続けた。
その時、一際大きな歓声が上がり、コウジは振り返った。
「ゴール、伯爵領のマトカ選手、記念すべきゴール第一号だ!」
フィールドを両手を振りながら一周するよく知った女の子の姿。それに手を振る観客たち。
コウジと公子のこの一か月の努力は、今ここに結実していた。




