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第十一章 公子とコウジ その2

 発砲の轟音に、魔女カイエは耳を押さえた。


 だがコウジはピクリとも動かず、ただじっと公子を見ていた。


 公子はゆっくりと銃を降ろした。そしてコウジに顔を向け直す。


「あのベースボールを通じて、私はようやく思い出した。そう、私がいろいろなスポーツを身に付けたのも、父に押し付けられたからではない。単純に楽しかったからだ。そんな簡単なことをすっかり忘れてしまっていたようだ」


 そう話す公子の顔は実に爽やかだった。長年の束縛から解放されたような、目の前の世界が開けたような感情に溢れていた。


「コウジ、そなたはもう会っているのだろう? ベイソン先生に」


 勘づかれていたか。ここまでは予想の範疇だがコウジは聞き返した。


「はい、でもなぜ?」


「王都から帰ってきた日から、夕食の席でそなたが私を見る顔が明らかに変わった。その程度の違い、簡単に気付く」


 公子の目はコウジを見据えながらもぼうっと焦点が合っていなかった。恩師との日々を思い出しているのかもしれない。


「はい、魔女カイエ様に同伴し、ベイソン様には出会っております」


「そうか、相変わらず閉じこもっておられたのか?」


 うっとコウジが返答に詰まる。それを察してか、魔女がフォローした。


「その通りじゃ、スポーツに関する話題は今のあのお方には毒なのでな。とはいえコウジにはあの方のことを知っておいて欲しかったので、わらわの後ろに立たせておいたのじゃ」


 はあとため息を吐く公子。


「それならばわかっただろう。私はベイソン様のような人をもう二度と増やしたくない。コウジ、聞かせてくれ。そなたの世界では賭博の連鎖から脱出するための研究がなされていると以前話していたな」


「はい、元の世界ではギャンブルだけでなく、恐怖症や不眠を心が風邪を引いたようなものと考える研究が盛んに行われております。それらは精神医学と呼ばれ、投薬やカウンセリングで時間をかけて解決するものでした」


「心が風邪をひく……か。それは実際に効果はあるのか?」


「一定の成果は出ていると思われます。スポーツ賭博に依存してしまった患者同士の共同生活の中で互いに症状を共有しながら改善していく取り組みもあります」


 聞いて公子は顎に指を当ててしばし考え込んだ。


「……確か大学で精神と身体の関係を訴えている医学の研究者がいたな。何をバカなと皆笑っておったが、もしかしたら解決の糸口になるかもしれん。すぐに調べて、場合によっては私から研究費を助成しよう。それにしても……」


 公子はコウジと魔女に向かってピンと背筋を伸ばし、そのまま深々と頭を下げた。高飛車な公子のこのような姿にコウジは随分と面食らってしまった。


「私はひどい男だ。個人的な経験から領民の真に求めることを考えず、バレンティナ殿にも嫌な思いをさせてしまった。コウジ、そなたにも随分と手こずらせてしまったよ。申し訳ない」


「そんな、頭をお上げください!」


 必死で取り繕うコウジの横で魔女がカカカと笑う。


「そうじゃな、父親に逆らうお主は反抗的な息子そのものじゃった」


 余計なこと言うなよ!


 だが公子はぷっと吹き出し、ついには腹を抱えて笑い始めたのだった。


「ふはは、反抗的な息子、まさにその通りです。ベイソン様がああなってしまったのに、それを気にかけず競技場や競馬場の新設に取り掛かる父に対し私は私怨を募らせてしまったのでしょう」


 静かな野山に公子の笑い声がこだまする。その時だった。


 ガサガサ。


 小川を挟んだ森から音が聞こえ、一同は視線をそちらに向けた。


 木々の間から飛び出したのは一頭の鹿。立派な角を持った牡鹿だ。


 公子の声につられたのか、よくもまあこんなところに堂々と現れるものだ。


「でかい……」


 奈良公園で見た鹿よりも二回りは大きい。日本よりは寒冷なこの地に生活する上で、巨大な身体へと進化していった結果だろう。


 すかさず公子が銃を構えなおす。黒い銃身に顔を添えて鹿の頭部に狙いを定める。


「コウジ殿、狩猟はおもしろいぞ。よいか、まずこうやって……」


「ふうん、火球!」


 公子が静かに解説するその隣で、魔女カイエが魔法を放った。


 炎を凝縮し、レーザー光線のような光の筋が指先から飛び出し、鹿の脇腹を貫く。


 哀れにも圧倒的な熱に内臓を一瞬で焼き尽くされた鹿は、叫び声も上げないまま倒れ込んでしまった。


「どうじゃ!」


 ふふんと得意げに胸を張る魔女を、男二人はあんぐりと口を開けて見つめていた。




 その日からコウジと公子は共同でスポーツ振興事業の案を練るようになった。


 元々頭の切れる公子だ。コウジの説明する未知のスポーツもすぐに理解し、その利点と欠点、また普及する上での障害などを思索した。


「室内で行う競技には体育館という施設が必要になります。床を全面板張りにしたこの施設は雨風を防げるため、季節問わず競技ができます」


「それは便利だが、密閉するなら夏場は蒸し風呂のようになりそうだな。建築家を呼んで競技に影響でない程度に空気の流れを取り入れる方法を考えさせよう」


 連日ふたりは書斎に入り浸って計画を練った。そして退屈すれば庭で使用人やナコマを呼び、サッカーや野球に興じた。


 特に野球に関しては使用人はおろか、町からも見物人が来るほどの話題となった。


「あれが噂のベイルさん? 想像よりもさらに大きいわね」


「本当、あのパワーは凄まじい。大工仲間でもあんな身体はなかなかいないぞ」


「ベイルー、がんばれー!」


 昼過ぎ、城の庭の一部開放された区画に集まった見物人たちに手を振って応えてから打席に立つベイル。


 投手を務めるコウジはじっと狙いをすませ、ボールを下手で投げる。


 浮き上がるように内角低めへと入った。普通なら非常に打ちにくいコースだ。巨人は身体が大きくストライクゾーンも広いので投手からすれば投げやすい相手だ。


 だが彼の打撃のセンスは本物だった。


 穏やかなベイルの目が一瞬光ったと思うと、次の瞬間にはボールを叩き割るかのような一撃が繰り出される。


 たちまち天高くまで打ち上がったボールは城の屋根にぶつかると、小さく弾みながら板張りのの傾斜を転がってポトリと落下した。


 沸き上がる大歓声にベイルは照れ臭そうに笑いながらベースを回る。彼は一撃ごとに飛距離を伸ばしていた。


「まさかあいつにこんな才能があったとはな」


 魔女カイエは紅茶をすすってからポツリと呟く。


 女性たちは2階のテラスで紅茶を飲みながらこの試合を見物していた。


「ベイルさんはスポーツをされていなかったのですか?」


 バレンティナが何気なく尋ねると、魔女はこくんと頷いた。


「あれは巨人族でも特に身体が大きくて、とても皆と一緒にスポーツなぞできなかった。格闘技でもフットボールでも、本人にその気が無くとも相手を怪我させてしまう。力比べでも負け知らずじゃ。ゆえに本人からすすんで参加することはまず無かった」


「じゃがベースボールなら相手の身体に触れることは無い。怪我をさせる心配も無いし、あやつの性分に合っておったのじゃろう、あそこまで楽しそうにしているのは初めてじゃ」


 仲間とハイタッチするベイルを見守る魔女。その顔は主として従者を慈しんでいるかのようで、どこか物憂げでもあった。

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