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第九章 都会の日々 その4

「ここじゃ」


 中央通りをもうしばらく進んだ先に、魔女カイエの目的地はあった。


 良い匂いの立ち込めるパン屋だ。店先には仕事帰りに今日の夕飯にでもするのだろう、バゲットを選ぶ人が並んでいた。


 だがその建物は少し異様だった。


 一階は店舗、二階は住居なのだろうか窓から明かりが漏れ出ている。


 だが最上階の三階の窓は上から木の板が打ち付けられ、外部の光を一切遮断していた。蠟燭も決して安くはないこの世界、民衆は昼間は太陽光で採光するのが一般的なのに。


 魔女と従者がに入り、コウジとナコマもそれに続いた。


「いらっしゃいま……あ、魔女様!」


 ふくよかな体型の鬼族の女主人がカイエたちに頭を下げる。


「久しぶりじゃのう。達者でおったか?」


「はい、おかげさまで。あの、上に……」


「相変わらずじゃの。なあに、そんなに長居はせん」


 そう言って魔女はずかずかと店の奥に入っていった。ベイルも身体を小さくして続き、コウジとナコマもついでという形で続いた。


 ふと店先でパンを並べている人間の女の子が目に入る。黒い髪を後ろで束ねたコウジよりも背の高い20歳くらいの女の子。


 どこかで見たような気がするな。そんな既視感を抱きながらも、店の奥へと進んだ。


 厨房と倉庫を抜けて階段を昇り、店主の住居である二階をスルーして三階にたどり着く。


 そこには頑強な鉄製の扉一枚がどんと待ち構えており、不気味な気配さえも漂っていた。


 扉には外側から鍵が施されている。まるで何かを閉じ込めているようだ。


 そんな不気味な扉をガンガンと叩きながら、魔女は呼びかけた。


「カイエです。伯爵領から参りました」


 普段とはまるで違う言葉遣いにコウジは驚く。直後、中から「入っていいぞ」と老人のような弱々しい声が返ってきたのでさらに驚いた。


 懐から鍵を取り出し、鉄の扉を開けるカイエ。ギギギと重い音がした先には、真っ暗な部屋に蝋燭の灯りだけで机に向かう老人の姿があった。


 壁を埋め尽くさんばかりの本に囲まれた老人は、暗闇の中でも輝く白いローブと真っ白な長い髭の持ち主だ。典型的な魔法使いのお爺さん、と言えばよいだろう。


「久しぶりだな、元気そうで何よりだ」


「ベイソン様こそ。ご病気などはありませんか?」


「ああ、皆のおかげで大事ない。お前が本を届けてくれるから、研究も捗るよ」


 薄明りの中、カイエはくすっと笑う。そしてベイルに合図すると、抱えていた巨大なトランクを開けた。


 中から出てきたのは大量の本。魔族が書き表した魔法の研究記録や新たな術の考案など、元の世界でいう専門書ばかりだ。


 その後本を受け取った老人はカイエに今まで溜めた分だと原稿を渡した。それをトランクにしまい直した後五分ほど世間話をしたものの、すぐに切り上げたカイエは部屋を出た。


「それでは、また」


 そう言って魔女は施錠した。


「だいぶやつれておられましたね。こんな暗い場所にずっとこもっておられますので」


「仕方がない、今のベイソン様に外の世界はあまりに酷じゃ。ああする他無い」


 冷徹に言い放つ魔女。従者の拳には力がこもっていた。


「あの方は一体?」


 ナコマが尋ねた。コウジの背中から覗いていた程度だが、幼い身でもあの異様な雰囲気は感じ取れたようだ。


 階段を降りていた魔女は振り返り、静かに言った。


「わらわの……師匠じゃ。そして同時にファーガソン公爵家の家庭教師でもあった」




「どうしたんだよ、それ?」


 お土産の陶磁器の箱を大切に抱えた巨人の青年が宿に着くなり見たものは、ラケットを握りしめた鬼族の青年だった。


「あの壁テニスやってた奴らと意気投合しちまってよお。家に古い道具一式が余ってるからって譲ってもらったんだ。俺もコウジみたいに村にテニスを持ち込むぜ!」


 そう興奮しながら食堂の真ん中で無茶苦茶にラケットを振り回す青年。


「あんた、騒ぐなら外にしな!」


 料理を運んでいた女将さんに怒鳴られ、青年はひいっと怯えた。


 その食堂の隅の机に腰かけたコウジとナコマは、魔女カイエと従者ベイルに向かい合っていた。


「ベイソン様はかつては国一番の魔術師とも呼ばれた偉大な方じゃ。100年前の戦争では魔族部隊の指揮官でもあった。そして幼きわらわに魔法を教えてくれた師匠でもある」


 机には料理が出されていたが、誰も手を付けていなかった。


「終戦後、魔法の平和利用が唱えられ、多くの魔族が軍を離れた。わらわは見世物で生計を立てるようになったが、ベイソン様は王侯貴族の家庭教師として迎えられ、特に晩年はファーガソン公爵家で現当主とデイリー公子、二代に渡って教育を与えた」


 こんなところに意外なつながりが。魔族は絶対数が少ない種族なので、どうも世間が狭くなるようだ。


「デイリー公子はベイソン様を非常に慕っていた。幼い頃に出会ったこともあるが、まるで本物の親子のように仲睦まじかったぞ。じゃが5年前、公子が16歳の時、公爵が町の繁栄のためにと競馬場を開いたことで急変する。きっかけはささいなものじゃが、ベイソン様は競馬にのめり込んでしまったのじゃ」


 息が止まった。まさかあの聡明そうな老人が?


「初めて買った馬券が大当たりしたのか、ベイソン様は取りつかれたように競馬場に通うようになった。公子の世話もほっぽリ出して、毎日毎日。じゃがそう簡単に二回目が来るものでは無い。家庭教師も免職になってもベイソン様は競馬場通いをやめられず、やがて莫大な私財をつぎ込むようになった。もう常に競馬のことが頭を離れなくなっていたのじゃ。そして家族が出ていってようやく気付いた頃には、財産も名声もすべてを失い、大通りに面した一軒家だけが残されたそうじゃ」


 魔女がようやくスープを一口すくい、ずずっと流し込む。ふうと一回だけ息を吐くとすぐに口を拭い、またも話し始めた。


「あとは大方予想がつくじゃろう。競馬のことを少しでも考えないようにと、自宅の三階をまるで牢屋のように改造し、下を昔から親交のあったパン屋に格安で貸した。さらに自分が外に出ないよう監視してもらうよう頼んだそうじゃ。外の刺激を受ければ、つい競馬場に足が向いてしまうからの」


 魔術師ベイソンはどれほど自分の行いを悔やんだだろうか。コウジは胸が張り裂けそうな気分だった。


 スポーツ賭博に限らず、ギャンブル依存症に一度かかってしまうと理性を失ってしまいあらゆる面で支障をきたすという。ベイソンはギリギリのところで自覚できたために今の状態で踏みとどまれたが、これ以上悪化していればと思うと背筋も凍る。


「それがつい3年前。多感な年齢だった公子は慕う恩師が堕落していく姿を見て、スポーツ全体を恨むようになってしまった。かつては国の英雄と持て囃された人物までも変えてしまうのが賭博じゃ。それまではスポーツを愛し大会の開会式にも喜んで参加していたのに、今ではあらゆるスポーツ事業に反対する日々じゃ」


「そんな経緯が……公子も可哀想です」


 ナコマが目頭を押さえた。その隣でコウジは背中を撫でる。


「公子がスポーツは人を自滅させると言っていたけど、それは確かにきつい経験だよ。一人の人生が狂うところを間近で見てしまったのだからね。でも!」


 コウジは乱暴に立ち上がった。近くの席に座っていた人々の視線が注がれるが、コウジは続けた。


「だからこそ僕は負けない! 公子にも昔の心を取り戻してもらって、みんなの期待通り色んなスポーツをここで普及させないと!」


 その姿をじっと魔女カイエは見ていたが、終いには苦笑いをしてふっと息を吐いた。


「意気込むのは良いが、空回りで終わらせぬようにな」


 そのつもりは無い! コウジは座り直した。


 そのためには早速次のルールブック作りに取り掛かろう。さて、何を扱おうか……。


「おいマトカ、今からでも一緒にやろうぜ! 楽しいから」


「もう夜よ。ボールなんて見えないわよ!」


 丁度いいのがあった。コウジは夕食を急いで食べると、まっすぐ部屋に帰った。

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