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第九章 都会の日々 その3

「ここが王都か」


 煉瓦造りの巨大な駅舎を出た村の若者たちは、広場の中央に立ち止まるとぐるっと周りを見渡した。彼らの中に王都に来たことのある者は誰もいない。


 建ち並ぶ煉瓦造りの建物すべてが風車小屋のように大きく、道には石畳が敷かれて草一本さえ生える隙間も無い。


 そして行き交う人々は皆童話の貴族やお姫様のような華やかな格好ばかり。少なくとも彼らにはそう映ったようだ。


 既に陽が傾き、街はほんのりと赤い光で染まっていた。


「俺はここでシティボーイになるんだ!」


「さあ行くわよ、パイとプディング!」


 人々の視線をまるで気にせず駆け出す若者たち。そんな彼らを嘲笑うかのような表情で魔女カイエは見つめていた。


「完全にお上りさんじゃの……おおい、そっちは逆じゃぞ。店はあっちじゃ」


 魔女の言葉に若者たちは進路を180度変えた。


「何ですか、そのトランクは?」


 コウジは巨大なトランクを抱えたベイルに尋ねた。人間ならば大人でもすっぽり入ってしまいそうな大きさだが、ベイルが持つとサンドイッチの入ったバスケットのようだ。


「ええ、これから訪ねる知り合いにお渡しするのです」


 ベイルが軽くトランクを叩くが、ふと隣を見ると今さっきまで経っていた魔女がいない。


「あれ、魔女様はどこに?」


「急げ村の皆よ。その店はもうすぐ閉店じゃぞ、パイを求めたくば走るがよい!」


 村の若者たちと一緒になって走っていた。列車にずっと揺られていたので、魔女も退屈してパイが食べたくなったようだ。




「美味しーい! これが最先端の流行なのね!」


 サクサクのパイ生地に舌鼓を打って、マトカは身を震わせた。


「こちらのプディングも美味しいです! ここまで甘さを出しながらクドく感じないなんて、ここの職人の腕には貴族お抱えの料理人でも敵いません」


 ナコマも耳をピンと立てながら頬を紅潮させていた。


 男たちも各々好みのお菓子を注文し、口々に感想を言いあっている。


 王都で今人気のお菓子屋。閉店ギリギリなので注文できる種類は少なかったが、味は確かだった。


 表通りから一本入った裏通りにもかかわらず、この時間でも人が絶えない。客も貴族の奥方から奮発した平民まで様々だが、皆が肩を並べてお菓子を食べていた。


「使用人みんなのお土産もここで買いましょうかね。日持ちするクッキーとかは置いてあるでしょうか?」


 ナコマが壁に掛けられたメニューを見つめる。決して安いものではないが、滅多に無い機会、せっかくからとこぞって高いお菓子を注文したくなる。


「まあまあじゃの、以前に比べれば腕を上げたようじゃ」


 そういう魔女カイエはパイとプディングとマカロンを同時に注文していた。既に食べ終わった男たちが羨ましそうに見つめている。


「魔女様、これからどなたを訪ねるのです?」


 パイをつつきながらコウジは尋ねた。この王都には何があるのか、コウジはろくに知らない。


「古い知り合いじゃ。中央通りに住んでおる」


「あら、そこでしたら陶磁器工房のすぐ近くじゃないですか。一緒に行きましょう!」


 完食したマトカがフォークを持ったまま立ち上がる。


「まあ良いぞ。あの辺りは同じような外観の家が多くて少々迷いやすいのでな」


 一行は店を出てしばらく歩いた。


 中央通りは王城へ通じるこの王都で最も広い通りで、馬車も人も常に行き交っている。高級服飾品や異国の調度品など高級品を扱う商店が軒を連ね、この時間からは貴族御用達なのだろういかにも高級そうなレストランが準備中から営業中へと看板をひっくり返していた。


「おいおい、ここは俺たちみたいな田舎モンが来ていい場所じゃないんじゃ?」


 すれ違う人々が皆あまりに高貴な身分ばかりなので、鬼族の青年もすっかり委縮していた。


「何言ってんのよ、気にし過ぎよ。もうすぐで工房なんだから、しゃきっとしなさいしゃきっと!」


 マトカに背中を叩かれる青年。そんな彼らを先導する魔女の表情はどうも暗かった。


「それにしてもやっぱ落ち着かないなあ。そもそも俺はそんな高級品に興味は……ん?」


 大通りから接続する小さな路地。その前を通過する際、鬼族の青年が何かに気付いた。


 路地の中からポンポンと何かが跳ね返るような音がする。一行は耳を澄ませ、裏通りを覗き込んだ。


 馬車二台がすれ違えるかどうかという狭さの路地は両側に煉瓦の壁がそびえ薄暗い。その中でわずかな陽の光を頼りに、ふたりの若い人間の男がお互い壁に向かって何かの遊戯に興じていた。


 手に持ったのは木製のラケット。テニスラケットとほぼ同じ見た目だ。


 ひとりが壁に向かって皮製の小さなボールを打つ。そして跳ね返ったボールをもう一人が打ち返し、それまた壁にぶつけて跳ね返らせる。


 村の若者たちは何をしているのかわからないのかぽかんと口を開けたままだ。


「うん、あれは壁テニスじゃな」


 魔女が口を押えながら呟くと、鬼族の青年が即座に「壁テニス?」と尋ね返した。


「元々テニスは貴族には人気のスポーツで、王都の若者にも広まったのじゃろう。じゃがテニスはどうしても広いコートが必要、富豪であっても王都ではテニスコートを作るのは難しい。そこで狭い道を利用し、壁に打ち返すことで狭い場所でもできるこよう工夫されたのがあの壁テニスじゃ」


 へえと感心する一行。


 だがコウジは似たような競技を元の世界でも見たことがある。スカッシュだ。


 テニスによく似た競技は古代エジプト文明の時代には既に存在していたが、現在のテニスの直接の祖先が誕生したのは12世紀フランスの修道院だと考えられている。回廊を使って貴族がボールを手のひらや手袋を使い打ち返し合ったのをきっかけに、競技として成立していったそうだ。


 テニスは長い歴史の中で発展を遂げたが、民衆に愛されたフットボールとは異なり、基本的には貴族や豪商など富裕層のスポーツであった。それが爆発的に広まったのは19世紀の後半にかけて現在のテニスの原型が整えられ、ウィンブルドン選手権大会など大きな国際大会が頻繁に開催されるようになったからである。


 スカッシュはテニスの派生と言えるが、その起源はロンドンの収容所で囚人が壁にボールを打ち合って遊んでいたことが起源と言われている。この世界でもきっかけは違えど、同じような競技が生まれているのだ。


 そしてこの世界でもテニスは富裕層と都市の人間には広まっているものの、マトカたち地方の平民にはあまり知れ渡っていないようだ。皆物珍し気に見つめている。


「なんだかおもしろそうだな、ちょっと混ざってこよっと」


 鬼族の青年が無鉄砲にも路地を進んだ。


「あ、ちょっと!」


「いいよ、あいつは陶磁器見るより体動かしている方が性に合ってるんだ。あとで迎えに来るからなー!」


「そうじゃな、ほら工房はあそこじゃぞ」


 魔女カイエが指差す先、数軒先に陶磁器屋の看板が見え、マトカ達は駆け出すように行ってしまった。残されたのはコウジとナコマ、そして魔女と従者だった。


「さてさて、賑やかな連中もいなくなったし、わらわも用事を済ませるかのう」


 魔女は帽子をかぶり直すと、くるっとコウジに向き直る。


「コウジ、もしかしたらお主も来た方が良いかもしれぬ。お主の今の立場では、関係が無いとは言えないからのう」


 魔女カイエが時折見せる、思慮に満ちた物言いだった。


 何のことかさっぱりだが、その表情にコウジは頷くしかなかった。

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