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第九章 都会の日々 その1

 城の広大な庭園に出ると、既に多くの人々が集められていた。


 人間鬼族獣人族問わず、様々な種族が集められていたが、ほぼ全員が若い男だった。まだ中学生くらいの年齢の子も混じっている。


「彼らは領内の大学とパブリックスクールの学生に、教師たちです」


 コウジの脇で公爵家の執事が解説した。扉から出たコウジ達を迎えるように集まった彼らの目は皆好奇心に輝いていた。


 しかしなんという数だ。ざっと100人以上いる。


 コウジはぽかんと口を開けて全員の顔を見渡した。


「これほどの多くの人数、一度に教えられるのは大変でしょう?」


 コウジに付き添うナコマが尋ねた。


「そうだね、だから助っ人を呼んだんだけど……まだ来ないのかな?」


「助っ人?」


 ナコマが首を傾げる。


「ごめんごめん! 遅れた遅れた!」


 公爵家の静かな庭を、やたら賑やかな馬車が横切る。


 この場にあまり相応しくない木材をつなぎ合わせただけの素朴な荷台には数人の若者が乗っていた。


「コウジー、お前がマレビトだったなんて驚いたぜ」


「公爵家に呼ばれて話を断るバカがどこにいるかってんだ」


 鬼族の青年に巨人族の若者、そしてマトカ……。マラカナ村の若者たちだ。


 収穫を終えた彼らは普段ならば次の播種の準備や都会への出稼ぎに勤しむところだが、伯爵家を通じて頼み込むと快く引き受けてくれたのだった。


「彼らは皆サッカーがうまい。あれだけ人数がいれば教えるのも楽だろう」




 午前中いっぱいサッカーのイロハを教え込んだコウジとマラカナ村の若者たちは、城内の食堂へと案内された。


 昨夜晩餐会の開かれた部屋とは違い、広いものの簡素なつくりの部屋へと案内される。それでも平民の彼らにとっては公爵の居城で食事を召し上がるという経験自体がこの上ない名誉のようだ。


「うほほほ! 何だこの美味い料理は?」


「肉よ肉! 食べられるうちに食べときなさい!」


 作法なんて何のことやら、もりもりと食べる若者たち。公爵お付きの執事も茫然とするばかりだ。


 昨日はお利口に食べていたナコマも、このメンバーの中では作法は気にせず自由気ままに食べている。


「コウジ、お前はいつもこんな美味い物食っているのか? 羨ましいなこいつめ!」


 口の端からぽたぽたとソースが零れ落ちていることなんて知らぬかのごとく、鬼族の青年がコウジの頭を小突いた。


 コウジはまあねと笑ってやり過ごしたが、実際に出されている食事はこれ以上に豪勢なのだ。


 昨夜の夕食の内容を話したら、絶対に怒るだろうな。


「そういえばここにはどれくらい滞在するの?」


 コウジが尋ねると、マトカはかぶりついていた骨付きの鶏肉を急いで噛み砕いた。


「一週間くらいだ。公爵の計らいで、午前中はサッカーを教えるんだけど、午後は自由に町を見回っていいんだとさ。宿も無料で借りられるし、本当、公爵は太っ腹だぜ」


 鬼族の青年が上機嫌でトマトを口に放り込んでいるとき、マトカはようやく肉を呑み込んでいた。


「そうそう、明後日は学校が休みでサッカーも無いから、明日の午後からみんなで列車に乗って、泊りがけで王都に行こうって話なのよ。どう、暇ならコウジも一緒に来ない?」


 鬼族の青年がピタリと動きを止める。


「え、いいのかい? せっかく村のみんなで来たのに」


「もちろんよ。人数は多い方が楽しいし、私たちはいつでも大歓迎よ。ナコマちゃんもどう?」


「はい、是非とも!」


 子供らしく明るく答えるナコマ。コウジも「それじゃあ僕も」とおずおずと加わる。


 一方、鬼族の青年は目を見開いてトマトを匙に乗せたまま硬直していた。そして隣に座っていた巨人族の若者が鬼族の青年の頭にそっと手を乗せ、憐憫の眼差しで撫でるのだった。


「物心ついた頃からの幼馴染として、お前にはつくづく同情するよ……」




 午後、マラカナ村の若者たちは公爵領の観光に街に繰り出したが、コウジは城に残って机に向かっていた。


 公爵に頼まれたのはサッカーの普及だけではない。他にもこの世界で受け入れられそうなスポーツを、ルールブックにまとめるのもコウジに課せられた仕事だ。


 そんな窓の外、芝の植えられた庭先では、ナコマが同世代の使用人たちといっしょに平均台を使って遊んでいた。若者たちの馬車で伯爵領からいっしょに運ばれてきたものだ。


 今書いているものは器械体操のルールブック。コウジ自身ある程度実演に自信があり、ナコマという心強い助手がいる点でも、サッカーの次に普及させやすいだろうと考えての選択だった。


 だが実際に書くとなると非常に難しい。


「うーん、点数のことなんてわからないし……それに技名の羅列もなんだかなあ」


 体操の採点基準について、コウジは多くを知らなかった。


 体操やフィギュアスケートのような身体表現を基にした採点競技は絶対的な優劣が目に見えてわかりづらく、その採点基準さえも常に変化している。


 体操競技の場合、かつては演技の総合的な出来栄えを基に10点満点で採点されていたが、競技レベルの上昇により加点方式へと変更された。現在では披露する技そのものの難しさであるDスコア、そして実際の出来栄えを評価するEスコア、基本的にこれらふたつの合計が最終的な得点となっている。


 技の難しさであるDスコアも、技ごとに元々の点数が決まっており、演技の中に難度の高い技を組み込めばリスクはあるがその分点は伸びやすい。現在ではA難度からH難度までが存在している。体操競技の実況では頻繁に登場する単語なので、聞き覚えのある方々も多いだろう。


 例えばゆか競技の場合、メニケリ(後方倒立回転)は最も易しいA難度だが、モランディ(前転とび直接前方かかえ込み宙返り)はさらに高度なD難度、シライ3(後方伸身2回宙返り3回ひねり)は現在最高のH難度と設定されている。ちなみに2004年アテネオリンピックの男子団体総合において、冨田洋之が鉄棒で最後に決めて金メダルを取ったあのコールマン(コバチ1回ひねり)は現在ではF難度だ。


 なお連続で技を行わない跳馬に関してはこの限りではない。


 以上のように複雑な採点基準で成立している体操競技、果たしてルールブックにそのまま載せるべきか。そもそも器械体操の普及していないこの世界で、そこまで高度な技の数々を伝える必要もあるものか。


 コウジは頭を抱えうーんとうなる。公爵の手前、絶対に書き上げなくてはならないが、そのプレッシャーたるや卒論の口頭試問にも匹敵するのではないか?


「どうした、声が廊下まで聞こえておるぞ」


 突然の声にばっと振り返る。扉を開け放ち、堂々と部屋に上がり込んでいたのは魔女カイエだった。


 人の部屋に勝手に上がり込んで! そう叱る気力がこの魔女に対してはなぜか湧かないのは不思議だ。


「ん? それは昨日ベイルが話しておったルールブックとかいうものか?」


 魔女がとことこ歩み寄る。なんだか恥ずかしくなって、コウジはさっとページを手で隠した。それを見て魔女はにやつくのだった。


「ははあ、書きかけの書を見られるのは気が引けるでの。わらわも魔導書をまとめる際にはずっとこもって一気に書き上げておる」


「魔女様、そんなこともされているのですか?」


 コウジが足先から防止の先まで、じっと魔女カイエの姿を見つめる。こんな見た目ナコマ以下の子供なのに、本当にそんな書物をまとめられているのか?


 魔女はむっと頬を膨らませた。


「当り前じゃ、お主の10倍長く生きておるのじゃ。それによく勘違いされるが、魔法とは決して万能ではない。空を飛ぶなどかなり高位の術師でないとできぬし、心身の消耗も激しい。ゆえにより効率よく魔術を使えるよう、魔族の多くは日々研究しておる。5年に1回、大陸中の魔族が集まって研究報告会も開いておるし魔族同士のネットワークは意外と侮れぬぞ」


「そんなに研究が進んでいるのですか。じゃああの競技会での花火の術も?」


「ああ、あれも長年の火術研究の結晶じゃ。100年前の戦争の際に発展した火球魔法を応用し、小規模で安全な魔法として考案されたものじゃ。戦争のおかげで発展したというのが皮肉じゃがの」


 そう話す魔女の表情にはどことなく憂いがあった。直接戦ったことは無くとも、戦争には辛い記憶もあるようだ。


「私の元いた世界でも戦争が元で発展した技術はあります。今ではそれが日常生活にも使われていたりして、不思議なものですよ」


 コウジの言葉にも魔女は頷きもしない。だがしばらく黙り込んだ後、ぽつぽつと話し始めた。


「そういえばマレビトの世界では魔法が存在しないのじゃったな。わらわは時々思うのじゃ、この世界の歴史は実に歪な出来事の積み重ねであると」


 いきなり何を言い出すのだ? コウジは訊き返した。


「何故です? 平和に発展しているではありませんか」


「本来、歴史とは試行錯誤の繰り返しで少しずつ積み重なるもの。だからこそ文明は発展し、技術が生まれる。じゃがこの世界はマレビトが異世界の文物を持ち込んで、何のきっかけも無く一気に発展を遂げる。そう、試行錯誤の過程がすっぽりと抜けておるのじゃ」


 コウジは胸を貫かれたよ気分だった。マレビトの出現はこの世界にとっては、天変地異に匹敵するターニングポイントにもなり得る。


「いかに必要とされいかに生まれたか、その過去の無い技術がこれ以上の発展を遂げようか? 人々が持ち込まれた技術の恩恵を享受するのみで、これ以上の改良のために努めなくなるのは当然じゃ。100年前の戦争も元々は蒸気機関の技術が持ち込まれたことが原因じゃった。それ以降100年、この世界の技術は何の進歩も無く止まったままじゃ」


 魔女がふっと笑う。世界そのものを嘲笑うかのような、自虐的な笑みだった。


 だが次の瞬間にはその顔が一変する。誇り高く自信にあふれ、堂々とした笑みに。


「じゃが魔族はそうではない。マレビトも知らぬ魔法に関しては我々の世界の方が進んでおる。失敗だらけで成功の方が少ない研究の日々じゃが、この点に関しては胸を張って言えるぞ。何せ自分たちの手だけで積み重ねてきたのじゃからな」


 自分たちで積み重ねてきたのじゃからな。その言葉がコウジの頭でこだまする。


 そうか、その通りだ!


 コウジは立ち上がり、魔女の手を掴んだ。


「ありがとうございます、魔女様! 私、迷いが晴れました!」


 両手をつかみながらぶんぶんと振り回すコウジに、魔女は呆気にとられた顔を向けた。


「どうしたんじゃ急に。変な物でも食べたか?」


 コウジはすぐさま机に向き直り、再び筆を取った。


 何も自分の知る競技をそのまま持ち込む必要は無い。そう思うとこれまで以上に筆が進んだ。

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