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第八章 令嬢と公子 その4

「うえっぷ、もう食べられない……」


 身をピッチリと絞めるドレスからカエルのような腹を膨らませる魔女を、従者ベイルは呆れ顔で肩に載せていた。


「あんなにがつがつ食べるからですよ。聞けば食後もまだお酒をがぶ飲みしていたそうではありませんか。まったく、200年生きているのですからそれだけの威厳というものを身に着けてはどうです?」


「わらわは魔族ではまだ若輩じゃぞ。そもそもあの中ではわらわが年長なのじゃから、どう振る舞っても良かろう」


「年齢どうのこうのの問題ではありません! それならば私は国王陛下より偉くなってしまいます!」


 ベイルは見た目よりも歳を取っているようだ。巨人族の寿命は200年余りと聞く。人間で言うと青年に当たるベイルも、既に60年ほど生きているのだろうか。


 魔女を部屋に運び入れた従者を見送り、コウジもナコマとともに部屋に戻る。夕食用の衣服を着替え、ナイトガウンを羽織った。


「そうですか、公子はそんなことを……」


 コウジの話を聞き、ナコマが耳をしゅんと垂らした。


「公子がスポーツを嫌っておられることはお聞きしていましたが、まさかそれほどとは。嫁入りされるバレンティナ様もお気の毒です」


 ナコマはバレンティナ自身が結婚を嫌がっていることを知らない。伯爵家の人間として使用人や家族に吐露することはできず、この世界の身分に縛られないという点である意味最も他人であるコウジにだけ、その想いを伝えられたのだろう。


「でも、公子の仰ることも否定はできないのが難しいよね。スポーツは常にギャンブルと隣り合わせだし」


 コウジはため息とともにベッドに座り込んだ。


 スポーツの世界では勝敗を巡りギャンブルが横行するのは世の常だ。先日の競技会でも少額ながら賭け事を堂々と行っていたし、それを当てて大喜びする者もいれば、その隣で地面を殴りつける者もいた。


 元の世界でもスポーツ賭博は重大な問題として扱われている。比較的寛容なヨーロッパでさえ、例えば胴元が絶対に得する方法は禁じられ、最初に倍率オッズを提示し後から客が賭けるブックメーカーのみが許容されている。それも免許制であったりと敷居は高い。


 日本でも昔から賭博と八百長はあらゆるスポーツで付き物だ。有名なものは1970年前後に世間を騒がせた『黒い霧事件』だろう。暴力団と絡んで野球賭博を行い、わざと試合に負けた選手や賭博に参加した関係者らが相次いで球界を永久追放されたスポーツ史に残る大事件だ。


「スポーツ賭博で身を崩す人は実際にたくさんいる。その規制も必要なんだけど……あの公子では理解もらえそうにないな」


 ベッドに寝転がるコウジ。じっと細かい装飾の施された天井を見つめて明日の予定を思い返していたが、ふと重要なことに気付く。


「ナコマ、君の寝床はどこ?」


 服をたたんでいたメイドが振り返った。


「はい? あ、そう言えば……どこでしょうね?」


 二人できょろきょろと部屋の隅々に目を向ける。コウジとナコマに与えられたのはこの客室だけだ。しかしどこにもそれらしい場所は無い。


 そしてコウジはようやく気付いた。今自分の寝そべっているこの天蓋付きのベッドが、巨大なキングサイズベッドであることを。


「公爵ぅぅぅぅぅ! なんでこんなところで抜けてるんだよぉ!」




 ドキドキドキドキドキドキドキドキ……。


 真っ暗な部屋にわずかな星明りだけが差し込む。コウジはベッドに寝そべったまま、右隣にちらっと目を移す。


 普段寝転がることさえできない柔らかい感触を楽しんでいるのか、耳を垂らしたナコマが全身を布団に沈み込ませている。


「はぅあー、極楽極楽」


 とろんとした目で脱力する寝間着姿のナコマに、コウジはぐるぐると頭の中を駆け巡る思考を整理していた。


 おいおいおいおいおい、いくらお子様と言ってもナコマは女の子だ。同じ布団で眠るなんてどう考えてもおかしいだろ!


 つーか何でこのナコマは平然としているんだよ!


 僕にもしもそっちの趣味があったら、君は今とても危険な状態に晒されているんだぞ!


 いやいや落ち着け。いくら女の子と言ってもナコマはまだ子供だ、別に問題ない。


 そもそもなんで僕はこうも変態チックなこと考えているんだ?


 これじゃまるで僕がロリコンになったみたいじゃないか。


 年上のお兄さんが子供の世話をしている、と思えば別段変わったことは無い。


 そうそう、これは子守り。子守りの一種だと思えば……。


「家族みたいですね、まるで」


 ここでコウジは決壊した。がばっと起き上がり全身を震わせる。


「かかか、家族?」


「思い出します。お父さんとお母さんと私と兄弟みんなで、同じ大きな布団に入って並んで寝ていたことを」


 ああ、そういう意味ね。


 安心してほっと息を吐いたコウジは布団をかぶり直す。そう言えば以前、ナコマは大家族の出だと聞いている。


「コウジ様、明日はいよいよサッカーの実演ですね。準備はよろしいのですか?」


「うん、大体手は打ってある。結構な人数に教えるみたいだけど、ボールやゴールは公爵が用意してくださるんだってさ」


 ナコマに背中を向け、コウジは寝転がりながら答えた。


「私も同行しとうございます! 城内にいても退屈ですので」


 何の遠慮も無くコウジの背中に手を伸ばしすりすりとさする。コウジは昂る感情を抑えるため、ぐっと丸まった。


「わかった、わかったから。あまり触らないでくれるかな?」


「どうされたのですコウジ様、いつもとご様子がおかしいですよ」


「だって同じ布団だよ? 逆にナコマは平気なの?」


 振り返ったコウジが目にしたものは、きょとんと眼を丸めたナコマだった。


「そんなにおかしいことでしょうか? 旅人が同じ布団で眠るなんて、よくあることではありませんか?」


 この世界ではそういう基準なのか?


 確かに、昔読んだ何かの海外小説で、主人公の男が同じ宿に泊まった別の男と同じベッドに入れられるシーンがあったような気もするが。


「それに魔女様はベイルさんといつもご一緒に寝ておられますよ。この前朝見に行った時には、ベイル様のお腹の上で大の字になって眠っておられましたもの」


 あの二人についてはほとんど父親と生意気な娘みたいなものだからな。


 なんやかんやの内に夜は更け、ナコマの寝息が聞こえ始めてようやくコウジはうとうとと瞼の重みを感じ始めたのだった。




 翌朝、目を覚ましたコウジが最初に目撃したのはひどい寝相のせいでほぼ全裸になりながらぐっすり眠っているナコマだった。


 公爵の城にコウジの大絶叫が響き渡ったのはその直後だった。

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