第八章 令嬢と公子 その2
城内に招かれたコウジは、その装飾の荘厳さに目を奪われた。
創建から500年あまりという石造りのこの古城は、度重なる戦乱にも耐えてきた堅牢さと同時に、古今東西の調度品に彩られた華やかさを兼ね備えている。
この重みは長い歴史の積み重ねがなくてはとても創り出せるものではない。
「すごい、サンタンジェロ城みたいだ」
「それはどこのお城ですか?」
「いや、こっちの話」
つい漏れてしまった声にナコマが反応した。
一行は夕食の着替えのために客室へと案内された。
それぞれが別室を宛がわれ、コウジと魔女カイエは隣同士だが、バレンティナだけひとり離れた部屋に通される。伯爵令嬢として食客とは別待遇なのだろう。
「バレンティナ様もお気の毒です。家のためとはいえ、デイリー公子に嫁がれるのですから」
コウジに上着の袖を通しながら、ナコマがぐちぐちと零す。こんな内容、メイド頭にでも聞かれれば即刻屋敷を追い出されるだろう。
コウジも「うん」と静かに頷く。
そう、伯爵令嬢バレンティナは近い将来、このファーガソン公爵家に嫁入りすることになっているのだ。
そのことをコウジが知ったのは公爵が屋敷を訪ねたあの競技会の日の夜だった。
話は三日前の夜にさかのぼる。
今日は疲れた、さあ寝よう!
コウジがパンツ一丁になって灯りを消しかけたまさにその時、コンコンとドアがノックされた。
ナコマが洗濯物でも持ってきたのだろうと思い、無防備にも「はいはーい」とドアを開ける。
だがそこに立っていたのはネグリジェ姿のバレンティナだった。
夕飯に食べたものを全て噴き出しそうになりながら、慌てて部屋に引っ込みガウンを羽織る。
「い、い、い、いかがなさいましたかバレンティナ様!?」
冷静を装っても動揺がまったく隠せない。心臓がドラムロールの如く脈打ち、頭から湯気が昇りそうになる。
「夜分遅くに驚かせてしまって申し訳ありません。コウジ殿、少しばかりお時間いただけないでしょうか?」
コウジは無言でこくこくと頷き、バレンティナを部屋に招き入れる。そして廊下に誰もいないことを確認してから急いでドアを閉めた。
ソファにうつむいたまま座るバレンティナを尻目に、コウジは寝酒用のリキュールをグラスに注ぎ、令嬢に手渡した。
彼女はそれを「ありがとう」と受け取ると、くいっと一杯まるまる飲み干した。
「コウジ殿、このような話、あなたにしかできません。私は……ファーガソン公爵家に嫁ぐのが嫌なのです」
空っぽになったグラスを震わせながら、バレンティナは吐き出すように言った。
「公爵家に? それはめでたいことではないのですか?」
そう尋ねるコウジの心臓の拍動はまだ収まらなかった。
「はい、ファーガソン公爵家は王家の遠戚の名門家。お父様も婚礼を歓迎していますし、私自身これが伯爵家のためであると自覚しております。ですが、公子と夫婦としてうまくやっていけるのか、不安で仕方ないのです」
バレンティナは拳を握りしめた。
公子とは公爵の長男、デイリー・ファーガソン公子のことだ。夕食の席でも何度か名前が出ていたのを覚えている。
聞けば文武に優れ、既に領地運営の多くを任されているそうだ。特に現在は鉄道の新路線の敷設に関し、全面的に任されているという。
そしてスポーツ好きの公爵の英才教育の成果あって、乗馬に剣術、テニスにフットボールまで幼い頃からあらゆるスポーツを叩き込まれたらしい。
まさにキングオブアスリート。競技会に出場すればスター認定間違い無しだ。
そんな完全無欠の公子の何がそこまで不満なのだろうか。
「公子は領民のことを考えておりません。あのお方のやり方ではいずれ領民からの信用は失われましょう」
「どうしてそのようなことをおっしゃるのです?」
「公子のお考えは領民の生活をより良くしようというものではありません。あのお方の目はどこか遠いところを向いておられます」
バレンティナが遠い目で窓の外の夜空を見つめる。コウジは空になったその手のグラスに新しくリキュールを注ぎ足した。
「私にはあのお方の考えがわかりません。領民の生活のためと公共事業を進めておりますが、その一方で領民が本当に望むものは拒まれるのです」
「領民が本当に望むもの?」
コウジが訊き返した。バレンティナは少しだけグラスに口をつけると、はあと静かに息を吐いて答えた。
「現在公爵が進めている競技場の新設、公子は今なおそれに反対しているのです」
コウジの口からは言葉が出なかった。
何故だ? 領民にも広くスポーツを勧めるあの公爵なのに、その息子は何故父とは反対の意見を唱える?
そんなコウジの意図を読み取ったのだろう、バレンティナはゆっくりと首を横に振った。
「その理由はわかりません。ただあのお方は断固として建設に反対するのです。既に工事は始まっているというのに」
そして残った酒をすべて喉に流し込む。空になったグラスをそっと机に置き、彼女は淡々と続けた。
「領主夫婦の仲がうまくいかずして、領民が安心できましょうか? 領主夫婦は領民の模範として、二人三脚で物事に立ち向かっていかねばなりません。それなのにああも考えが違い、しかもその理由まで伏せられてしまっては……私は領主の妻として務めを果たせる自信が無い。それに領民にも余計な心配を抱かせてしまいましょう」
そう言いながら両手で顔を押さえるバレンティナ。うっうと小さく嗚咽も聞こえる。
一方のコウジはこの上なく慌てていた。
恥ずかしい話だが、コウジは生まれてこの方22年、一度も彼女ができたことが無い。
女の子とこんな時間に二人きりになること自体初めてなのに、こうもむせび泣かれてしまったら対応が思いつかない。
こういう時、どうすればいい?
公子との結婚を断るよう勧めるか?
いや、自分は現在父君のコッホ伯爵の庇護下、その意向に反することは立場上絶対にできない。
そっと抱きしめる?
いやいや、伯爵令嬢にそんな大それたこと、できるわけないだろ!
あれこれと脳をフル回転させながらもこれといった結論が出ないまま、コウジは立ち尽くした。
だがしばらく泣いた後、バレンティナはふっと立ち上がった。そして目をこするとコウジを向きなおしてふっと微笑む。その顔から涙はすっかり消えていた。
「お話を聞いてくれてありがとうございます。私、すっきりしました」
その後、元気になった令嬢は自室へと帰って行った。
だがその笑顔にはどことなく影が残っていた。
さて、時間を戻そう。
公爵家の夕食に招かれたコウジたちは使用人に食堂へと案内されながら廊下を歩いていた。石造りのせいか、壁からはどうも冷えた空気が漂っている。
「ようこそ、公爵家の晩餐会へ」
食堂の奥、暖炉の前の席に着いた公爵がにっとほほ笑んで一行を迎える。
食堂はまるで舞踏会の会場になろうかと思うほどの広間に、巨大な机と豪勢な料理が待ち受けるこの世の楽園だった。




