第八章 令嬢と公子 その1
公爵は3日ほど滞在した後、自らの領地へと帰った。その馬車は行きの時よりも窮屈だった。
「いかがなされた、私と一緒では心苦しいかね?」
「いえ、決してそうでは……」
じっと向かい合う公爵とコウジ。男二人こんな狭い馬車に押し込められるのはやはり居心地が悪い。そんなに親しくもない上司とエレベーターに同乗した時の気まずさとはこのようなものだろうか。
窓からちらりと後ろを走る馬車を見る。赤く塗られた伯爵家の馬車、あの中にはバレンティナと魔女カイエが乗っている。どうせならあっちの方が良かったな。
「コウジ様、汗がすごいです。暑いですか?」
隣にナコマがいるのが救いか。彼女はコウジのお付きとして同行を命じられていた。
普段のエプロンドレスではなく余所行きにおめかしした、地味ながらも可愛らしい花柄のドレスだ。公爵家に出入りする者として、最も格式高い服装を選んだようだ。
聞けばこのファーガソン公爵、ものすごく偉い。
現在のニケ王国王家の遠戚であり、800年以上前の建国当初からこの領地を任されているそうだ。バレンティナらコッホ伯爵家でさえこの領地を預かって200年というから、格式がまるで違う。
もしも王家に男子が生まれなければ、まず声がかかると言われるほどの名門貴族だ。本来なら異邦人のコウジと同じ馬車に乗るような人物ではない。
そして最も気になることは、コウジさえ呼べばよいものをバレンティナまで招かれていることだ。外交に関してなら先日伯爵が訪れたばかりだが、それとは別の用事もあるようだ。
なおベイルは巨体が馬車に入らないので、荷物を積んだ別の馬車に乗っている。
舗装された山道を抜けて峠を越える。眼下の盆地に広がるのは、何重もの城壁に囲まれた城郭都市だった。中心には公爵の居城であろう、ドーム状の天井が目につく巨大な建造物が佇んでいる。
平原の隅々まで開発された農地を貫く一本の線路まで見える。山ひとつ越えただけなのに、穀倉地帯である隣の伯爵領とはまるで違う。
街外れには巨大な競技場まで備えられている。ここならば元の世界の陸上競技大会でさえも容易に開催できるだろう。
去年、大学の友人とイタリアに旅行したことがあるが、その最中に見た石造りの城塞都市の数々をコウジはふと思い出した。
緑の大地と白い石造りの都市の対比に目を奪われるコウジに、公爵はふっと口角を上げた。
「この領地はファーガソン家が国王陛下より代々預かっている。陛下のご期待に応えるためにも、領地の安定と美しい街づくりは我が家系に課せられた使命なのだ」
そう話す公爵の表情はどことなく誇らしげだった。
山道を下り農道を抜け、石畳の貼られた市街地に入る。夕方で多くの商店が店じまいの準備を始めているが、この時間からは酒場や食堂が賑わいを見せ始めていた。
軒先に並べられた机を人間鬼族獣人族、様々な種族の人々が囲んで酒を飲み交わしている。そんな彼らも公爵の馬車を目にすると、バカ騒ぎを即座に中断して道端に跪くのだった。
「すげえ……」
自分が偉くなったわけでもないのだが、有無を言わず道を開ける領民の姿にコウジは高揚し指先が震えた。
何重にも設けられた城門を抜け、ようやく公爵の居城に到着する。
芝が敷かれ、さらに川から水を引いた人工の池まで備えられ、大都市の真ん中とは思えない。一見なんの規則性も無しに植えられた植栽も、それぞれが調和してひとつの絵画のような風景を演出している。
そんな庭園に並んだ使用人たちの数は、伯爵家のそれをはるかに超えていた。当主の帰還とあって、執事から下働きのメイドまで、数百人の使用人が並ぶ様は壮観だった。
「お帰りなさいませ公爵閣下」
初老の執事が横付けした馬車に歩み寄り扉を開け、別の使用人が荷台からトランクを降ろす。
その手際の良さを感心しながら馬車を降りたコウジもまた、使用人一同から頭を下げて歓迎された。ここまでくるとちょっと怖い。
そんな中、頭を下げずに軽く会釈する人々が扉の前にいた。階段の上に立つ人々は皆、煌びやかなドレスや糸くずひとつ付いていないスーツを纏っている。身なりからして公爵家の人々だろう。
「ようこそマレビト様。ファーガソン領はいかがですか?」
公爵夫人であろう老いを感じさせない妖艶な美女が包みこむような声で迎えた。
「は、初めまして! 加藤コウジと申します」
就活の時以上に緊張して、コウジは深々と頭を下げた。
そして顔を地面に向けながら、ちらっと公爵家の人々を見る。公爵夫人が口に手を当ててふふっと笑い、先代夫人であろうパールを散りばめた老婆も顔の皺なんて全く気にしない様子で微笑んでいた。
しかしその中にひとり、若い男だけがぶすっとした顔でコウジから目を反らしていた。
年齢はコウジとあまり変わらないだろうが、背丈はすっと高く180センチ以上ある。細身でありながらがっしりとした筋肉が四肢を覆っていることがスーツの上からでも感じられる均整の取れた肉体だ。
そして父親に似て、実にハンサムだった。大学にいれば女の子の方から自然と集まってくるのが嫌でも想像できる。
しかし二台目の馬車が横付けされた途端、彼はその表情を一変させ、まるで優男のような笑顔に早変わりする。
「バレンティナ殿、よくぞおいでに!」
男は今にも駆け出しそうだったが、ぐっと踏み込んでゆっくりと階段を降りた。
「ご機嫌うるわしゅう、デイリー公子」
バレンティナはにこりと微笑んで伸ばされた男の手先に触れ、馬車を降りた。だがその笑顔には貼り付けたような不自然さがあった。
その様子を見て、コウジの荷物を抱えたナコマは深いため息を吐いた。




