第七章 思いがけぬ客人
「やったわよ、総合優勝よ!」
鳴り響く大喝采に遠慮なく打ち上げられる付ける花火。
観客席に戻るマラカナ村選手団を迎えたマトカはひとりひとりに抱き着いた。周りの淑女は何あの娘、はしたないとでも言いたげな視線を送っていたが、マトカの性格を知る者は誰もそんなことは気にしない。
「いやあ、コウジのおかげさ。褒めるなら俺よりもあいつを褒めてくれ」
クマの大男が胸に顔を埋めるマトカの頭をポンポンと叩きながら、列の最後を息を切らしながら歩くコウジを指差した。
普段の運動不足が祟ったのか、あの押し合いだけで既にへとへとだ。村のみんなはあんなハードな運動、よく続けられるものだ。
「コウジ、偉いわよ!」
マトカがコウジにとびつき、首に腕を回して髪の毛をぐしゃぐしゃにかきむしる。疲れ切ったコウジは抵抗する気力も無く、ただ親指を立てた。
「コウジ殿、さすがです!」
アレクサンドルと子どもたちもコウジにとびつく。フットボールで活躍した者はこの村のヒーローであり、村長以上の尊敬を集めるのだ。
「あ、バレちゃ……バレンティナ様だわ!」
そこら中の芝がすっかりひっくり返されてしまった競技場の真ん中に、つかつかと細長い淑女が歩み出る。領主コッホ伯爵の令嬢、バレンティナだ。
お付きの者が踏み台を置き、その上に乗ったバレンティナは背筋を伸ばして咳払いした。あんなに盛り上がっていたのに、一瞬で静まり返る会場。そして彼女はよく通る声で高らかに話し始めた。
「我が愛する領民の皆様、本日は白熱した戦いをお見せくださり、ありがとうございます。私も久々に血がたぎる気分で、今にも皆様に加わってしまいそうでした」
どっと起こる笑い。それに手を振って笑顔で返すバレンティナ。
「私はこの領地が好きですし、皆さまのことも深く愛しています。皆様が祝祭で大い活気付く姿を見るのはこの領地の発展を見ているようでこの上ない幸せです。ですが、ひとつ心配事もあります」
バレンティナが声のトーンを落とす。会場がにわかにざわついた。
「それは怪我です。幸いにも今年は大きな事故はありませんでしたが、この競技会では毎年のように怪我人が出ていました。領主の家の者として、皆様が怪我をするところを見るのは辛いものです」
会場がずんと沈んだ。誰かが「そうだよな」と呟く。怪我の怖さを知っているのか、その言葉は重みがあった。だがすぐそのあとに「でもなあ」と返す声も続く。多少の怪我もやむなしとは、特にフルコンタクトスポーツのファンならば否定はできないだろう。
バレンティナは深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
「そんな時、私はある人物より知恵をいただきました。競技のおもしろさはそのままに、安全に配慮したスポーツの存在を。それは大人も子供も男も女も、いかなる属性であっても楽しめるフットボールです」
バレンティナの従者が手で合図をすると、競技場に何か巨大な物が運び込まれる。それを見てコウジはあっと声を漏らした。木製の枠にネットを張ったそれは、まさしくサッカーゴールだった。
「この競技はサッカーと言うそうです。はるか遠くの異国の地では多くの人に親しまれ、大規模な大会も開かれているとのことです。単純明快なルールながら安全性の保障されたこの競技こそ、今の私たちに必要なのではないでしょうか?」
マラカナ村の若者を中心に拍手が起こる。彼らはコウジから直接サッカーを教えてもらっている者たちだ。それにつられて子供たち、老人、さらには敗れて酒をがぶ飲みしていたラフォード村の住民まで、一緒になって拍手を贈った。
やがて会場全体で拍手が鳴り響き、バレンティナはふうと安心したように微笑んだ。
「今日はこのサッカーのルールを説明したいと思います。では、我こそはと思う方々、老若男女問いません、皆で一緒にサッカーを楽しもうではありませんか!」
バレンティナが踏み台を降りると、同時にマラカナ村の男たちがわっと競技場に流れ込んだ。ついさっきフットボールを終えたばかりだというのに、どこにこれだけの力が余っていたのだろう。
「おいアーちゃん、俺たちも行こうぜ!」
子供たちも互いに手をつないで男たちに続いた。
「私もちょっと参加してみましょうかね」
巨体を揺らしながら会場に現れる巨人のベイル。その頭にしがみついていた魔女カイエはぶるぶると震えていた。
「な、わらわの従者なのに主の許可なく勝手な振る舞いは許さんぞ!」
「それではカイエ様もご一緒に参加されてはいかがでしょう? 楽しそうに見ておられたではありませんか」
「な、こんな球蹴りなどわらわが加わる価値も無い。底の浅い子供の遊戯じゃ」
「そうですか、それでは」
ひょいっとつままれて地面に置かれるカイエ。彼女はそのままずんずんと先を進む従者を「ああ、待ってー!」と追いかけたのだった。
「婆さん、無理はしなさんな」
「私だってまだ若いところ見せてやるんですよ」
見た目はよぼよぼのおばあさんだが、意外にも軽い足取りで競技場に飛び出す。それを見てマトカは目を輝かせた。
「コウジ、私たちも行きましょうよ!」
「え、もう疲れたよ」
そんな弁明が通じるはずも無い。マトカはコウジの腕を握りしめ、強く引っ張った。
「フィールドに立てば疲れなんてすぐ吹っ飛ぶわ。さあ、行きましょ! ポジションはキーパー? それともフォワード?」
「勘弁してくれよ!」
その夜、伯爵の屋敷では夕食を前に二台の馬車が到着した。競技会が終わった当日の急な来客に、使用人たちは急いで料理を作り足し、客間の準備にと慌ただしく屋敷を行き来していた。
「それにしてもすっかり大きくなったな、アレクサンドル!」
伯爵の帰還だった。奉公に出ていた息子と再会するのは実に1年振りだ。
バレンティナとアレクサンドルの実父であるコッホ伯爵はカールした髭が特徴的な恰幅の良いおじさんだ。高貴な身分ではあるが親しみやすさも覚える。
各地を外遊で回っていた最中も娘とは手紙をやりとりしていたそうで、マレビトであるコウジが出現したことや、競技会が開催されたことはおおよそ把握していた。
「貴殿がマレビトか。いやあ、話は聞いている。なんでもスポーツに大層詳しいみたいじゃないか」
「元々そういう会社に入ろうとしていましたので」
応接室に集まった一行は酒や紅茶を飲みながら談笑していた。
ぶすっとした表情の魔女カイエは顔中に擦り傷を作っていた。サッカーの最中に顔面から転んでしまい、それからずっと不機嫌なのだ。
そしてこの場にもう一人、新たな客人が加わっていた。
すっと背の高いハンサム顔なおじ様とでも表現すれば良いだろうか、ベテラン二枚目役者のような貫禄に溢れた人物だ。所作のひとつひとつが美しく、ただグラスから酒を飲んでいるだけなのに絵になっているこの紳士には、男のコウジも目が向いてしまった。
「私もスポーツは好きだ。我が領地では民にスポーツを推奨し、競技場や競馬場も新設している」
この男性は山ひとつ越えた先の領主、ファーガソン公爵と名乗った。伯爵が外遊から帰る際、客人として屋敷に招いたそうだ。当初そのような予定はなく、使用人たちは大いに戸惑った。
そんな使用人の苦労など知ってか知らずか、伯爵と公爵は竹馬の友のごとく酒を交わしている。
「公爵のスポーツ好きは貴族の間でも有名ですから。機会があれば領地の選りすぐりの力自慢同士対決させてはいかがでしょう?」
「それは実に面白そうですな。観光客も呼び込んで、我が領地も潤います」
上品な笑い声に包まれる応接室。魔女カイエだけがずっと頬を膨らませたまま紅茶をちびちびつついていた。
「ところでバレンティナ。サッカーは盛り上がったようだな」
「ええ、お父様の助言通りに」
サッカーと聞いて魔女がびくっと跳ねた。だが一同は気にせず会話を続けた。
「あのサッカーという競技、フットボールの熱狂度合いはそのままに安全に配慮されていて実に面白い。私のおじいさんはフットボールが危険だからと禁止令を出したこともあるのだが、その必要も無さそうだ。是非とも我が領地にも取り入れたい」
公爵が熱く話した。
「ええ、ですがどうしてそのようなことを?」
「実は……今日観客の中に私たちはまぎれていたんだ」
伯爵が頭を掻きながら言い、バレンティナとアレクサンドルは「ええ!?」と声を揃えた。
「農作業の服を借りて観客席から皆の姿を見ておったのだ。もちろん、アレクサンドルが相撲で相手をひっくり返すところもちゃんと見ておったぞ」
伯爵が幼い息子の頭をそっと撫でると、アレクサンドルは年甲斐も無く父に抱き着いた。
「じゃあ、手紙でサッカーを最後にしなさいと書かれたのは……」
「ああ、公爵にお見せするためだ。変に取り繕うよりも領民が実際に熱狂する姿をご覧になった方が早いと思ってな」
「あのサッカーという競技、実に興味深い。そこで、コウジ殿」
突如公爵に呼ばれ、「はい?」と間抜けな声を上げてしまった。
「貴殿さえ良ければ、我が領地に来ていただきたい。サッカーという異世界のフットボール、いや、それだけでない様々なスポーツを、我が領民に伝えてほしいのだ」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
一旦キリが良いので、ここまでを第一部として区切らせていただきます。次回からは舞台を移し、第二部に入ります。徐々にスケールが大きくなるつもりの予定なので、是非ご期待ください!




