ミルク飴⑨
「てめぇ、このアマ、自分が安全圏に入ったからって好き勝手しやがって、え?」
喉の正常を取り戻した刑事さんがチンピラまがいの脅迫をかましてくるので、怖さで震えるふりをして、ペットボトルを持ったまま立っている仮面師さんの後ろに隠れる。その背中をとんとん、と叩かれたので振り向けば、魔王くんが満開の笑顔で親指を立てていた。思わず無言で、あたしも親指を立てる。
鼻歌君は未だに何故か笑い転げているし、仮面師さんも特にあたしを責める気配がないし、割とこの刑事さん、この事務所に嫌われているのかしら。……まぁ、普通に考えて犯罪者と刑事の仲が良いわけないわよね。どうやらコネで繋がっていそうではあるけれど、あくまで利害の一致、って感じなのかしら。鼻歌君はともかく、刑事さんにとって何が利で何が害なのかは、あたしには量りかねるけれど。
「まぁまぁ、越内刑事。彼女も反省しているみたいだしー、あなたにも言い過ぎのところがあったんだから、そこらへんで許してあげたまえよー」
笑いすぎたのか、薄らと涙目になっている鼻歌君が、越内を宥めようとする。いやいや、そのにやついた顔では、説得力が微塵もありませんよ、あたしからしてみれば全く問題ないですけれど。
「あのアマのどこが反省しているんだ! そこのとサムズアップしてたじゃねぇか!」
あらやだ、バレてましたか。魔王くんと顔を見合わせ、思わず苦笑する。目敏い男って嫌ですね、ええ、本当に。意思の疎通がアイコンタクトで図れるほど親しくはないけれど、――何せ今日が初対面なのだから――何となく、そんなことを言い合っているつもりになる。通じているのかは、魔王くんのみぞ知る、だけれど。多分適当にあたしに合わせているのだろう。情報犯罪者というのがどういう罪を犯す人なのかよく分からないけれど、おそらく個人や企業とかから、情報を盗んで悪いことをするのだろう。だから、自分に共感していると思わせて、あたしから何かしらの情報を盗むつもりがあるのかもしれない。いや、あたしの情報に何の価値があるのか、というのはともかくとして。彼にしか分からないような価値が、何かあるのかもしれないものね。
表面上苦笑し合っていると、あたしも魔王くんも仮面師さんに肩を掴まれ、鼻歌君たちと引き離された。反省の色を見せないあたしがここに居たら、刑事さんの機嫌を逆撫でしてしまうからかしら。分かっているなら反省しろという話だけれど、彼に嫌がらせをしたことに後悔はない。そう言い切ってしまえるくらい、あたしは彼が嫌いだ。今回のことがあろうがなかろうが、あちらもあたしを嫌っているだろうけれど、ちっとも痛くも痒くもない。
「ったく、顔合わせっつーから呼ばれてきてやったのに、酢を飲まされるとか、あり得ないだろ、ったく」
越内刑事は、年のせいか、あまり怒りが持続しないタイプらしい。怒鳴る怒りから、ぐちぐちと不満を垂れる怒りへと、いつの間にか移行していた。あたしとの顔合わせ、か。これからお世話になることがあるのだろうか。嫌だな、と思わずどこともなく遠いところを見てしまう。
首をごき、ごきと音を鳴らして回し、気分を入れ替える。好き嫌いであれこれ言えるほど、今のあたしは選り好みのできる立場じゃない。
「越内さん、これからご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いしますね。できれば死神ちゃん、などというとち狂った名前ではなく、本名の方で呼んで頂ければ幸いです。先ほどのは、あたしなりの挨拶ということで。ツンデレなんです、今流行りの」
そう早口で言い切って、お辞儀をしてみる。……誤魔化されてくれないかなぁ。ちらりと見上げた先に見えた越内刑事の顔を見て、確信する。これは無理だ。
仲良くする気はないし、できなくていいのだけれど、足を引っ張られるのだけは、勘弁してほしい。――いやまぁ、自業自得な面が否めないけれど、ね。酢とか飲ませるんじゃなかったわ。我慢する努力もせずに、何をやっているんだか。過去のあたしに、そっと憤慨してみる。とは言え、時間が巻き戻ってもきっと、同じことをする衝動に駆られてしまうのだろうけれど。