ミルク飴⑥
「人とは何でできているかを知っているか」
「わからないっすねー、知る必要があるかどうかも、わからないっすねー」
「演技さ。人ってのは内面を見ているようで実は外面しか見ていない。まさかあの人があんなことをするなんてとはよく言ったものだ。人間は誰に対しても素直じゃない。いつだって内側は外面という仮面で隠している。本当の自分なんて本人ですら誤差なく理解しているとは言い難い。だから演技さえ完璧であれば誰でも他人になる事ができるという訳だ。それはつまり自分すら演技でできていると言い換えられる」
「相変わらず、貴方の話は分かりにくいというか自己完結しているっすねー、仮面師さん。それでも元詐欺師っすか? ま、お仕事の時は普通に喋っているみたいっすけどねー? ついでに反論すると、心は偽れても関係は偽れないっすよね、新しい人間を作るならともかく。昨日話した事ならまだしも、十年前に話した事なんて中々知られませんし。だからこそ、俺みたいなのに需要があるわけで。後一つ忠告しておくと、自分の能力を過信すると足元掬われるっすよー。ま、俺らみたいな奴の場合、そっちの方が長い目で見れば救われる事になるのかもしれないっすけどねー。あ、今の上手くないっすか?」
「それは何かしらの能力を持っている者全てに言えることだ。持っていない者も持っていると思いあがっていれば当てはまるがさてお前はどちらかな」
「そんな事はどうでもいいんで、俺のどうでもよくないギャグを拾ってもらえないっすかね。思いつきにしては皮肉も効いていて秀作だと思うんすけど」
……えっと。帰ってもいいですか帰らせてくださいなお願いだから。精神的な疲労で段々とより重くなっていく袋を遠慮なく引きずりながら、ある建物の二階にある鼻歌君の事務所に入れば、いきなり意味不明な会話が耳に飛び込んできた。辛うじて分かったのは凄くぶっ飛んでいる内容だということ。人が何でできているかなんてどうでもよろしい。言葉を選ばずにあえて言うなら、超痛い。麻酔も効かなさそうな痛さである。
少し前からどうもあたしは、自分の周りから普通というものが消えていく感覚を味わい続けている。まずい、このままではあたしはどんどん異常な方の世界へこんにちはして、平和な方の世界からさようならしてしまうかもしれない。それはそれでいいかも、なんて冗談を言っている場合ではないのだ、まったくもう。
鼻歌君が事務所に二人仲間が居ると言うから、もう少し人に安心感や信頼感を与えられるような人が居るに違いないと期待したあたしが場違いだった。皆さん仲良く揃いも揃って、別世界の住人だ。
こんな感じでは、依頼人だって来てくれないんじゃないだろうか。ひょっとしてあたし、看板娘の役目を負わされるのかしら。あるいは美人の探偵助手? うん、どこかで聞いたことがありすぎて、とても安心する響きだ。けれどもし本当にそうなら、このあたしに限って力不足ということはないのだから、全力でお勤めしよう。
依頼の解決中に、万が一何かのトラブルで鼻歌君が殺されてしまったら、役目のことなんて忘れて安全な場所から全力で笑ってやるけれどね。……そんな日が早く来るといいなぁ。か弱いあたしは、他力本願しか手段がないのである。
長い言葉をつらつらと波を立てずに発音するのは、元詐欺師らしい仮面師さん。無表情と言うか、感情のぶれることが少なそうな人だと思わされる。
美醜の面から言うと、美形でも醜悪でもなく、中々覚えにくい、平凡な顔の造形をしていると思う。多分それは、彼の着ているなんとも個性の無い服も手伝っているのだろう。ここへ来る途中で鼻歌君が言っていたことだけれど、彼の特技は変装で、より他人を吸収しやすくするために普段はこうして薄っぺらい特徴しか無い人物になっているのだとか。またこれが素顔という訳でもなく、鼻歌君すら本当の顔を見たことはないらしい。ひょっとして本人も自分の顔を忘れていたりして。……さすがにそれは無いわよね。
そんな仮面師さんにどこか馬鹿にした声で緩く返しているのが、元情報犯罪者の魔王くん。この人のどこが魔王なのだろう、魔王とは対立のような人物だと思うのだけれど。勇者って柄でもなさそうだけれど、そういうファンタジー物で例えるなら二枚目な王子様、ってところかしら。
まるで太陽のような人。どこか若々しくて初々しいサラリーマンのようで、それらしい格好をしている。場所が場所なら普通に女の子からモテそうな柔らかい雰囲気もある。……でも声は意地悪だし言っている事は辛辣だから、遠巻きに見られて観賞用とされるかも。そういうところがあるから、魔王くんなんて呼ばれているのかもしれない。
驚いた事に、この二人はあたしとは違って他国から逃げてきたのを雇ったらしい。確かに彼らは、この国の人とは大分違った顔立ちをしている。と言っても、外交盛んなこの国ではそう目立つ事もないだろう。かく言うあたしもハーフだけれど、これまでの人生で目立った事なんて少なかった。ましてやこの国の使用言語を流暢に操れるのであれば、この国を拠点とすることにもはや何の問題もないと言える。
しかし、そんな二人を事務所に雇い入れる鼻歌君は、本当に頭がいかれているなと改めて実感した。よくもまぁ、他国の犯罪者を二人も捕まえて仲間にできたものである。うーん、ここで鼻歌君の手腕に感心してしまうあたり、あたしも大分犯罪者生活に毒されてきているのかもしれない。普通の人なら、引くのかしら。あたしはそれができない身だけれど、警察に通報したりするのかしら。
……やはり、普通には戻れないのだろうか。人を殺すというのは良くも悪くも加害者の人生をも壊す事に違いはないのだし。犯罪と言うのは、被害者と加害者の両方の人生に影を落とす、本当にたかが一人の人間には荷の重い業だ。なんてね、犯罪とまではいかなくとも、人間関係が少し崩壊しただけで人生が狂う場合だってある。所詮人と人が関われば、最後には誰かが傷つくように、この世界はできているのだろう。少なくとも、あたしが住む世界はそういう作りになっているに違いない。引っ越したいけれど、肝心の幸せな世界への引っ越し方がわからないから、詰んでいる。
……なんてね。うっかりあちらの世界――鼻歌君たちが住んでいる世界――に足を踏み入れてしまうよりは、今のあたしの世界の方が、よっぽどましだ。どんなに息苦しくても、そこにはあたしの大事なものが確かにあるのだから。
「はーい、二人とも、新しい犯罪者だよー」
鼻歌君が近くの壁をこんこんと叩いて、喋っている二人に呼びかける。……その紹介は取り下げてくれないかしら。何だか物凄く憂鬱な気分になってしまうわ。そう言いたいのは山々だったが、新参者なので我慢することにした。
鼻歌君に出会ってから、我慢ばかりしている気がする。多分普通に出会っていたら、絶対仲良くならないタイプだ。普通に出会っていない今でも、仲良くはしたくないけれど、本当に。一体どこの誰が、自分のストーカーと仲良くしたがるものか。そんな奇特で不気味な人物がいたら、連れて来いという話である。
二人とも話を中断して、部屋の入り口に立つあたしと鼻歌君のほうに顔を向けた。渋って黙りこくるあたしの肘を鼻歌君がしつこく突いてくるので、渋々ながらも自己紹介をする。分かりましたよ、言えばいいんでしょう、言えば。
「本日からこちらに勤めることになりました、死神ちゃんです。ちなみに殺人犯です。どうぞよろしくお願いします」
とりあえず、鼻歌君が部屋に入る前に渡してきた紙をそのまま読んだけれど。嫌だな、こんな自己紹介がまかり通るのはこの事務所だけに違いない。まったく、どこまでも常識という言葉が似合わない連中だ。……当たり前か、犯罪者なんだから。心の中だけで、こっそりそう毒づいてみた。