ミルク飴⑤
あたしが鼻歌君の乱暴なネーミングセンスや後先を考えない行動に頭を痛くしているうちに、彼はまたお惣菜のパックやお弁当を追加していく。そしてカートを引っ張って、それごとあたしをレジに連れて行く。
「五千円になりますー」
「ふっふー、奇跡みたいにキリが良いね。……何をしているんだい、早く支払いを済ませたまえよー」
鼻歌君はレジのおばさんが言った金額を聞くが早いかあたしのほうに首ごと顔を向けて当然のように言い放つ。うん、ざっくり感想を述べると、殺してしまいたい。まぁ、一度それについては色々と考えたから割愛する。割と本気で、諦めきれないけれどね。
仕方ないので目線と沈黙によって鼻歌君が払いなさいよと訴えると、彼は音を出さずに殺人犯、と口のみを動かした。……やれやれ、これだから性根の悪い輩に弱みを握られるのは面倒なのよ。性根が悪いから弱みを握るのかしら、それとも弱みを握ったから性根が悪くなるのかしら。人をストーカーした挙句脅迫するくらいだから、鼻歌君の場合はきっと生まれた時から性格に難有りに違いない、可哀想に。
――うっかり鼻歌君の生まれに同情してしまったせいで、あたしの財布の中身がとても軽くなった気がする。もちろん実際には、財布の重量はたかだか紙幣一枚の有無くらいじゃ到底変わらないのだけれど。レジのおばさんも、あたしが無理やり奢らされたという事は何となく把握したのか、同情を浮かべて苦笑いをこちらに向けてくる。ええい、気にしないわ。気にしないったら。
しかも彼ときたらそれだけでは飽き足らず、レジ袋まで自分より多くあたしに持たせるという横暴ぶり。あたし一応女性なのですが。男女平等、もとい、女尊男卑とは言いませんよ? けれど、鼻歌君の方が年下のような気がしますし、若いんだから力は有り余っているはずですよね。力のある方が多く持つのは当然のはずでしょう? ああ、鼻歌君の辞書には普通とかそういう常識的な言葉は無いんでしたっけ。なら仕方ないですねって思えません。
鼻歌君が持っているのはお菓子ばかりが入ったいかにも軽そうな二つのレジ袋。あたしが持っているのはお弁当、飲み物などが入った大きなレジ袋三つ。……普通なら逆よね、どう考えても。袋の数にはもう突っ込まない。この見た目だと、大学か高校の買い出しだと思われていそうね。
そして、何故飲み物は二リットルのペットボトルに入っているのだろうか。鼻歌君と彼に雇われているらしいもう二人と、あたしを含めての四人分をまとめての二リットル一本ならともかく、二人ずつの総二本なのだからふざけているとしか思えない。あるいは新人いびりか。はたまた嫁姑合戦か。ああ、笑えない。あたしの細腕がぽっきり折れたら、どうしてくれる。慰謝料はふんだくるぞ、この野郎。……それにしても、こいつ、あたしをストーカーしていたらしいけれど、絶対好意によるものじゃない。
正直、聞かされた当初から疑ってはいたけれど、ここで改めて確信する。絶対に鼻歌君は、好きな子ほど苛めたいとか、そういう可愛らしいツンデレ的な性格はしていないだろう。……だとしたら、何故あたしは目をつけられたのだろうか。
「さー、死神ちゃんお待ちかねの事務所に行こうか」
がさがさ、という少し耳障りな音をたてながら、前を歩いていた鼻歌君が振り返った。これからずっと彼と一緒なのかという深い後悔の念に悩まされて、あたしは溜息を吐きながら頷く。もちろん、お待ちかね、では全くない。勿論捕まりたくはないけれど、できることなら逃げ出したい。まさに究極の選択、というやつなのかしら。……なんて、選択肢はあってないようなものだけれど。
あたしの細腕では耐え切れないような重さの袋を持って待っていると、運良くすぐにバスが来た。鼻歌君が所定の位置にカードをかざすように、あたしもかざそうとしたけれど物凄く苦労した。まったく鼻歌君ったら、両手が塞がっているあたしの為に代わりにかざしてやろうとは思いつきもしなかったみたい。彼は本当に自分勝手で自己中心的だ。
まぁ、そうでなければいくら人手が欲しいからって、殺人犯を脅したりしないか。きっと鼻歌君とその事務所が怪しすぎて、誰も応募してこなかったに違いない。あるいは万が一応募した人がいたとしても、面接の時点で鼻歌君の性格に愛想を尽かしたに違いない。あたしだって、こんな怪しげな探偵の助手なんて、できればお断り申し上げたい。
……うーん、隙を見て殺せるかどうか、今からでも考えるべきかしら。いやいや、警察にコネがあるなら、きっとすぐに捕まってしまうだろうから、それは悪手に違いない。最初の段階でこのことに考えが及ばなかったなんて、あたしも大分動揺していたのね。自分の精神の弱さに呆れて、溜息を吐く。やれやれ、鼻歌君は厄介な味方をお持ちだ。少しは脅されるあたしの身にもなってほしい。まったく、迷惑極まりないったら。