ミルク飴④
「ほーら、きみぃ。カートをもうちょっとこちらへ「鼻歌君質問です。何故、あたし達……スーパーで買い物をしているのでしょう?」
ごく自然にお菓子の類をカートに投げ入れていく鼻歌君。え、ちょっと待って。さっき事務所に案内するって言っていたでしょう。どうして何の説明もなしに普通に買い物を始めているのだか。後、ファミリーサイズのお菓子ばかり買わないでください。持ち帰るときに荷物が多すぎて、大変なことになるのは明らかですよ。車で来たわけではありませんし、あたしというか弱い女性との二人組なのですよ。分かっていますか?
鼻歌君は残念ながら当然普通の思考回路を持っていないようなので、あたしが常識を忘れないでいるしかない。殺人犯が常識を語るというのも痛々しくて罪深いけれど、あたしはまだ戻れないところまで踏み込むつもりはないのだから。いつまでも罪の意識に飲まれ続けて異常者になるつもりはない。あたしは必ずあたしのために、足を止めてみせるのだ。
鼻歌君は足を止めずに、それはここに来たからさ、と言葉を返してきた。……あたしの求めている答えがそれではない事くらい、自らをあたしのストーカー、もとい探偵と称する彼ならわかっているはずだ。どちらもあたしの言いたいことくらいは理解できていなければ、務まらないはずだ。……割と両極端な二つだけどね。まったく、ストーカー兼探偵なんて、盾と矛もびっくりな、矛盾もいいところである。
それなのに分からない振りをする、彼のおどけた振る舞いに呆れる。彼は道化だ。彼というより彼と彼の住む世界の全てがふざけている、のかもしれないが、あたしに迷惑をかけないならどうでもよろしい。けれど、
「貴方の世界はおふざけとお遊びばかりでできていますね」
「君の世界の方こそ、腐るほどの嘘ばかりじゃないか」
けれど、実際こき使われて迷惑……というか面倒臭いのもあって、少しばかり腹が立ったのでぽろりと皮肉をこぼせば、彼からの返事は早かった。瞳を少しだけ不愉快そうに歪めて、あたしに言葉を乱暴に投げつけてくる。案外、的を射た苦言になってしまったのかしら。謝ら……なくてもいいか、別に。
――あたしの世界は、長い嘘を重ねてきたせいで嘘が真実に成り代わってしまった、と言うのが正しい答え。けれどそれを彼にわざわざ教えるのも面倒で、また彼ならどうせ、この事も知っているのではと思ったから、あたしは肩を竦めてカートを押した。
店内を走り回っている子供達の、何でもない日常の笑い声がひどく遠くに聞こえる。犯罪者特有の感覚なのだろうか、これは。……最近外に出ていなかったから分からない。少し前までなら中二病と断じていたのだろうけど。あたしは思いのほか、自分の業に毒されてきているのかしら。
知りたくて鼻歌君の顔を窺ってみたが、彼は掴めない表情をしていた。感情が揺らいでいない安定した微笑み。瞬間的に浮かんだ感想は、……気持ち悪い、というもの。よくよく考えれば、これがあたしの知る限りの彼らしさなのだけどね。嘘臭くて温かみが欠けているようで、人間臭さに満ちている。作り笑いというのは、本当に罪深い。鼻歌君みたいな人間失格の表情としては、だけどね。家族のために働く世のサラリーマンさんたちの作り笑いを否定するほど、あたしは良い子ちゃんじゃないのよ。
……良い子だったら、鼻歌君に目を付けられたり、弱みを握られたりすることもなかったんだろうな。そう考えると、想像の涙がちょちょぎれそうである。
「そう言えば、君のコードネーム、考えてなかったね。……うーん、よし、これから僕が紹介する者達には死神ちゃんと名乗りたまえよー。素敵に皮肉で、いかしてるね?」
……な、何と言うネーミングセンスの無さなの。想像の涙を拭き取る仕草のまま、思わず固まってしまった。というか、本当の涙を改めて拭かなきゃいけない羽目になりそうな気がするので、そんな名前はやめてほしい。このあたしみたいなチャーミングな女性をつかまえて、死神なんてあだ名を付けるとは何事だ。そして隠せない中二病臭さといったら、ない。ないわー……。え、本当にあたしは今後その名前で呼ばれるんですか? 拒否権がなさそうなのは理解していますが、街中でその名前を呼ばないでくださいね。そんな事をしてくれたら、絶対に赤の他人のふりをしてやる。
――それはそうと、鼻歌君。その二リットルのペットボトルは何が何でも、鼻歌君に運ばせますからね。